『光でもなく』

第一章8

「オレの名前はヴァン。バルドン人だ。」
少年は濡れた布で乱暴に頭を拭うとようやく名を名乗った。
金の髪が黒く染まっていく様子に驚いたが、すぐに元々が黒髪で金色に染めていただけなのだと気づく。
水をかければ簡単にぼろが出る髪で、瞳の色も隠さずに聖都を歩いていたのかと思うと今さらながらにぞっとした。
だがここは聖都の中央にある教会、聖教会の総本山である教会なのだ。聖都の中で一番危険なはずの場所なのである。
辿り着くまでは必死に隠れ、逃げ、あらゆる手をつくしていた少年が、ここに来て無防備に髪の色をさらし、すべての危機を乗り越えたかのようにくつろいでいるのはどう考えても奇妙だった。
カオスは少年に名乗られて慌てて頭を下げた。
「私は…ハミルという。」
恩人とはいえ本当の名を名乗るわけにはいかない。弟のように思っていた白騎士の名前を借りてその後にエイフィールド人だと続けようとしたカオスは思わず口ごもった。今までこんなふうに名乗ったことがなかったせいだろうか。疑いをもたれてはならない身にとって痛い失敗だと思った。
カオスは自分が赤子の時にヴォルトに拾われたことを知っていたが、髪が黒く染まるまでは己をエイフィールド人だと信じて疑わなかった。いや、疑う以前にそれ以外の選択肢がなかったのだ。
だが今、カオスは自分が何なのかまったくわからずにいた。
エイフィールド人なのか。バルドン人なのか。異端なのか。
噴き出す問いを心の奥にしまい込む。
少しでも自分を知るためにバルドンを目指すのだ。今考えても仕方がない。
今は何よりも自分が銀騎士カオスであるとばれないようにすることが最優先だった。
幸いヴァンは特に気にしなかったようで、染め粉を落とした布を洗うのに専念していた。
部屋の隅に突っ立ったままのカオスに気づいて不機嫌そうにつぶやく。
「ここは大丈夫だ。……オレの部屋だからな。」
何故教会の中にバルドン人であるヴァンの部屋があるのか、聖教徒でないといった彼が何故自分の部屋を持っているのか、聞きたいことはたくさんあったがヴァンが答えたがらないことは明白だった。
カオスは所在なげに立ちつくすしかなかった。
体に力が入らず今すぐにでも座り込んでしまいたかったが、勧められもしないのに勝手に他人の部屋で座ってしまうわけにもいかないだろう。
そう思っていたのだが、ヴァンはカオスを見ると苛立たしげに怒鳴った。
「いつまでも何やってんだあんた!立っていられないはずだろ!さっさと寝ろよ!」
瞠目して謝り、お言葉に甘えてと壁にもたれかかろうとすると、ヴァンはますます怒ってカオスの腕を引っ張った。
「ベッドを貸す!ベッドで寝ろ!」
急に引っ張られて足が体を支えきれずにベッドに倒れ込む。
カオスは何故ヴァンが自分をここにつれてきたのかがようやく納得できた気がした。
きっと今の自分はあまりにひどい状態に見えるのだろう。見るに見かねてベッドを貸してくれたのだ。道端で休もうとする自分を馬鹿かと言ったときからこういうつもりだったに違いない。
カオスは言葉は荒いが優しい少年に心から感謝してベッドを借りることにした。
実際もう限界だったのだ。
ありがとうと微笑めば、ヴァンは顔をしかめてうつむいた。

小さな寝息を聞いてヴァンはハミルと名乗った異端者を一瞥した。
妙な人間だと思う。
言うことなすこと一つ一つが異端者らしくない。今まで見たどのエイフィールド人とも似ていない。かといってバルドン人かというと甚だ疑問だった。
エイフィールドにおいてバルドンの女性というのは至極まれである。捕虜のほとんどが攻め入ってきた兵士達だからだ。女騎士というのも確かにいるが、めったにいない。異端狩りに捕まる可能性はほとんどないといってもいい。女には女の使い道がある。バルドン人の女を犯してみたいという金持ちや、女に飢えた盗賊達、珍しい品として扱う商人などは女騎士の数に比べれば決して少なくない。
それに馬車に乗っていた異端者が一人だけだったことがおかしい。一度に多くを運びたいと思うのが普通だろう。よほど金に困っていたから一人だけでも連れてきたのだとは考えにくい。相手は盗賊だ。何度か異端者を届けるのを見たことがあるが、あくまで金を得るための一手段。手っ取り早く金を得る方法など他に色々あるだろう。
ヴァンは結局答を見つけることができずに舌を打った。

「…敵だったら殺すだけだ。」

目を細めて右手で腰の剣をなぞり、小さく頷いて部屋を出る。
任務から帰ったばかりだ。今日はいつもより寄り道に時間がかかってしまった。一刻も早く報告に行かなければどんな嫌味が待っているかわからない。
行きたくない。
顔も見たくない相手に遊ばれるためにわざわざ行きたくはない。それでも行かなければならない。
ヴァンは足音を響かせて歩いた。
この教会内のありとあらゆるところに通じる秘密通路。
フローリオがこっそりと作らせたもので、携わった人間は口封じに殺されたためフローリオとヴァン、そしてソルティアしか知らない。黒髪黒目の、聖教徒にとっては忌むべき存在であるヴァンが教会内を自由に動き回れるのはこの通路のためだ。もっとも感謝したことなど一度もないが。

行く先から聞こえてくる小さな声に足を止める。
フローリオが訪問者と会話しているのだ。
ヴァンは気配を消して少し近づき、耳を澄ました。

「…です。被害は我らが土地にも………フローリオ様にお力を……」
男が何かを懇願している。
「……我々聖教会は………ヴォルト王子を頼られては…………」
フローリオは困ったようにしているが、それは演技だとヴァンにはわかる。
「しかし先日の……噂は届いて…ヴォルト王子は…………」
少しずつしか聞き取れなかったが、それで十分だった。
「……ですね。困っておられる方を……私の力など………ですができる限りのことは………」

はらわたが煮えくりかえる。
フローリオは今どんな顔をして台詞を吐いているのか、見えなくてもわかるのだ。
何度殺してやりたいと思ったかしれないが、飽きることなく殺意を抱き続ける。
殺してやりたい。この野郎。今すぐにでも。

ヴァンが奥歯を噛みしめると、クスリと笑い声がした。
「まったく君は懲りないね。それとも単に立ち聞きが下手なのかい?そんなに殺気をまき散らしては隠れている意味がないでしょう。客人はお帰りになったよ。出ておいで。」
剣を握りしめる。
殺してやりたい。他の誰よりもこいつを、こいつこそを。
こんなに殺してやりたいと思う奴なのに、どうしてこいつなのだ。
ヴァンはことさらゆっくりと剣から手を離した。
床を蹴るように歩き、ぶつかるようにフローリオの胸ぐらをつかむ。
「てめぇ……っ…今のなんだよ!またソルティアをっ!」
「わかっているのなら聞かなくてもいいでしょう。乱暴なことはしないでくれるかな?」
ヴァンは拳を振り上げて、少しずつ、少しずつおろした。
小刻みに震える、小さな拳。表情に出ずとも、口に出ずとも、フローリオが嘲っていることは明らかだった。
「また…またやらせるのかよ!く……っ。……てめぇは絶対オレが殺してやる!殺してやるからな!」
「君も毎回飽きずに同じ事ばかり言うね。一体いつになったら殺してくれるのかな?」
ヴァンは怒りに燃える双眸でフローリオをねめつける。
「ところで君は自分の仕事をいつ果たすつもりかな?ここへ来たのは立ち聞きするためかい?」
「報告。任務成功。以上っ!」
涼しげに微笑むフローリオに短く叩きつけるとくるりと踵を返した。
フローリオは眼鏡の位置を直しながら苦笑した。
「君は相変わらず報告が下手だね。やり直しだよヴァン。上手い人間は伝えるべきことだけを伝えるものだが君にそんな器用なまねはできないのだから。初めから最後まで、そう、君の帰りが遅れた理由まできちんと話してもらわなければね。」
ヴァンは思う様にらみつけたが、フローリオは楽しそうに笑うだけだった。
「…さっきの、使者だろ。あいつから今回の首尾はわかったんだろ。王子ヴォルトに寄せられる信頼に小さなヒビを入れた。オレは任務を果たした!もういいだろっ!わかってんなら聞かなくてもいいんだろ!オレはてめぇの顔なんか一秒だって見ていたくない!」
フローリオはこのうえなく優しげに微笑んだ。
「開きたがらない口を開けさせるのはそれだけでなかなか楽しいものなんだよ。」

気持ちが落ち着くまでヴァンは剣を握りしめる。
フローリオと会う前と会った後、必ずといっていいほどそうするようになってしまっていた。
意図してやっているわけではない。自然とそうなるのだ。
それでも今までフローリオに刃を向けたことは一度もなかった。

ソルティア。
ソルティアにあいたい。

遅れた理由はなんとかごまかせたと思う。だが相手はフローリオだ。ごまかせたと思わされているのかもしれない。いや、大丈夫だ。ごまかせていなくてもまさかこの自分が部屋に客を入れたとは思い至らないだろう。
ヴァンは無理やりと自覚しながらも自分を納得させた。
とにかくソルティアにあいたかった。
今ならきっと昼寝をしている頃だ。寝顔を一瞬だけでも見ることができたらそれでいい。
そう思いながら、自分はきっとまた起こしてしまうのだろうとわかっていた。

誰もいない長い通路を走り抜ける。同じ道でも行く先にいる人間が違うだけで天と地の差がある。
辿り着いた部屋の幾重ものカーテンをくぐりぬけると、あいたかった少女の顔には苦悶の表情が浮かんでいた。
眉間に刻まれるしわも、歪む唇も、頬を伝う涙も、いつもと同じ。
白いシーツの上に散らばる豊かな黒髪を振り払うか細い手に、ヴァンはいつも苛立ちを感じるのだ。
ソルティアが何の夢を見ているのか、一度も語られたことはないが、想像は容易かった。

「ソルティア!起きろ!」

気がつけば自分はいつも乱暴にソルティアを起こそうとしている。
体を揺さぶり、頬を叩く。止める人間がいないのをいいことに完全に夢から戻るまで頬を叩く。
ソルティアはこうでもしなければなかなか起きない。それがまるで呪縛の強さのようで、むきになって力をぶつける。
ようやく目覚めたソルティアはいつも通りの悲鳴をあげた。
ヴァンは急いで体をひいてお決まりの言葉を告げるのだ。
「うなされていたから起こしただけだ。いつものことだろ。」
「ご…め、んなさ…い……。」
「……別に。」
まったくいつも通りのやりとりだった。
頭からシーツを被って震えているソルティアに言いようのない苛立ちを感じる。苛立ちだけではない。憤りも、怒りも、もしかしたら憎しみなのではないかと思うような炎さえ、確かに感じる。
「例の雪害地から今帰った。」
たった一言でソルティアが青ざめる。全身がヴァンの言葉に怯え、拒むこともできずに震えている。
ヴァンはますます苛立った。
ソルティアの顔を見たら殴ってしまいそうで、すぐさま顔をそらした。
ヴァンが沈黙してしまえば部屋からすべての音が消える。
どれだけ時間がたとうとも、ソルティアはただ音もなく震えているだけ。この苛立ちも消えない。
ヴァンは堪えきれず壁を蹴った。
小さな悲鳴をあげたソルティアの両肩を強くつかみ、ぐらぐらと揺らす。
「おまえいつまでこんなことしてる気だ!逃げたいなら全部から逃げろ!おまえみたいな馬鹿見てたらオレは腹が立つんだよ!自分がしたことに怯えるくらいなら最初からするな!ここにいたら……っ…これからも…何度だって……繰り返すんだぞ?あんなクソ野郎に思うように使われ続けるんだぞ!」

ソルティアは恐ろしくてたまらなかった。
ヴァンは乱暴でいつも怒っている。フローリオと自分にいつも怒っている。
責められているように感じていた言葉は、やはりその通りだったのだ。
黒髪を揺らして、刺すような黒い瞳で、ヴァンが怒っている。
その姿を見ているとソルティアは悲鳴しか満足に出せなくなってしまった。

ヴァンはソルティアの悲鳴に弾かれたように目を見開いて顔を歪めた。
一番苛立つのはフローリオでもソルティアでもない。何も出来ない自分自身だ。ソルティアを見るたびに自分が情けなくて仕方がないのだ。それでソルティアにあたってしまうようでは最低だ。

本当は。
そう、本当は。
少しでもソルティアのためになりたいのに。

ヴァンはそっと、たどたどしくソルティアを抱きしめた。
瞬間、ひときわ大きな悲鳴があがった。

「いやぁぁぁぁぁあああっ!触らないでっ!私に触らないで!黒い瞳で私を見ないで!怖いっ怖い……っ…フローリオ!フローリオぉぉ!」

悲鳴が嗚咽に変わる様子をヴァンは見つめ続けていた。
わかっていた。
ソルティアはずっと怖がっていた。
黒い髪と黒い目に怯えるのも構わず毎日のように押しかけてはソルティアを責めることばかり言った。何度も手をあげた。優しい言葉をかけたことも、態度で示したこともない。怖がられて当然だった。

背後からフローリオがソルティアに向けて腕を伸ばした。
ソルティアは涙に濡れた顔をフローリオの胸に押しつける。細い二の腕で精一杯しがみつき、震える背中をフローリオの腕が抱き寄せた。
フローリオがソルティアにキスを送るたびに泣き声は小さくなっていった。
「何があったんだいソルティア?そんなに泣くなんて。僕がいるよ。大丈夫。」
そう言いながらその目はソルティアを見てはいない。
「怖いの。怖かったの…。フローリオ…。怖い……。」
しがみつくソルティアの頭を優しくなでながら、フローリオはヴァンに向かって笑った。

殺してやりたい。

もう幾度となく抑えつけてきたその衝動を今まで耐えられていた理由はたった一つだった。
ソルティア。
ソルティアさえいなければこんな場所はいつ出て行ってもいいのだ。
ソルティアさえフローリオのしがらみから逃れてくれたなら、いつでも目の前の男を葬ってみせる。
「…ソルティアにまたお願いにきたのか?ついさっき頼まれてた今度の奇跡はなんだよ。雪害の次はなんだ?今度は何をやらせる気だ!今までたくさん奇跡やら災害やらをソルティアに起こさせて…ソルティアが苦しんでることもわかってるくせに!聖教会の力を広げることがそんなに大切か!」
ヴァンはうつむき、まぶたを閉じて叫んだ。
ソルティアの小さな泣き声が耳に痛い。ソルティアもわかっていたはずだったが、今の言葉をどんなふうに聞いただろう。フローリオの胸に顔を埋めながら、どんなふうに聞いただろう。
胸に感じた痛みはすぐに消し飛んだ。

「大切?大切だよ。僕の人生にプレゼントされた楽しい娯楽だ。大切でないわけがないでしょう?」

殺してやる。
今すぐに。

胸はソルティアがいる。額だ。額を貫いてやる。いや、へらへら笑うその顔をまっぷたつにしてやろう。素早さには自信がある。悲鳴をあげる間もなく死ねばいい。
そう思いながらすでに足は動いていた。

かん高い悲鳴が剣を折った。
驚愕する前に体を壁に叩きつけられる。
まるで縫いつけたように体を壁に押しつけられ、骨が折れる音を聞いた。

「フローリオを殺さないで!フローリオを殺さないで!死なないで!フローリオっ……フローリオぉ…っ!」

ソルティアは泣きわめきながらフローリオに抱きついているだけだった。だが剣を折ったのも、ヴァンを壁に叩きつけているのも、紛れもなくソルティアなのだ。
「ソルティア。僕は大丈夫。ここにちゃんといるでしょう?ヴァンを離してあげてくれるかな?とても痛そうだ。」
フローリオはたった今とりとめた命を感謝することもせず困ったように微笑んだ。
「で……も……………フローリオが……っ」
「僕のいうことを聞いてくれないのかい?君はヴァンを殺したいのかな?」
ソルティアは力一杯頭を振る。
「違う…殺したいなんて思ってない。いうことちゃんと聞くから…嫌いにならないで。」
「よしよし、嫌いになったりしないよ。ただね、僕はヴァンを結構気に入っているんだ。今度からはもっと優しくしようね?ソルティア。」
懸命に頷くソルティアの姿をヴァンは薄れゆく意識の中でぼんやりと見つめていた。

ソルティアに出会ったのはほんの二年前だ。
エイフィールド人はオレを見るなり異端者だと叫んだ。オレは生粋のバルドン人だが、女の兵士はいても子供の兵士なんかいない。そう判断されたのも当然だと思う。
そのときは身元がばれなかったのをこれ幸いと思っただけだった。
あきらめなんか浮かばなかった。素早さには自信がある。絶対に逃げ出すつもりでいた。
突然眼鏡をかけたいけすかない優男に腕をつかまれたときも、オレはそう思っていたのだ。
「僕の名はフローリオ。ちょうど君くらいの年齢で黒髪黒目の子を探してたんだよ。」
憎悪の表情をさらすエイフィールド人の中で一人だけ浮かべていた優しげな微笑みが気に入らなかった。
フローリオと名乗った男は金を払わずにオレを買った。
連れて行かれた先を見て納得した。異端狩りの総元締めなら金も必要ないんだろう。
何をさせられるのかと思ったが、フローリオは命令せずに頼んできた。
「内緒なんだけどね。ここには君と同じ年頃で、君と同じ色の目と髪を持った女の子がいるんだよ。場所が場所だから友達がいなくていつも寂しそうにしているんだ。だから君が友達になってくれないかな?ソルティアっていう名前の、可愛い女の子だよ。」
オレは簡単に頷いた。
命令ではなかったものの下手に背いて逃げる機会を失うのは嫌だったし、頼みの内容をたいしたことないと思った。女は苦手だったが、適当に一緒に遊んでやればいいんだろうと思っていた。
ソルティアはオレを見るなり目をむいて叫んだ。
吼えるような声だった。
全身がオレを拒絶しているのがわかった。
オレは何が何やらわからずにフローリオを見た。
恐慌状態のソルティアの前であいつは変わらない微笑みを浮かべていた。
「ソルティア。ヴァンくんっていうんだ。彼は君と同じだろう?君の友達にと思って僕がここに来てもらったんだよ。これから仲良くしようね。」
君と同じ。
紡がれた途端部屋が揺れた。いや、大地が揺れていた。
それまで呆然としていたオレは霧が晴れたように悟った。
ソルティアは異端の異端だ。
エイフィールド人でありながら濃色を持ち、さらに王族しか持ち得ないとされている魔力をも持っているのだ。
ソルティアが全身で拒絶しているのはオレじゃなくて自分自身だ。
おそらく自分と同じ色の髪と目を持つ人間を初めて見たに違いない。
呪われた自分を二人見たような気になって恐怖で混乱しているのだ。
ソルティアはフローリオの名を繰り返し泣き叫んだ。
フローリオはソルティアの頭を長い黒髪ごと抱きかかえ、呼ばれるたびに言った。
「大丈夫だよソルティア。僕はここにいる。君がどれだけ呪われた存在だろうと僕だけは君を愛しているよ。」
ソルティアの部屋には鏡さえなかった。
オレは気分が悪くて仕方がなかった。
涙で顔をぐしゃぐしゃにしたソルティアを抱きしめるクソ野郎の優しげな微笑みを見てなんのためにオレを買ったのかはっきりとわかったからだ。
仕上げだ。
ソルティアの心を掌握する仕上げに使われた。
こんなクソ野郎は見たことがなかった。
ソルティアは泣きやんだ途端フローリオの言葉に従った。
体をがたがたと震わせて、奥歯をかちかちと鳴らしながら謝ってくる姿に無性に腹が立った。
「ごめ…ん…なさい……。初めて……見たの。私と……同じいきもの………。」
重ねて謝ってくる言葉に思わず殴りそうになった。
「オレはおまえと同じじゃない。オレはバルドン人だからな。」
身元がばれることも気にせず口走っていた。少しは慰めのつもりで言ったのだ。自分と同じものがふたつあると思って恐怖したのなら、違うことを教えてやろうと。
だがソルティアは寂しそうに笑った。
「……そう、よね……。私だ、け………。」
恐怖は少しだけ喜びに変わっていたのかもしれない。自分に怯えながらも自分一人だけではなかった喜びを感じていたのかもしれない。
初めてバルドン人であることを悔しく思った。

ソルティアの目に映っているのはいつもフローリオと自分自身だけだ。
オレが自分とは違うと知った今でも黒い色を見るだけで怯える。
自分の影を見ているのだ。
毎日うなされ続ける夢の中にいるのもソルティア自身だ。
自分の強大な力に誰よりも怯えていながら、フローリオの一言で簡単に奇跡と災害を起こす。
その度に恐ろしさを募らせていくくせに、その度にフローリオにすべてを預けるのだ。
なんであいつなんだ。なんでそんなに馬鹿なんだ。

なんでオレは今もここにいるんだろう。
続く。
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