『光でもなく』

プロローグ2

カオスとヒューバートが城門をくぐった途端馬が勝手に足を止めた。前方から見慣れた人物が駆け寄ってきたためである。短い黄金の髪を揺らして駆け寄ってきた青年はカオスの顔を見るなり力一杯抱きついた。
「カオスーーー!!!ん〜、マイスィートハニー!会いたかったぜこのヤロー!」
カオスはあからさまに顔をしかめたが、ヒューバートは見て見ぬフリをしている。
「話せヴォルト!鎧が痛い!貴様の怪力でふざけて私に抱きつくな!」
「つれねぇの。久しぶりなんだからもっとラブラブしようぜ。な!」
ヴォルトはカオスの銀髪に顔を埋めて気持ちよさそうに頬ずりした。カオスは寒気と鳥肌から躊躇なくヴォルトのみぞおちを殴りつけた。
「気持ち悪いことをするな阿呆。」
カオスの額には青筋が一本浮き出ていた。
「だってよー。せっかく迎えに来たのに戻ってきた騎士団の中におまえとヒューバートがいねぇんだもんよ。オレはもう寂しくて寂しくて思わずおまえに抱きついちまうわけだ。」
そう言ってもう一度抱きついてきたヴォルトのボディにまたもや一撃を食らわせると、カオスは冷ややかに言い放った。
「おまえがそのような愚かで情けない振る舞いをしていてはエイフィールドが滅びるぞ。もっと普段から毅然としていろ。」
「おまえの前でくらいいいじゃん。」
ヴォルトは急に真摯な表情になってカオスの目を見つめる。カオスは少したじろいだが、ヴォルトにしっかりと抱きすくめられていて動けない。
「……悪かった。」
カオスは片目を眇めて言った。
「ん〜にゃ。気にすんなって。オレおまえに怒られるの好きなんだよなー!もう今の反応とかドッキドキ!かーなーりときめいた!」
ヒューバートはこれから起こることを瞬時に予測し額に手をあてた。目を閉じると案の定拳が体にめり込む音が聞こえた。
「悪かった!悪かったってカオスちゃん。勘弁、勘弁して!きゃあぁぁっ。女の子がそんなとこ触っちゃイヤン!」
「変な声を出すな!怒ってほしいんだろう。なら心ゆくまで怒ってやる!このマゾが!」
今のこの二人を見て一体誰が王子と『銀騎士』だと信じるだろう。ヒューバートはエイフィールドの前途に多大な不安を抱いた。
「ヴォルト王子、申し訳ないですが私達はそろそろ行かねばなりません。パレードをぬけたお説教が待っていますので。」
ヴォルトはヒューバートの言葉に拗ねたように頬を膨らまし、カオスの肩にしがみついた。
「何おまえパレードぬけたのってやっぱまた騎兵と出くわしたからか。」
カオスはヴォルトの手を引きはがしてうなずく。
「バルドンとの情勢が変われば多少はましになるのだろうが、奴らとの敵対はもはや宿命のようなものだからな。親父は外交だけはオレに任せようとしない。オレが王位を継げば……、いや、やめておこう。」
ヴォルトはカオスの肩で「つかむ」「はがす」の攻防を繰り返しながら言った。
重い立場を感じてかヴォルトは実現可能と思われることしか口に出さない。自分の努力を計算に入れ、ありとあらゆる可能性を探ったうえで実現可能かどうかだ。ヴォルトが王位を継ぐか継がないかはともかく、バルドンと争い以外の道を見いだすのはそれだけ困難だということだった。
「ふっ。あいかわらずだな。国政の話をするときだけはまともな口調になる。」
カオスはヴォルトの手をつかんだ。
「おまえはいい王になる。私が保証してやる。」
ヴォルトは満面の笑顔でカオスに抱きついた。
「でかい図体で私にしがみつくな阿呆が!」
「ヴォルト王子、どうしてそんなにもこりないんですか……。」
ヒューバートのつぶやきはカオスの罵声にかき消されてヴォルトの耳に届くことはなかった。
「カオスー!明日おまえの誕生日だろ!盛大に祝ってやるからちゃんと家にいろよー!ヒューバートばっかずるいぞー。たまには独り占めさせろケチー。」
ヴォルトの声を背中に受けながらカオスとヒューバートは兵舎へと向かった。

「カオス様、ヒューバート様!どこ行ってたんですか!隊長すっごく怒ってますよ!」
馬屋に馬をつなぐなり、駆けつけてきた白騎士のハミルが早口で言った。
白騎士とは騎士見習いのことである。エイフィールド軍の構成は上から騎士隊、白騎士隊、騎兵隊となる。貴族や庶民から集まった騎士志望者のうち審査で通った者が白騎士隊に入隊を認められ、その中からさらに実力を認められた者のみ騎士隊に入隊できる。騎兵隊は希望すればどのような者でも入れるいわば寄せ集めの軍隊である。平時はもっぱら街の警護にあたっている。しかし実際にはその仕事のほとんどは異端狩り。突然変異で生まれてきた濃色を身に纏う人間を処刑することである。これらの部隊を総称して騎士団という。
そして騎士団の中でも最も英雄的行いをした者に捧げられるのが『銀騎士』の称号であり、ハミルは英雄カオスとその副官であるヒューバートを心から尊敬していた。
カオスは愛馬シルフィードの背をなでさすりながらため息をついた。
「だろうな。隊長は規律を乱す者が許せない方だから。ヒュー、すまない。また一緒に怒られてもらうぞ。」
「何を今さら。あなたの副官になったときから出世はあきらめていますよ。」
「理解ある副官で嬉しいことだ。」
ハミルはそんな二人のやりとりを見て心底呆れたように力を抜いた。
「もう何言ってるんですかぁ。だいたいカオス様はなんでパレードを抜け出したんです?理由もなくそんなことをするあなた方じゃないのに。」
「いいや、パレードが退屈だったからだ。ハミル、私達の心配はしなくていい。おまえも隊長ににらまれるぞ。」
カオスがハミルの頭をポンと叩くとハミルは拗ねたように口をへの字にした。
「タブロー隊長は僕のような下っ端なんて覚えておられませんよーっ!」
何気なくつぶやいた言葉にカオスが真剣に反論する。
「本気でそう言っているのか?隊長は優れた武官だぞ?おまえのような才能ある騎士を見逃すものか。おまえは必ず隊長の目にとまっている。必ずだ。」
真剣に、本当に真剣にそう言うのだ。ハミルは曲げた口をむずむずさせて目をそらした。その先にいたヒューバートはハミルと同じ表情をしていて、二人は同時に困ったように微笑んだ。

「カオス、わかったから早く私のところに来てくれないか?私はもう君に言う言葉を考えすぎて頭痛がしそうなんだが。」

急に怖いくらい聞き覚えのある声がして三人はその方向に振り向いた。
馬屋の入り口で腕を組んで立っている人物はまぎれもなく隊長タブローである。
素早く姿勢を正して敬礼すると、タブローは眉をつり上げて言った。
「カオス、ヒューバート、すぐに私の部屋に来なさい。」
カオスとヒューバートは即返事をしてタブローの横に並ぶ。タブローはマントを翻らせて歩き出した。
「それとハミル、悪いが二人の馬の手入れを頼む。後でこの二人にわびをさせよう。」
「は、はい!タブロー隊長!」
ハミルは驚きと喜びで大声を張りあげ、カオスとヒューバートの背中を見た。きっと微笑んでいるであろうその顔を想像して。

タブローの話は二人の予想をまったく裏切らないものであった。
「カオス、『銀騎士』を名乗り、しかも『白銀の剣』に選ばれし者ともあろう君がどうしてことあるごとに騒動を起こすんだ。ゾマダーフ殿から君が騎兵隊の仕事を妨害したと知らせを受けている。前から思っていたが君は異端者にこだわりすぎてはいないか?」
カオスはタブローの目をしっかりと見つめた。
「私は私の良心に従っているだけです。凱旋パレードを抜け出したことは深くおわびいたします。罰則はなんなりと。では。」
タブローは切れ者だがまじめすぎて頭が固い。カオスは話してもムダだということを知っていた。どんなに優れた人物でも常識に捕らわれている人ではダメなのだ。カオスの考えは理解できない。異端者というなら、カオスはまぎれもなく異端であった。しかしカオスは『銀騎士』の称号に守られている。『銀騎士』を象徴として利用しようとしている騎士団始め上流階級の人間が嫌でもカオスを失墜させない。カオスは煩わしくてしょうがないと思いつつも、ならばいっそこちらが利用してやろうと問題行動を繰り返すのだった。
「待ちたまえカオス!」
低くて威厳のあるタブローの声がカオスを呼び止めた。
「民の間で妙な噂が流れている。『銀騎士が異端者を隠している。』とね。君が何をしたのかは知らないが人心を惑わす噂を作るような行為はやめなさい。私はこの噂は嘘だと信じている。だが真実だった場合は騎士隊長として規律を正さねばならない。そのとき私は手段を選ばないだろう。覚えておいてくれ。」
「……わかりました。」
カオスは敬礼し、タブローに背を向けた。

「ヒュー、私は隊長の忠告に感謝と怒りを感じている。」
カオスは通路を歩きながらずっと無言のヒューバートに語りかけた。
「わかっています。そしてあなたはこれからも同じことを続けるのでしょう?」
ヒューバートは非難するでもない口調で言った。この青年はいつもそうだった。いつもいつでもカオスに心地よい空間を与えてくれる。それがカオスにとってはこの上なく嬉しく、同時に不安なのだ。
「おまえはいつでも私のそばから離れていいぞ。」
と、使い慣れてしまったセリフを口にすれば、
「いいえ。私はあなた以外にお仕えする気はありません。」
間髪入れずいつも同じセリフを返してくる。まるでカオスが一番望んでいる言葉を知っているかのように。
「ヒュー、ヒューバート、私は不安だ。おまえは私と話しているのか?私の思うままに動いているのか?」
ヒューバートは目を見開いた。まさかカオスがそんなことを言い出すとは思っていなかった。
「おまえはいつも何も言わずついてきてくれたがおまえ自身の考えをしっかりと聞いたことはなかった気がする。おまえは私がしていることをどう思っている?」
カオスがヒューバートの顔をのぞき込む。ヒューバートは少し身じろぎした。
「私はあなたが何も聞かなかったのはてっきり私の心を理解してくださっているからだと思っていましたが違うのですか?それとも上官の命令なら死も受け入れるであろう愚か者だと?」
答はわかっているのだ。この男は。わかっていて言っている。
「おまえは時々誰よりも意地が悪い。」
カオスは奥歯で苦虫を噛みつぶした。だが不思議とそんなに苦くはなかった。
「カオス様、そろそろ帰られてはどうでしょう。どうせ明日には令状が届くでしょうしそれまでは自主謹慎ということで。おそらく今長居しても良いことはありませんよ。」
笑いをこらえながらの提案にカオスは渋々従うことにした。『銀騎士』にあるまじき行動の多いカオスには敵も多い。騎士団内でのカオスの立場は非常に微妙なものだった。
「しかし明日はあのうるさいのが来る。令状が届くとさらにうるさくなるだろうな。……。ヒュー、おまえも来ないか?」
「いえ、私は遠慮しておきます。ずるいと言われてしまいましたし、何よりカオス様とヴォルト様は特別な間柄ですから。しかも誕生日となればあなた方にとってはとても大切な日ではないのですか?」
ヒューバートはたしなめるように微笑んだ。カオスは深いため息をつく。
「わかった。たまにはあの変態の好きにさせてやることにしよう。」
そう言ってきびすを返すと、もうヒューバートの方を見ない。この二人はいつも空気で挨拶を交わす。今日の別れの言葉はもう終わったのだった。だが今日のヒューバートはしばらくカオスを見守り、カオスが角を曲がろうとしたときに声をかけた。
「カオス様、お誕生日おめでとうございます。」
カオスは動きを止めて振り向く。
「明日はお会いできないでしょうから今のうちに。」
カオスは華のように笑って手を振った。


騎士隊長タブローは今日の戦況を地図に記して眉間にしわを刻んだ。今日は誰の目から見ても稀に見る勝ち戦だった。だがタブローの眉間が平らになることはない。タブローは神経を張り巡らせながら人の声が近づいてくるのを聞いた。多くの者がかしずく声が次第に大きくなる。誰かはすぐにわかった。
「ヴォルト様、ようこそいらっしゃいました。」
タブローは扉が開くと同時にその名を言い当てた。
ヴォルトはまったく驚かずにうなずき、乱暴にイスに腰掛けた。そのすぐ横には利発そうな小姓が控えている。そして部屋の前には護衛の兵が何人か立っていた。
タブローは王子が何の用かと内心動揺していた。まさかカオスの件だろうかと考えて心の中で首を振る。政治のほとんどをその身に任せられ名君と名高いこの王子がそんな愚鈍な真似はするまい。では何であろう。他には思い当たらなかった。
「タブロー隊長、本日はご苦労であった。疲れているところ申し訳ないが今回の戦についてお話をお聞きしたい。」
タブローはヴォルトの顔を見、しばし固まった。予想外の言葉だったのだ。
「率直な御意見をお聞かせ願う。今回の戦、バルドン軍は何が目的だったのだ?」
それはタブローがさっきまで眉間にしわを寄せて考えていたことであった。
「結界がある以上攻めてくる方が不利。しかしバルドンはそれを承知で攻めてくる。ここまではいつものことだ。だが今回結界の周辺は雪が降っていたはず。雪の日は奴らが忌み嫌う『白』が空から降ってくる日。絶対にバルドンが攻めてこない日ではなかったか?毎年この季節に奴らが攻めてくることはなかったはずだ。今回バルドンは何が狙いだったのだ。」
「申し訳ありません。私にはわかりかねます。」
タブローは土下座してわびたい気分になった。
「しかし、騎士達の一部が妙なことを申しておりました。バルドンの王子がカオスに何か言って消えたと。」
タブローは必死で手持ちの情報をすべて見せた。ヴォルトは真摯な表情のまま無言でうなずく。
「そうか。ではカオスの方に詳しく聞くとしよう。タブロー隊長、ご協力感謝する。今日はもう休まれい。」
「はっ。」
タブローは深く一礼して扉の閉まる音を聞いた。

ヴォルトはカオスの家がある方角を向いて目を細くした。
「ヴォルト様、今からカオス様のところに行くのですか?」
小姓のアシュレイドがその顔を見上げて首を傾げる。
「んー、そうだな、行きたいけどな。明日はあいつとゆっくり過ごしたいし、それには今日のうちに仕事片付けないとなぁ。せっかくのあいつの誕生日にこんな話を持ち出すのは嫌だが……明日は一日ラブラブベッタリだ!ちょっとくらいは問題ナッシング!」
「ヴォルト様、ラブラブとかいう言葉はカップルが使うものです。そういうことはカオス様に告白なさってからにしてください。まったく不甲斐ないんですから……。」
アシュレイドはジト目でヴォルトをにらんだ。
「へーへー。ったくおまえはきっついなぁ。だってカオスにとっちゃオレは兄妹なんだぞ?簡単に告白とかしたらすっげぇ怒りそうじゃんあいつ。だったらオレは多少切なくても変態さんでいいのー。」
ヴォルトは頭を掻きながら白い歯を噛み合わせて見せた。アシュレイドがさらに冷ややかに言う。
「ああ、不甲斐ない……。情けない……。」

ヴォルトとカオスは友人以上の関係である。とはいっても恋人などではない。深々と雪の降り積もる日に捨てられていた生まれたての子供。赤ん坊だったカオスを拾ったのがヴォルトで、ヴォルトの強い願いにより二人は同じ乳母の手で育てられた。要するに乳兄妹なのだ。
明日はカオスの誕生日。
おそらくカオスが生まれ出たであろう日、そしてヴォルトがカオスを拾った日だ。

ヴォルトは歩きながらそっと腰の剣に手を触れ、すぐに離した。
「ヴォルト様?」
「なんでもない。」
ヴォルトはすっと前を向いて山のような書類が待つ部屋へと急いだ。
続く。
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