『光でもなく』

プロローグ1

銀騎士カオスは白刃をきらめかせ、エイフィールドに降りしきる雪のように舞った。一騎当千。鬼神のごとき戦闘力とは裏腹にその動きは限りなく優美で華麗である。バルドンの戦士の中にも戦闘中であることを忘れて思わず見とれてしまう者がいるほどだ。見事な白馬を雄々しく駆る銀鎧の騎士。その手に持った『白銀の剣』は創世記に出てくる伝説の剣の一つであり、剣に選ばれた人間は必ず当代一の剣士であった。
英雄『銀騎士』の名を持つ者が現れたときからこの戦闘の勝敗は決していた。バルドンの兵達はすでに退却の準備にかかっており、あちこちから白旗があがっている。
「勝負は見えましたね。」
カオスの後方を援護していたヒューバートが敵と剣を交えながら言った。
「ヒュー、無駄口をたたくな。油断は禁物だ。痛い目を見るぞ。」
カオスの剣がまた一人敵を斬る。
ヒューバートは忠告を守りそれ以上は口を開かなかった。
凍てついた地面を赤い血が溶かす。淡色の世界であるエイフィールドに持ち込まれた濃色の災いが白い地面に染みこんでいく。バルドンが兵を送ってくるのはそう珍しいことでもなかったがカオスはこみあげてくる嫌な予感を消せずにいた。小さいけれど、いつまでも胸を刺す。それを振り払おうと剣を凪いだ瞬間、
目の前に黒い影が現れた。
影はカオスの鋭い剣尖をかわして不敵に微笑んだ。
「貴様、できるな。」
カオスは突如現れた黒騎士に賞賛の言葉を贈るとすぐにまた攻撃をくり出した。
しかし黒騎士はその攻撃のすべてをよけ続ける。まるで剣を抜く気がないようだ。
「何をふざけている。」
眉をひそめたカオスの言葉に黒騎士は剣を向けられているのもかまわず笑い出した。
「笑っちゃうねぇ『銀騎士』カオス。親父も面白いことを考えついたもんだ。」
「何を言っている?」
黒騎士は質問を無視してカオスの顔をまじまじと見つめた。そこには生死を賭けた緊張感も追いつめられた焦燥感もない。味方の軍勢が退却に追いやられ、今まさに目の前にいる相手が敵の主力だということをわかっていないとでもいうのだろうか。
周囲の敵をあらかた斬り倒したヒューバートが黒騎士の背後から斬りかかったが、これも軽くかわされ、二対一、二人がとめどなく攻撃し一人がよけ続けるという奇妙な形ができあがった。
「やめとけやめとけ。いくらやってもムリムリ。それにオレ今回は元からおまえらと遊んでやる気ないんだわ。観察以上のことをすると親父に怒られちゃうだろ。じゃあ、な。」
黒騎士が宙に手をかざすとその体を紫がかった光が包んだ。
「これは移動魔法!おまえもしや王族か!」
「ああそうだ。オレの名はジェス。バルドンの王子。これからのためによく覚えとけよ。」
不敵な王子は空間の歪みに消え、カオスは残された言葉の意味深な響きにますます不快感を募らせた。

「バルドンの奴らが退却したぞ!捕虜の捕獲にかかれ!」
ほどなくして戦場に騎士隊長タブローの声が響いた。
「随分とあっけない戦いでしたね。」
ヒューバートの声が聞こえていないわけではなかったが、カオスは何も言わずに戦場に立ちつくしていた。
「さっきの男が気になりますか。」
肯定の証のようにカオスの瞳が瞬く。
「あの男の言動は理解できません。ですが彼がバルドンのジェス王子であるならばこれから嫌でも関わってくるはずです。答はきっとそのとき出ますよ。それより今は勝利を喜びましょう。そんな顔で帰還してはヴォルト王子が心配なさります。」
「あいつはうるさいからな。」
カオスはようやく口元に小さな微笑みを作ってうなずいた。
兜を取って息をつく。銀色の見事な髪がさらりと背に流れた。白い雪が一面の屍を覆い隠していく中、銀の輝きが風に混じって持ち主の周りに光を生む。青灰色の瞳がすっと眇められ、カオスは首を振って長い髪を払った。姿だけ見れば誰もこれがさっきまで戦場で一番の働きを見せていた騎士だとは思えないだろう。

カオスは美しい顔立ちをした女性であった。

カオスは率いていた一個師団を集めると彼らが捕らえた捕虜たちを前にして深憂を抱いた。
捕虜はたいてい黒髪黒目をしている。闇をもたらす針葉樹林の森と漆黒の夜以外は淡色しかないエイフィールドで濃色は忌むべき色であり、特に黒は呪いを司る色とされているためエイフィールドの民はバルドンの民を毛嫌いする。逆にバルドンでは淡色が忌むべきものとされているのだが、カオスは以前からこのことに大きな疑問を抱いていた。エイフィールドに淡色しかないのはエイフィールドが光の世界だからであり、逆にバルドンは闇の世界だからである。このことは創世記にも記されており、王族のみが持つ魔力によって実際に証明されている。エイフィールドの王族は光の魔力を、バルドンの王族は闇の魔力を代々受け継いでいるわけだが、それがなんだというのだ。
と、カオスは思う。
光と闇は相反するものだが、光に属する民も闇に属する民もみな同じ人間である。人間同士が何故根拠もないくだらない理由で争わなければならないのか。あまりにも盲目的ではないか。
戦闘がある度にカオスは自問する。今回もこの後捕虜を連れ帰って引き渡さなければならない。その後各地に送られ過酷な強制労働の末苦しみのうちに死んでいくのだとわかっていても。カオスはいつもエイフィールドの民としての立場と自らの正義の狭間で苦悶していた。だからこそカオスは自ら捕虜を捕らえることをしない。一番の名誉とされる騎士の中でも英雄の称号である『銀騎士』の名を持つ者が一個師団長の座に甘んじているわけはそこにあった。副官のヒューバートだけがそんなカオスの苦しみを知っているのだが、その苦しみがあまりに深いゆえに何も言えないのだ。
「……王都へ凱旋だ。」
兵たちの勝ち鬨の声がカオスの心に重く響いた。


街は凄まじいほどのにぎわいだった。英雄である銀騎士カオスの姿を一目見ようと大勢の人々がつめかけてくる。同時に捕虜に石を投げに来る民衆もいる。カオスは前だけを見つめて人々の前を通り過ぎていった。
「カオス様、それにしても今回のバルドンの動きは妙だったと思いませんか?」
カオスの気を紛らそうとしてヒューバートが馬を寄せてきた。
彼のさり気ない気遣いはいつもカオスの心に小さな平穏をもたらす。
「ああ。いつものように結界を破壊しに来たにしては随分と兵の数が少なかった。にも関わらず王子が同行している。何か裏があると見て間違いないだろう。」
「確かジェス王子は『観察』と言っていましたね。結界の状態を、でしょうか。」
「王族自らか?それに『観察』では少々言葉が変だろう。こういうときは『偵察』ではないのか?よもや言葉の使い方を知らないわけではあるまい。」
「いずれにしろ詳しく調べてみる必要がありそうですね。」
会話は一段落したがヒューバートはカオスの側を離れようとしなかった。カオスはあまりの過保護ぶりに辟易しながらもヒューバートという存在の心地よさに身を任せた。
しかしその心地よさはすぐに聞き覚えのある騒音によって叩き潰された。
甲冑を着た大勢の騎兵が石畳の街道を歩く音。異端狩りの宣告だ。しかも見物人を呼ぶ笛の音までする。
カオスは思わず列から離れて民衆の群れへ飛び込んだ。予期していたかのようにヒューバートもすぐに後を追う。歓声がいっそう大きくなった。

裏通りの路地で整列した騎兵たちの先頭で、騎兵隊長のゾマダーフは固く閉ざされたままの扉に向かって呼びかけた。
「おいおいおーい、隠さない方が身のためだぞ。おまえらはこのエイフィールドを滅ぼす気かぁ?タレコミは入ってる。観念して差し出した方がみんな丸く収まるんだがなぁ。」
扉に反応はない。代わりに路地のあちこちから罵声や物が飛んでくる。
「ほらほら。みなさんお怒りだ。個人的な感情のために集団に迷惑をかけちゃいけないぞ?社会の規律を守れない者にはお仕置きするしかないんだけどなぁ。」
ゾマダーフはいたぶるようにネチネチとなじり続けた。
その様子を少し離れたところから見ていたカオスとヒューバートは手慣れた様子で壁を上り屋根を飛んだ。騎兵に気付かれないように天窓から侵入する。
「カ、カオス様!」
突然の侵入者をその家の住人は驚きというよりは歓喜の表情で迎え入れた。
「ああ、あの噂は本当だったのですね。どうか、どうか私共をお救いください。」
ひざまずく家人を制し一礼すると、カオスは部屋の隅で小さくうずくまっている少女に目をやった。
少女は艶やかな黒髪であった。
全身を震わせ顔をあげようとしない少女。カオスはその黒髪を優しくなでた。少女がびくりとわななくのもかまわず黒髪を手にすくい、梳くようにしてなでた。
「ありがとうございます。カオス様、ありがとうございますっ。」
エイフィールドでは呪われた黒に触れようとする者はいない。触れた者は呪いを受け、本人も呪われた存在になると信じられている。
「夫人、私は黒を纏って生まれ自らの運命に怯えている者を見れば必ずその身に触れるようにしている。だが私が呪いを受けたことは一度もない。私はこの子が呪われた存在であるなどとは信じない。」
夫人はカオスの言葉に涙を禁じ得なかった。
「この子が『呪い』から解放されても黒を纏って生まれた我が子を今まで大切に育ててきたその気持ちを忘れないでほしい。」
カオスの手のひらにほのかな光が集まった。太陽のようにまぶしい黄金の光。カオスが手を触れたところから闇のような黒髪が次第に黄金に染まっていく。カオスがそっと手を離すと、少女の髪は見事な金髪に変わっていた。
「封印のようなものだ。わかっているだろうがこのことは他言無用にしていただく。」
夫人は言葉の出てこない口をしっかりと結んで力一杯首を縦に振った。

「出てこないならそろそろ実力行使で行くしかないんだがなぁ。」
扉の前ではいいかげんなぶることにも飽きてきたゾマダーフがいやらしい笑いを浮かべて剣を抜いた。騎兵たちもすでに踏み込む準備は万端で後は号令を待つだけである。
「ゾマダーフ様、カオスが凱旋パレードから姿を消したそうです。早く踏み込まないとまたやられますよ。」
「何ィっ!」
副官タルズの報告を聞いた途端ゾマダーフの顔色が変わった。
「全員いっせいに踏み込め!」
数本の剣が扉をぶち壊し強引に侵入する。上段から一気に振り下ろした剣はそのまま床に突き刺さり、豪快に床板のはがれる音が耳に届く。というのが通常なのだが、聞こえてきたのはもっと研ぎ澄まされた音だった。扉の反対側でカオスがすべての剣を受け止めたのだ。
「まーたあなたですか銀騎士カオス。」
「『また』と言われるほどこのような状況であなたと顔を合わせたことはないはずですが?ゾマダーフ殿。」
二人は民衆のどよめきを聞きながら鋭い視線を送り合った。
「しかーしぃ、高名なる銀騎士殿がこのような不浄の場にどういったご用件で?」
カオスたちとゾマダーフの周りを大勢の騎兵が取り囲む。
「『不浄の場』とは、どういう意味です?エイフィールドを支える尊い民の家をそのように言われるのはいささか無礼ではないでしょうか。」
「普通の民ならば、ねぇ。ところがここに住んでいるのはただの災厄なのですよ。」
ゾマダーフはカオスを高圧的に見下してニヤニヤと笑った。カオスは嘲笑で返す。
「ほう、ではゾマダーフ殿はここに異端の者が住んでいると?私にはどう見ても一般家庭にしか見えませんが。」
「よく見られよゾマダーフ殿、この家の者はすべて金の髪に水色の瞳。カン違いも程々になされよ。」
ヒューバートは騎兵を押しのけゾマダーフからよく見えるように家人の姿を見せた。
タルズが夫婦の間で震えている少女のあごに手をかけしっかりと確認する。金の髪がサラサラとタルズの指の間をすり抜けた。タルズが指で合図をすると一人の騎兵がバケツいっぱいの水を少女に浴びせかけた。
「何をする!」
カオスは思わず大声を張りあげた。
「おや、何故カオス様がそのようにお怒りになるのです?私はこの金髪が本物かどうか確かめただけ。このようなことは騎兵の中では日常茶飯事ですよ。高貴な銀騎士殿にはおわかりになれないかもしれませんが。」
タルズはその後少女の頭をなで他の騎兵に後始末をさせたためカオスもひとまず退いたが、こみあげる怒りは抑えるのが精一杯でいつ爆発してもおかしくなかった。
「ゾマダーフ様、どうやら全員髪も目も本物の色のようです。」
「……またですか。いないのなら仕方ない。どんな手品を使ったかは知りませんが……カオス殿、あなたとはあまりお会いしたくありませんねぇ。まぁこの場は我々が退きましょう。」
ゾマダーフは壊れた扉を蹴飛ばして撤退した。民衆は期待はずれの騒動に愛想をつかし、路地は急に静かになった。
「カオス様、パレードをぬけてからすでに半刻ほど経ちますよ。早く登城しなければヴォルト王子がお拗ねになられます。タブロー隊長のお説教もあることですし。」
ヒューバートの耳打ちを聞き、カオスは頭を抱えてうなずいた。
「では私共はこれで失礼する。何かあれば騎士団まで来られよ。」
カオスは一礼してその場を後にした。
家の者はその姿が見えなくなるまで地にひれ伏しまったく動こうとしなかった。
「カオス様はなんて高貴なお方なのでしょう。私達でさえ触れることを戸惑うことがあった娘の髪を躊躇いもせずなでてくださった。」
「ああ。まさか金髪の娘の顔が見られる日が来るとは……。」
「ええ。なんて不思議な……。魔力は王族しか持たないはずなのに。」
「あの方の恩に報いるためにも私達はこの子を幸せにしようじゃないか。」
「もちろんだわ。」
夫婦は目に涙をためて自分たちの娘をしっかりと抱きしめた。
続く。
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