『光でもなく』

第一章3

ヴォルトの説得は簡潔だった。
「カオスの失踪は私の命によるものである。諸君らに説明もなく任務に赴かせたことを心から謝罪する。カオスが戻る日までそれぞれの務めを果たし待て。」
突然の王子の登場とこの言葉に場は急にざわめきたった。
納得するでなく反発するでなく、混乱がそこら中から伝わってくる。
旗を持っていた騎士がよく通る声で言った。
「おそれながらヴォルト様、カオス様が突然お姿を消されたことにより騎士団内にカオス様の名誉を傷つける噂が流れております。カオス様の名誉を回復するためにも明確なお言葉をいただきたく…」
ヴォルトは睥睨して声を低くする。
「よく考えよ。私がこのような事態を招くであろうことを承知の上で命じた任。この場で明かすと思うか。カオスへの忠誠を示すのは良いが大事なことを忘れてはならん。そなたらはエイフィールドの騎士。カオスの騎士ではない。そしてまたカオスもエイフィールドの騎士なのだ。」
ざわめきは止んだ。再びしんと静まりかえった訓練場にヴォルトの声だけが響く。
騎士達は様々な思いを胸にヴォルトの言葉に耳を傾けた。
「噂は私の耳にも入っている。だがくだらぬ。くだらぬ噂だ。そなたらが見つめてきたカオスの姿は噂ごときにかき消されるようなものか。噂といえどカオスの名誉が傷つくのが我慢ならぬというのなら諸君らで守ってみせよ。諸君らの抗議行動はすでに多くの大臣達が耳にしたであろう。罰則を受けるのは諸君らだが責任を問われるのはカオスぞ?」
旗を持った騎士は黙り込み、跪いて地面を見つめた。
他の騎士達も無言のまま唾を飲み込む。
ヴォルトは張りつめた空気を和らげるかのように微笑みを浮かべた。
「カオスを信じて務めに励め。戻ったとき部下の腕が落ちていてはカオスも困ろう。」
そこにタブローが普段と同じ調子で告げる。
「今日の訓練を開始せよ!」
騎士達はゆっくりと日常の光景へ戻っていった。
だがただ一人立ちすくんだまま動かない者がいた。
ヴォルトもタブローもいぶかしげに男を見つめる。
白い鎧に身を包んだ騎士は弾かれたように動き出しヴォルトに駆け寄った。
「今朝の騎士か。」
「はい、白騎士のハミルにございます。」
足下に跪いてまっすぐにヴォルトを見つめてくる。
まだ少年のようなあどけなさを残した顔を彩るその瞳は澄んでいて、王子という地位にいるためか良くも悪くも人の本質を見抜いてしまうヴォルトにはハミルが邪気のない素直な性格だということが容易に読みとれた。
タブローがおそらくは注意しようとしていたのを片手で制し、何の用かと態度で表す。
ハミルは緊張した面持ちで述べた。
「お、お願いします。僕をヴォルト様のおそばに置いていただきたいのです。」
タブローは目を見張り、ヴォルトは眉間にしわを寄せた。
「ヴォルト様には近衛がいらっしゃらないとお聞きしました。僕…あ、いえ私はまだ白騎士の身で、このようなことを言うのはおこがましいと承知しております。ですがどうしてもヴォルト様のお側にお仕えしたいのです。」
「理由を述べよ。」
冷ややかな声でヴォルトが言った。
「見極めたいことが……あるのです。それ以外に他意はございません。」
ハミルは冷や汗をかきながらもしっかりとヴォルトの目を見つめた。
ヴォルトは眉をひそめたがそれも数秒で、すぐにタブローの方に目をやった。
「ハミルは良からぬことを考える輩ではないと記憶してはおりますが…しかし…」
タブローはためらいがちにつぶやく。
「騎士団に問題がなければよい。私はちょうど今から雪害地の視察に赴く。ついてくるがいい。だが私の側にいるということは私の命を狙う輩や私自身にいつ殺されても文句は言えないということだ。覚えておけ。」
「はいっ。ありがとうございます!」
タブローは首を傾げた。
ハミルが一体何故こんな事を言いだしたのか理由がわからなかった。
ヴォルトに心酔でもしたかそれとも…
思案していると小姓アシュレイドが小さな声でヴォルトの名を囁いたのが聞こえた。
不思議に思ってそちらを向くと、ヴォルトとアシュレイドの視線の先に白い人影が見えた。
遠目から見てもわかるその姿は紛れもなく……
「王妃……」
ヴォルトは苦々しい気分でつぶやいた。
その白い肌を惜しみなくさらした大胆なドレスに身を包んだ女性は、ヴォルトに近づくと艶めかしく微笑した。どこか表面的な冷たい微笑みはそれでも美しい。すりよるような動作で腕を絡めなでるような声を出す、妖艶な美女という形容がふさわしい熟女だった。
「こんなところにいたのねヴォルト。王がお呼びよ。」
「王妃自らお迎えですかデリージア様。」
ヴォルトはいっさいの感情をうち消した表情を向けた。
「いいえ、騎士達が妙なことをしていると聞いたので見に来たのよ。もう終わってしまったようね。」
まったく残念そうな素振りを見せずに訓練場の様子を見回す。
「お恥ずかしい限りでございます。」
「気になさらないでタブロー。すべてはカオスの失踪のせいなのでしょう?」
一見柔らかそうに見えるその言葉には多分に毒が含まれている。
ヴォルトは促すように腕をひいた。
「王をお待たせするわけには参りませんので。」
王妃は口の端で笑って腕を絡めたまま歩き出した。
が、ふと何かに気づいたかのように足を止めた。
「あら、そこにいる可愛い子は昨夜タルズと面白い話をしていた子じゃなくて?」
視線の先にはハミル。
とまどうように体をすくませたハミルにヴォルトはわずかに目を細める。
王妃はその微かな表情の変化に満足したかのように微笑んで歩き出した。腕を絡められたままのヴォルトはハミルに不信感を抱きつつも大人しく歩いていった。少し距離をあけてアシュレイドもついていく。
残されたタブローは様子のおかしいハミルに厳しい表情でつめよった。
「ハミル、何故突然あのようなことを…?」
ハミルは固く目を閉ざして
「僕はカオス様とヒューバート様を尊敬しています。お二人が大好きなんです。」
としか言わなかった。
力のこもった瞼が小さく震えていた。

謁見の間にはアシュレイドも同行を許されない。
アシュレイドは重い扉の向こうに消えていくヴォルトをじっと見つめていた。
やがて扉が完全に閉ざされその姿が見えなくなるとアシュレイドは再び現れる主君を迎えるために跪いた姿勢で待つ。顔を下げているため目には高級な絨毯しか映らない。アシュレイドはこの時間が嫌いだった。
王にはヴォルト以外子がいない。ヴォルトの母はヴォルトがまだ幼い頃に亡くなり、後妻として迎えられたデリージア王妃にも未だ子は生まれず。妾もいなければ愛人もいなかったのでヴォルトは何の問題もなく世継ぎに選ばれた。
だがそれでも、王室という場所に問題がないわけがないのだ。

アデレド王は憂鬱そうについた頬杖を緩慢な動作で顎にやったり頬にやったりしていた。
これはどうやら良い話ではないらしいと半ば予想のついていたことを確信に変える。
カオスのことか……
ヴォルトはつきたいため息を飲み込んだ。
王妃が王の隣の玉座に腰掛け、にこにこと笑顔を向ける。
王はその顔をちらりとも見ずに口を開いた。
「ヴォルトよ、カオスが失踪したそうだな。」
「私の命故にございます。」
「何か考えがあってのことか。」
「もちろんでございます。」
「そうか。ならば良い。内政のことはおまえに任せた。私が口を出すようなことはない。」
ヴォルトは頭を下げつつ違和感を感じていた。
王は今まで自分に何もかもを任せていたのだ。それこそ少し気になることが起こったからといって自分を呼び出したりすることなどなかった。これで終わりとは思えない。頭を下げたまま王の言葉を待っていると王妃が席を立つ音がした。
どうやら王に人払いをされたらしい。無言で席を立ち謁見の間を去っていく。
あまりに静かな謁見の間に、扉が開閉する音が低く響いた。
王は大きく息を吐き出し玉座に寄りかかった。
「カオス失踪に伴い妙な噂が流れているようだな。」
「父上までご存じでしたか。」
ヴォルトは驚きに目を見張った。さすがに王の耳にまで届いているとは思わなかったのである。だが次の言葉を聞いた瞬間ヴォルトはさらに驚いた。
「聖教会がカオスを捕らえたいと言ってきた。」
可能性を考えていなかったわけではなかった。だがしかし……
「そのようなことをできるはずがありません!」
ヴォルトは顔を上げて声を張り上げた。
「感情で話すでない。」
「いえ、冷静な判断でございます。カオスは『銀騎士』としてエイフィールドの象徴的存在であり国民にも絶大な支持を得ております。教会側の考えは理解しがたく国民に混乱を及ぼすだけかと。」
声を張り上げたのは最初だけで至極淡々と意見を述べる。感情で話していても国政の前にはただのわがままにしかならないということをすでに理解している。例え王子といえど私情にまみれた勝手が通るほど政治は甘くはない。ヴォルトは唇をかみしめた。
「そう、その通りだ。だがカオスはおらん。表だった行動は止められても流れ出す疑惑を止めることはできぬだろう。おそらくは聖教会もそれが狙いだ。最初から交換条件を出してきた。」
ヴォルトは嫌な予感がした。聖教会が出した交換条件などどうせろくなものではない。
そしてこの予感は絶対と言っていいほど当たるのだ。
「異端者を捕らえた者に免罪符を発行したいそうだ。」
ヴォルトは一瞬言葉が理解できなかった。
鼓膜の振動が心に届くまで数秒の時間を要した。やがて指先までが震え、ようやく声帯にまで届いた。
「馬鹿なっ……!」
「そう、馬鹿なことだ。だが民のほとんどは聖教徒といってよい。聖教会を敵に回すと政が立ちゆかん。いつか外交を任されるときの修行だと思え。」
まるで先ほどのヴォルトのように王が淡々と述べる。その唇は噛みしめられてはいなかったが。
「では王は要求を受け入れると…?」
「カオスを捕らえさせるわけにはいかぬだろう。」
確かに王にとってはそうであろう。カオスはエイフィールドの英雄であり、象徴といっても良い人物なのだから。その代わりに異端者がどうなろうとたいした問題ではないに違いない。
だがこれでは!こんなことが!
口の中が渇いていく。ヴォルトは体中を走り回る叫びを外に出せずにただ小刻みに唇を揺らした。唇だけではない、激しい怒りに体が震える。
こんなことが許されるはずはない。
そう言いたかった。
だが聖教会をうまくかわし『エイフィールドのため』と言えるだけのもっともらしい大義名分が思いつかない。感情だけが駆け回って状況を整理できない。
「承知いたしました……。」
半分無意識のうちにつぶやいていた。

アシュレイドは思わずヴォルトに駆け寄った。
扉から出てきたヴォルトの顔色が蒼白だったためだ。今にも崩れ落ちそうな表情のヴォルトに何事かと目で問うとヴォルトは安心させようとするように微笑んだ。その顔がまた痛々しい。アシュレイドはヴォルトをにらみつけ、無理矢理腕を引っ張って肩に担ごうとした。だがアシュレイドの体はヴォルトに比べてあまりにも小さい。無理なのは一目瞭然だった。
「ふふっ、可愛いことをしているわね。」
今まで扉の側で待っていたらしいデリージア王妃がクスクスと笑う。
「それにしてもヴォルトったらひどい顔。そんなにショックなことを聞かされたのかしら。ねぇ?」
「なんでもございません。」
ヴォルトは精一杯の無表情で答える。
が、王妃はさもおかしそうに微笑んで言った。
「そうよね。なんでもないわね。異端者が減るだけですもの。」
ヴォルトの体がこわばる。
「カオスが無事で良かったわね。まったく…内緒話なんて王も子供らしいことをされること。私の知らないことなんてないのよ。」
王妃はクスクスという笑い声だけを残して去っていった。
「ヴォルト様……何があったのですか?」
アシュレイドが心配そうにヴォルトの顔をのぞき込むと、ヴォルトは唇から血を流してうめくように息を吐いた。
「畜生……っ!」
何に対しての叫びなのか。
ヴォルトの目尻には涙がにじんでいた。
続く。
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