『光でもなく』

第一章6

小刻みな震動が体のあちこちを痛めつける。
決して心地よいとはいえないまどろみの中、カオスは今までの出来事を思い返していた。
髪の色が変わって…
バルドンへ行くことに決めて…
ヒューバートに何も告げずに王都を出て…
逃げてきたバルドン人の二人組に会って…
それから…
ふいに大きな震動が襲ってきて舌を噛みそうになる。
カオスの五感はようやく夢の中から抜け出した。
馬の蹄の音。車輪が地面を走る音。
ギシギシと体を揺らす容赦のない震動。手首と足首をきつく縛る縄の痛み。
カオスは再び記憶の分析を急いだ。
盗賊と戦って、不覚をとって、それから意識を失った。その先にはおそらく陵辱が待っていたはずだ。しかし今この状況はどう考えても馬車でどこかに運ばれている最中としか思えない。あれからどれだけ時間が経っているのか。鳩尾の刺すような痛みはすでにない。
「……そろそろ薬も切れているはずだ。いいかげん目を開けろ。」
声の主が誰なのか、考えずともすぐにわかった。
正直に目を開くと、薄汚れた幌馬車の中にはカオスとその男だけ。
見た目はともかく作りはとても頑丈そうな馬車だ。普段は大人数で使っているものだろうに積み荷さえ一つもない。
「行き先はおまえ達の根城かそれとも例の悪趣味な館か?それでなければ…私の有意義な使い道を実行できる場所か。それくらいは教えてもらいたいところだがな。」
カオスは不機嫌そうな顔をしたトフルズに言った。
トフルズはカオスの正面少し出口側のところに腰を下ろしていた。
鋭い目はカオスの一挙一動を見逃すまいとし、右手は剣をしっかりと握っている。
「………てめぇは手に余る。」
「不気味な女に手を出す気になれる輩はいなかったということか。」
鞭打たれている馬の前にいつか見たような光景が広がっている。少なくとも街道なのは間違いない。しかし王都を中心にエイフィールドを十字に走る街道の、一体どの辺りなのかはわかるはずもなかった。
そんなことを確認し、どうでもいい素振りで言葉を返す。
本当はたくさんの不安と期待が入り混じった問いかけだったがおくびにも出さない。
「……まぁそういったとこだな…。女には見境のないあいつらが全員てめぇを恐れてこの馬車に乗ろうとしねぇ。それでだ、てめぇが起きたら聞こうと思っていた。」
トフルズは剣をカオスの喉元に向けた。
美しい刀身は見間違えるはずもない。トフルズが持っているのはカオスの白銀の剣だ。
「……聞きたいのは一つだけだ。てめぇ、何者だ?」
おかしな事を聞く。
この男は自分の素性を知っているのではなかったか。
カオスは眉一つ動かさずにトフルズを見据えた。
「『銀騎士』カオス。王子ヴォルトの乳兄妹。女の身で幼いうちから騎士団に入団しほどなく白銀の剣に選ばれる。選ばれただけあってその剣技は騎士団一。……そんなことはエイフィールドの人間なら誰もが知っていることだ。そしてオレはてめぇの顔を見たことがある。噂通りの見事な銀髪をしていた。」
トフルズはカオスの黒髪をわしづかみにした。
「これは染めてるんじゃねぇ。おかげで誰もてめぇがカオスだってことを信じない。だがてめぇは確かにカオス本人だ。銀髪の方が偽物だったのか?」
この男は何が目的でそんなことを聞くのか。読みとろうとしてもトフルズはひたすら渋面でまったくわからない。ただの好奇心だと言ってしまうには不自然な気がした。
「それとだ。あれは一体なんだ。てめぇとヴォルト王子に血の繋がりはないんじゃなかったのか?なんで王族でもないてめぇがあんなものを使える。」
カオスは眉をひそめた。
言葉から何について言っているのかはわかる。しかしカオスは戦闘において魔力を使ったことは一度もない。盗賊達の前でも使わなかったはずだった。
「言っておくが…あいつらはてめぇを殺さないことに決めた。だがオレは『銀騎士』として使えねぇてめぇはむしろ殺しておきたいと思ってるんだぜ?あいつらはみな後ろの馬車だ。今ここでオレがてめぇを殺しても騎手の口さえふさげばどうとでもなる。素早く素直に答えるんだな。」
喉笛に向けられた剣がゆっくりと縦に揺れる。
トフルズの目的は何なのか。それよりも、
「何故…おまえがそれを知っている…?」
聞かずにはいられなかった。
「…無意識で使ったってわけか?」
トフルズは剣をカオスの喉に押しつけた。
カオスの表情に嘘はない。
「……てめぇが倒れた後あいつらがいっせいにつかみかかった。その瞬間てめぇに触れた奴らがなんらかの力に吹き飛ばされて死んだ。」
「馬鹿な!」
カオスは思わず叫んでいた。
力は、いつも共にあった。おそらくは生まれ出でたときから。だからこそ剣を握ったときに誓ったのだ。人に害成すような使い方は決してしないと。今まで何があってもその誓いを守っていた。それは小さな誇りでもあった。
確かに未だかってない窮地であったことは認める。使ったと言われたら否定はできない。
しかし――――、
トフルズはカオスの白い喉に細く赤い線が描かれるのを見ながら顔をしかめた。
元から不機嫌そうな表情だったのがよりいっそう渋面になる。
見たこともない力だった。カオスに触れていた五、六人の男達があっという間に吹き飛ばされた。周りの人や木を巻き添えにしながらもなお飛ばされていく勢いだった。皮膚はずたずたに裂け、骨はへし折れ、心臓は止まっていた。
王族ではなく突然変異で魔力を持った人間もいるにはいる。だがあれは、あの力は。
生き残った盗賊達はみな恐れおののいて地面から腰を上げることができなくなっていた。自分もしばらくはカオスの体に触れなかった。その後何度も気を失っていることを確認し、さらに薬を使って眠らせ続け、危険はないと知っていても盗賊達は誰一人カオスに近づこうとしない。唯一対抗できる相手として見張りを押しつけられた自分も、本能と経験がカオスの前で剣を離させない。
圧倒的な魔力を持った、黒髪の、『銀騎士』。
「……答えろ。」
「……知らないことを答えるのは不可能だ。」
カオスはそう答えるより他になかった。
「しかし…そうか、考えてみればこの力も…関係があるのやもな。私は私自身のことについて何も知らない。だから王都を出たのだ。」
「………」
トフルズはしばらく逡巡した末剣をおろした。
顎髭を弄びながら半眼でカオスを見つめる。
「知っているか?聖教会が免罪符の発行を始めたのを。異端者十人につき一枚。聖都に連れて行くか騎兵隊に引き渡せばもれなくもらえるらしい。」
「なんだと!聖教会はこの上また愚かな所行を重ねるつもりか!」
縄で縛ってある皮膚に血が滲む。
「らしいな、だがありがたい話だ。免罪符を貴族や富豪連中に売れば金になる。金儲けの手段が一つ増えたってわけだ。てめぇのようなそのまま売ればその場で問題起こして叩き返されそうな厄介者も聖教会なら金に換えてくれる。」
カオスは拳を固く握りしめた。
力を込めれば込めるほど縄はギシギシと食い込んだが、痛みは苦痛にならなかった。
「見ろ。聖都はすぐそこだ。」
トフルズが前を指さす。
王都に勝るとも劣らない美しい街が小さく見える。たくさんの建物が品よく整列し、中央に位置する巨大な教会を称えているかのようだ。荘厳な教会から街中に正午を告げる鐘の音が響く。まるでそれを待っていたかのように雪が降り出した。
ひどく美しい光景だった。
カオスは眉間に力を入れて教会を見つめた。
「てめぇはあそこから生きて出られるか?もし出られたらオレとは会わないようにするんだな。次に会うときはてめぇを殺せる。」
そのまま固まってしまったかのような不機嫌な表情で、剣先を揶揄するように回す。
妙な男だとカオスは思った。
一つ一つの言動の意図が読めない。分析できない。言われずともあまり出会いたくはなかった。
幌の中に白い風が入ってくる。
淵の方は床が真っ白になっていた。
トフルズは閉ざされた空間というのが好きではない。閉所恐怖症というわけではなく、自分を囲む状況を把握しきれないことに苛立ちを感じるのだ。
そのため入り口の垂れ幕をたくし上げていたのだが、雪が降り出してしまっては下ろさないわけにもいかない。どのみち街に入れば下ろさなければならないので、トフルズはしぶしぶ腰を上げた。視線と剣はカオスに向けたまま警戒を怠らない。トフルズは幕を下ろすとすぐにカオスに向き直った。
そのとき、馬の嘶きが響いた。
トフルズが床に尻を打つ。
「なんだ!?」
トフルズは下ろしたばかりの幕に向かって叫んだ。
答は返らない。
そうしている間に後ろの馬車も急停止する。
トフルズは鬱陶しげに幕をめくりあげた。
騎手をどなりつけようと思ったのだが、息を荒くした馬の背には誰もいなかった。

「異端者達を渡せ。」

正面からまだ幼い少年の声。
見ると、カオスが羽織っていたようなフード付きのマントをやはり目深にかぶっている少年が立っていた。左手には気を失った騎手。そして右手には何やら中途半端な長さの剣が握られている。
トフルズは音を立てて首を回した。
「顔を見せろ。バルドン人ならてめぇも売り払う。違うのなら…今のうちなら見逃してやるからさっさと家に帰れ。」
後ろの馬車から盗賊達が何事かと駆けつけた。
その数はおよそ十人。カオスが暴れたときのために選ばれたそこそこ腕の立つ者たちだ。いずれ劣らぬ強面で、見るからに堅気の者でないことがわかる。
「うるさい!そっちこそさっさと捕虜を渡せ。」
それでも怯まない少年を、盗賊達はゲラゲラとせせら笑った。
「なんだこのガキはぁ?異端者を渡せだぁ?オレたちのうわまえはねようってのか?なめられたもんだなぁオレたちも。」
「こいつも売っちまおうぜ。そういう趣味の奴らが貴族の中に結構いるしよぉ。」
少年は勢いよく地面を蹴った。
「うわっ。こっ、このガキっ!」
雪を蹴りかけられて逆上した男が少年に斬りかかる。
少年は軽く避け、逆に斬りつけた。
男はあっさりと倒れ込んだ。
「クソガキがぁぁぁぁぁっ!!!」
それを見た残りの男達が剣を振りかざす。
「やめろ馬鹿ども!」
トフルズの怒声が轟いた。
盗賊達が動きを止めて振り返ると、こめかみに血管を浮き上がらせたトフルズが鋭い目で睨んでいた。
「てめぇらの頭の足りなさがてめぇらを死に追い込むのは勝手だ。だが二度も同じような醜態を見せられてご機嫌でいられるほどオレは気が長くねぇ。オレは役立たずが一番嫌いなんだ!」
盗賊達は一瞬気圧されたが、すぐに唾を吐いた。
「るっせぇ!あんたが強いのは知ってるがなぁ。オレたちがこんなガキに負けるってぇのか!?なめてんじゃねぇ黙って見てろ!」
そして剣を振り下ろす。
「役立たずどもが……っ」
トフルズは忌々しげに舌を打ち、カオスの腹を蹴った。
「一つ疑問だったんだが…てめぇなんで魔力で縄をほどかない?」
カオスは咳き込んで喋れない。
「まだ体力が回復してなくて逃げられないからっていうのなら納得だ。あれから食事は薬入りのスープを流し込んでただけだからな。だがてめぇは安心できねぇ。…もう一発くらい食らっとくか?」
トフルズは答を待たずにもう一度カオスの腹を蹴りつけた。
カオスはうめきながら言った。
「……なら……死な………ろ……わったら……剣を……置い…………」
よく聞き取れなかったがトフルズはさほど気にとめずに馬車を降り、少年の前に立った。
少年はちょうど最後の一人を仕留め終えたところだった。
トフルズは転がっている男達を適当に足でどけて剣先を向ける。
「フードを取れ。金になるか死ぬかだ。今のオレは非常に機嫌が悪い。バルドン人だろうがなんだろうが殺してやりたいところだが、一度だけチャンスをやる。」
少年は仕留めたばかりの獲物をトフルズに投げつけて剣を構えなおした。
「よく喋るおっさんだな。」
「……そうか、オレの憂さ晴らしにつきあうか。」
投げつけられた死体を踏みつけ、トフルズはむしろ嬉しそうに言った。
少年が正面から打って出、トフルズと剣を合わせた瞬間横に飛ぶ。
それを見越していたトフルズは剣を横薙ぎにしたが少年は素早くしゃがんでよけ、トフルズに足払いを仕掛ける。
トフルズは一足飛びでかわし、少年の背後をとった。
無防備な背中に剣を突き刺す。
が、
トフルズは目を見開いた。
その隙に少年が体を反転させる動きにのせて斬撃を送る。
トフルズはとっさに体を退いたが少し遅かった。
のどの奥からもれそうなうめきをかみ殺す。
トフルズは脇腹から噴き出る血を押さえながら白銀の剣を地面に突き刺した。
「なんだこの剣はっ!」
確かに突き刺したはずだった。背中から。心臓を。
しかし切れたのは布と薄皮一枚のみだった。
あとはまるで鉄にぶつかったかのように動かなくなってしまった。なまくらであるはずはない。創世記にまで登場する白銀の剣だ。実際カオスはこの剣で戦っていたではないか。
しかし今は考えている暇などない。
トフルズはとどめを刺そうとする少年の攻撃をなんとかかわし、倒れている盗賊達の剣を拾って馬に飛び乗った。馬車を外してひたすら逃げる。
今の傷では剣を変えても少年には勝てない。カオスを抑えることもできないだろう。
そう悟っての選択だった。
服に血が染みこんでまとわりついてくる。馬が雪を蹴るたびに脇腹がえぐられるようだ。
それでもトフルズは馬の腹を蹴った。
続く。
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