『光でもなく』

第一章5

周りを取り囲んでいる盗賊達が喉の奥を小刻みに震わせて笑った。
「聞いたかオイ、こいつらこんな女にやられやがったんだってよ。」
「くくく…トフルズも冗談で聞いたんだろうになぁ。」
一人の男が進み出て構えていた剣を故意に大きく振り、おどけたように片眉をあげてにやりと口元を歪ませた。辺りの嘲笑が大きさを増す。
「正直に言いな、二人組はどっちに逃げた?今なら手荒なことはしねぇ。優しく可愛がってやるだけですませてやらぁ。」
「ぶわっはっはっはっ。おめぇじゃ触っただけで壊しちまうよぉ。」
濃い体毛に覆われた太い腕の向こうでゲラゲラと品のない笑い声が重なる。
カオスは目深にかぶったフードの中で表情を変えるでもなく、ただじっと待っていた。
視線の先には最初にカオスをにらみつけたきり一言も発しない髭面の大男。
男もまた身動ぎもせずにカオスの様子を窺っている。
「おいおいオレたちが怖くて声も出ねぇのか姉ちゃん。」
「さっさとそのフードひっぺがして顔見ようぜ。この女はきっとべっぴんさんだぁ。」
「へっへ。あの野郎共を追ってこんな掘り出し物に出会えるたぁおれたちゃついてんな。見ろよ後ろに馬もいるぜ?ありゃ高く売れること間違いなしだな。」
「さぁ恥ずかしがらずに顔を見せなぁっ!」
筋骨隆々とした男がカオスの頭と同じくらいの幅がある腕を大きく振りあげた。
次の瞬間への期待に周囲から歓声が上がる。

「悪いが私にそのような期待を寄せるのは間違いだ。」

カオスは腰を落とした。
盗賊達に見えたのはそこまでだった。

「うぎゃおおおぁぁぁぁああぁぁっ。」

森にこだましていた歓声は獣のような男の悲鳴にかき消されてようやく止んだ。だがまだ時は動かない。誰もが一度言葉をなくし、端が切れそうになるほどに目を見開いた誰かが小さくつぶやくまで。
「今の…なんだ?は、速すぎて見えなかった…」
目の前にあるのは美しい女の姿ではない。つい先ほどまでと同じほこりがかったようなフードマントをかぶり、つい先ほどまでとまるっきり同じ位置に立ち、そして――――鮮やかな血を滴らせた剣を握る戦士。
地面をのたうち回る仲間に再度目を移し、盗賊達はようやく我に返った。
そうして思考力を取り戻した彼らがとった行動はカオスからじわじわと少しずつ距離をとっていくことだった。困惑した表情は未だ目の前で起こったとしか考えられない事実を認めてはいない。だが足が勝手に後ずさるのだ。靴底と土が擦れる音が男達の心を余計に泡立たせ、正体不明の女剣士への恐怖を煽る。
カオスは数多の視線を受けながらやはり髭の男をまっすぐに見つめていた。
髭の大男は苦虫を噛みつぶしたような顔をした。
「……おい、この女と戦う気をなくした奴はさっさとそいつを連れてってやれ。まだ死んじゃいねぇだろうが。」
「で、でもよトフルズ、腹をぱっくりだぞ…。」
明らかに怯えている様子の若い男が躊躇いがちに視線を送る。
「……オレが何より嫌いな物は何か知っているな?」
「……わわっわかったよぉっ…」
数人の若い連中がうめき声をあげる男を抱えて木々の間に消えていった。
その様子を視界の端で確認し終えると、髭面の男は緩慢な動作でカオスに歩み寄っていく。
カオスはあちらこちらから安堵の息がもれているのを聞いた。おそらくこの男はこういう状況で負けたことがないのだ。何より男の身のこなしでそれがわかる。
「……こいつらには困ったところがある。女と見るとすぐに鼻の穴を膨らませるところ、外見で相手の力量を判断しやがるところだ。今もこいつらは何があったのかよくわかっていない。こいつらの中で一番の力自慢がぶっ倒れた、それ以外はな。」
男は顎髭を掌で弄びながら至極不機嫌といった顔で言った。
「オレの名はトフルズ。一応この盗賊団の特攻隊長ってとこか。女、名乗れ。」
カオスは答えない。
「……まぁいい、てめぇが答えようが答えまいがどのみちそのフードはひっぺがす。慰み者にするか売っぱらうか…てめぇほど見事な銀髪ならさぞかし高く売れるだろう。もしくは…もっと有意義な使い方をするかだな。」
「………」
辺りにはざわめきが走ったが、トフルズは無視をして不機嫌な顔のまま剣を構えた。
直線上の静寂。
二人はほぼ同時に土を蹴った。
カキィィンと、耳に残る音を合図に次から次へと荒々しい攻撃が繰り出される。
カオスはそのすべてを剣でいなした。
受け止めるたびに骨に響く感じがする。豪剣の使い手と戦うことは珍しくはなかったが、トフルズの剣はただの力任せではない。激しい剣撃の一撃一撃に策を忍び込ませているような底知れなさを感じる。正直長引かせたくはない相手だ。
カオスは膝に力を入れて正面へ打って出ると見せかけて脇を狙った。
鎧のつなぎ目を打つ。
が、すんでのところで避けられて再び剣の打ち合いになる。
素早さにやや分があることはわかったものの、決定打にできるかどうかは難しい。
動くたびに顔にかかるフードに目を細めながら、カオスは目の前の相手を冷静に分析していた。
「あんなにかわされてんぞ…大丈夫なのか…?」
「馬鹿言うなてめぇ。女なんかにトフルズがやられるかよ…。」
「でもあの女はただの女じゃねぇ…トフルズの奴あの女を知ってんのか?」
自分たちとは圧倒的な差がある二人の勝負を前に何をしていいかわからない盗賊達がぼそぼそとつぶやき合う。
「おいおい、相手がどんな奴らだろうがオレたちが負けたことがあったかよ?」
「…ねぇな。」
「だろ?それに相手はどんなにわけがわからなかろうが女なのは確かなんだ。男に敵うわけがねぇ。」
盗賊達はようやく自分たちのするべきことを見つけ出した。

「加勢するぜトフルズ!」

カオスの四方八方からいっせいに飛びかかる。
カオスは驚きもせずに剣を振った。
元々戦場にルールなどない。大人数を相手にするのも慣れたもので、剣閃が走るたび数人が地面に転がった。ときおりトフルズの攻撃がひどく重かったが、カオスは確実に敵の数を減らしていった。シルフィードも暴れ回ってカオスの背後を守る。
負けることはないだろう。
自惚れではない、それでも、胸の奥にしっかりとある感覚。
「女のくせにかわしてんじゃねぇー!とっととぶっ倒れなぁぁぁっ!」
同じようなことばかりを叫んで同じような攻撃ばかりを与えてくる同じような男達を容易に捌き、一人、また一人と地面に沈ませていく。しかしその繰り返しはなかなか終わりを見せない。がむしゃらに向かってくる力を流すのは相手がどれほどの数であろうとさほど難しくはない。だが―――トフルズの剣が、また重みを増す。
しっかりとした足取りで立ち回っていたカオスの体が少し揺らいだ。
「もらったぜぇぇぇっ!」
勝利の確信を含んだ声が左後方から襲ってくる。
長い打ち合いの中で目的がすりかわったのか、その剣はカオスの心臓を狙っていた。
「馬鹿が、殺したら丸損だろうが。」
トフルズが元々不機嫌そうに寄せている眉間のしわをさらに深くしてカオスと男の間に入り込む。一人目の剣は受け止めた。しかし続いてカオスの隙を狙いに来た男達を止めることはできなかった。
……死んだか、もったいねぇ…。
一瞬よぎった思考をトフルズはすぐにうち消した。
肉を裂く音に剣を打ち合う音が混ざる。振り返ればカオスには傷一つついていない。
そのことにはたいして驚かなかった。考えてみればあそこで死ぬことの方が不思議かもしれないとも思った。
しかしトフルズは声をなくした。

「どうした?女のくせにの次は黒髪のくせにとでも言うつもりか?」

他の盗賊達も急に動きを止めて呆然としている。
カオスの足下では切り裂かれたマントが土にまみれていた。
盗賊達は眼球だけをしきりに動かした後荒い息で叫んだ。
「うっほぉ〜、こりゃ思った以上の上玉だぜ。売っちまうのはもったいねぇなぁ〜。」
「ああ、こんな女めったに見れねぇ。やっぱオレたちゃついてるんだ!」
まるでよだれをすするように舌を動かしている奴もいる。
「銀髪じゃねぇじゃねぇかトフルズー!なんだあんた銀髪の女が好みだったのかよ。そりゃ残念だったなぁ。ひひひひひひ。」
トフルズは親指の腹で顎髭をなでつけた。
「………どうりで、こんなところを一人でうろついているわけだ……王都にいられなくなったってわけだな……」
しかしまだどこか腑に落ちない様子で顎をさする。
トフルズ以外の盗賊達は先ほどまでの戦闘も忘れたのか口々にはやしたて口笛まで吹きだした。
今度はカオスが唖然とした。
「……おまえたちは濃色が不吉だという迷信を信じてはいないのか…?」
盗賊達は大声で笑い飛ばした。
「あっはっはっはぁっ。どうして私のことを怖がらないのォーっ?ってか?あんなもん信じてるのはシャバの奴らだけだぜ。てめぇらバルドン人はエイフィールドにはない色を持ってるだけのただの人間だろぉ?びびらそうったって無理なんだよ。」
「そぉそぉ、もぉー数えきれねぇくらいてめぇらの仲間を売り飛ばしてやったオレたちだぜ?何言いだすんだてめぇは。」
盗賊達は大げさな動作で腹を抱える。森中に笑い声が反響する。

「何故だ!」

カオスは地面に向かって叫んだ。
「何故それを理解しているのにバルドン人を!私たちと同じ人間の彼らを売り払う事などができる!理解することができているのに!……理解していてもっ!結局は同じだというのか!ならばそれは何故なのだ!」
ほとんど言葉を発しなかったカオスの突如とした叫びに盗賊達は目を瞬いたが、すぐに調子を取り戻して嘲笑した。
「何言ってんだぁ?オレたちゃ盗賊だぜ?金になるからに決まってんだろうが。どんな奴が相手だろうが一緒なんだよ。金になりゃ売る。常識よォー?お馬鹿の姉ちゃん。」
「ひゃーはははっ違ぇねぇ。」
トフルズはカオスの拳が震えているのを見た。
見るからに平静を失っている。
「女、てめぇに聞いてやる。どちらがマシだ?そしてこいつらでなければどうなるとてめぇは思う?」
カオスは瞬時にトフルズの方を向く。トフルズは相変わらず不機嫌そうな顔をしていた。
それに対しカオスはひどく動揺した目をしている。
トフルズは顎髭を弄りながら言った。
「そんな疑問がよぎったんじゃないのか?」
影のような木々がざわざわと鳴く。
トフルズがゆっくりと近づいていく。
カオスは地面を踏み直し、自分のマントを踏んだ。
「危ねぇぞ……。」
カオスがそのことに気づいた瞬間、盗賊達がマントを一気に引っ張った。
「………っ!」
突然動いた地面に引きずられて大きく体勢を崩す。
立っていられないことを悟ると、カオスは素早く転がって受け身をとった。
しかしトフルズがその着地位置に先回りしている。
カオスは剣を構えようとしたが、鳩尾に走る衝撃にわずかに間に合わなかった。
肺の中の酸素を一気に吐き出しながらシルフィードの嘶きを聞く。
シルフィードが盗賊達を蹴り飛ばしてこちらに向かってこようとしている。
カオスは出てくる息をぐっと押し止めて目の前にあるトフルズの足を刺し貫いた。
「うあぁぁぁっ!」
カオスはそのまま剣を支えにして立ち上がり、シルフィードの元へ走ろうとした。
しかし体が思うように動かない。
数歩歩いたところでトフルズに首を絞められた。
「どうやらその名をなめていたようだ…今度は確実に気を失わせる。」
そう言って肘でカオスの首を絞める。
カオスは薄らいでいく視界を必死ににらみつけ手足をばたつかせた。
「トフルズが女を押さえてる間に捕まえるんだ!傷はつけるなよぉっ!ってうわっ!」
シルフィードは急に方向を変えて森の中へと走り出した。
途端にカオスの手足が大人しくなる。
「てめぇらとっとと馬を追え!あの馬を逃がすとやっかいなことになるかもしれねぇ!」
トフルズの指示を受けて数人が森へと入っていった。
「手こずらせてくれる……」
不機嫌な顔でその方向をにらむ。まっすぐ行けば街道に出る方向だ。
最後の最後まで…
ここまで手こずる相手は初めてだった。
トフルズは静かになった獲物を確認した。
瞼を閉じ、紫がかった顔はうなだれてピクリとも動かない。四肢をだらりとさせて、しっかりと握っていた剣も今は地面に転がっている。しかし肘にかすかな息がかかっているので死んではいない。意識はもうないようだが念のためにその頬を数回はたいてみる。
やはり反応はない。
トフルズはようやく腕の力を抜いた。
そのまま肩に担ぎ上げて白銀の剣を拾う。
「女は捕らえた。てめぇら、逃げた二人組を捕まえに行く奴とあのいかれた野郎の館に戻って説明してくる奴、それからごろごろ転がってる奴らの中でまだ使えそうなのを運ぶ奴の三つに分かれろ。」
トフルズが言うと、まだ動けている残り少ない盗賊達は不満げな声をもらした。
「女はトフルズが運ぶのか?オレたちにも触らせろよ。どうせ最初にいただくのは頭なんだろ?今のうちにちょっとくらいよぉ〜。あんだけ暴れやがった女が無防備なんだぜぇ?触りてぇんだよぉ。足も痛むだろぉ?まかせろよぉ。」
トフルズは男達を一瞥した。
「……好きにしろ。ただしてめぇらの命の責任はもたねぇ。」
「大丈夫だってよぉ。剣だって取り上げてんだ。女が男に適うわけねぇだろうが。」
トフルズは馬鹿馬鹿しいと思いつつもカオスをおろそうとする。
そのときずっとカオスに向けられていたトフルズの注意が少しだけゆるんだ。
カオスは渾身の力を振り絞ってトフルズの後頭部に肘鉄をくらわせた。
トフルズが思わず腕を解いた隙に肩から飛び降りすねを蹴って白銀の剣を奪い取る。
「…男尊女卑もいいところだなおまえ達は……。だから…痛い目を見ることになるのだと何度、教えてやれば…理解するのだろうな……。」
「てってめぇなんで動けるんだよぉぉぉっ!」
盗賊達がおののいて後ずさる。トフルズはゆっくりと体を起こした。
「女、それくらいにしておけ。息がしにくいんだろ?足も震えている。剣を握る手が震えていないのは流石としか言い様がねぇが…それで戦えるわけがない。逃げるのも無理だ。てめぇもわかっているはずだ。」
カオスは目を眇めた。目に映るものすべてが何重にもぶれて見えるのだ。耳は自身の呼吸音がうるさくてたまらない。両足は一瞬でも気を抜けば地面に崩れ落ちてしまいそうだ。自分でも何故立っていられるのか不思議だった。
こんな状態では逃げられないことはよくわかっている。だから動けなくなるまで戦うことを選んだ。しかしあれだけ確信していたはずの勝利はもはや見る影もない。死線を越えてきたことは幾度となくある。あれはその経験からの直感だと思っていたが……。
カオスはほんのわずかに微笑を浮かべた。
「な、なんだ?何を笑ってやがるんだ?」
トフルズの言葉に安心しかけていた盗賊達が戸惑いに顔を歪める。
「トフルズが言ったろ!この女ァもうフラフラなんだ。全員でかかればすぐ終わる!さっさとのしちまおうぜ!」
盗賊達は不安を振り払うかのようにいっせいに飛びかかった。
「まったく…己の未熟ぶりにはほとほと呆れ果てる…この身の一部を置いてきた実感を今更…こんな形で……するとはな。」
カオスは最初の一撃を受け止めて、それで限界だった。
いつも自分の後ろを守り、支えてくれた影はそこにはない。
大勢の敵に囲まれてこれからどうなるのかまるでわからない状況の中で意識がどんどん遠くなっていく。深いところに引きずり込もうとする強制的な力に身を任せながら、カオスは引き金を引くような音を聞いた。

胸の奥、深いところで。確かに。
続く。
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