『THE ETERNAL RUNAWAY』 第5話

 風が強かった。
栄一郎は乱れた前髪を整えようと手をのばし、自分が汗をかいていることに気がついた。
日はすでに西の空を朱色に染めている。
吹きつける風は冷たく、スーツを着込んでいても少し肌寒い。
―――緊張している。
栄一郎はごくりとつばを飲み込んだ。
その瞬間、いっせいにフラッシュが光った。
滑走路を滑ってきた航空機がその動きを止め、扉を開いたのだった。
手早く階段が用意されると、栄一郎は鋭い目で辺りを見回した。
相手が『マリア』である以上何が起こってもおかしくない。
報道陣に暗殺者が混じっているかもしれないし、飛行機がハイジャックされているかもしれない。
警察関係者だって信用はできない。
知らず額に汗をかく。
にらみつけるように前を見ると、また大量のフラッシュが飛び交った。
英国皇太子の登場である。
黒ずくめのSPたちに囲まれた皇太子は青白い顔をした優男で、栄一郎は頼りなげな印象を持った。
皇太子だけではない。
英国側の警備に対してもそうである。
にこやかに手を振る皇太子の周りには5,6人のSPしかいない。
あまりにも警備が薄すぎる。
「おい角、部長たちはちゃんと英国側に報告したんだろうな。」
「そのはずだ。あの上司たちのことだから忘れたのかもしれんが。」
角があまりにもさらっと言ったので、栄一郎は軽いめまいを覚えながらも苦笑するしかなかった。
視界の端でのんきに手を振り続ける皇太子の笑顔がひどくうらめしい。
皇太子とかいう人種はそれが仕事だ。
と、栄一郎は心の中で何度も自分に言い聞かせたが、とうとうこみあげる怒りを抑えることはできなかった。

「あらエイイチロー、どうして舌を出してますの?」

こうして空港では何も起こらず終わり、皇太子に舌を出す栄一郎の姿が激写されていないことを祈りつつ舞台は英国大使館へと移るのであった。

 優雅な音楽。豪華な高級料理。きらびやかな衣装をまとった美女。
タキシードの似合わない脂ぎったおっさ…… ビーッ。
(放送上好ましくない映像がありましたことを深くお詫び申します。)
にぎやかなパーティーの席でも栄一郎の緊張が和らぐことはなかった。
リーファンも助も角もみな一様にこわばった顔をしていた。
この場にいる警察関係者で緊張していない人間なんて柱の陰に隠れてポケモンをやっている部長くらいのものである。
どこでも、どんな状況でも、いつ何があるかわからない。
何があるか―――
栄一郎は慌てて背後を振り返った。
場が急にざわめきたったのだ。
何事か―――。
と思う前に、栄一郎の思考は停止した。
聖女がそこにいた。
ごてごてとした飾りのない上品な白のドレス。
その白さに負けない雪のような肌がスリットからのぞき、たおやかに段を下りていく。
細い首にまとわりつくようにして揺れる髪の一本一本が目を奪い、肩の線の細さを際だたせる。
成熟した肢体に反して顔はまだ少女のあどけなさを残しているが、まっすぐに前を見つめるその瞳は強い光を放っていた。
男も女も、子供も老人も、その場にいた誰もが息を飲んだ。
その美しさに。
そして何より、その強い光に。
栄一郎も。
リーファンでさえ目を離すことができなかった。
ましてや―――
「うおーっ。やっぱいい女♪思わず見とれちまうような女って滅多にいないぜぇ。エスコート役の男がいないなら喜んで♪」
すかさず肩を抱きに行く助。
「美しい。世界中の美をどれだけ集めてもあなたにはかなわない。」
マリアのあごに手を掛けようとする角。
「あっ、じゃ、おれも。」
ふたりに続こうとする栄一郎……
バキッ。
……を阻止するリーファン。
「エイイチロー!逆エビとジャーマンスープレックスと卍固めとどれがよろしくて?」
「あなたの輝きをひとりじめしたい。」
「こんな美人ほっとく奴は男じゃないないっ。」
「ピカチュウ元気でチュウ。」
段々収拾がつかなくなっていく……。
パーティー参加者は全員少し離れたところから栄一郎たちを見つめ、あきれ顔でたたずんでいた。
渦中の人、皇太子でさえ例にもれない。
皇太子は先ほどまで話したり踊ったり外交上必要なことを色々とこなしていたのだが、マリアが姿を見せてからは完全に動きを止めていた。
そのマリアはさっきからずっと助&角コンビにからまれ身動きがとれないでいる。
言葉巧みにせまってくるふたりに対しマリアは一言も発さない。
代わりに右手を真横に差し出した。
影が、吸い寄せられるようにその手にひざまずく。
黒いタキシードに身を包んだその男は、言うまでもなくユダである。
蝶ネクタイの代わりにいつもしている十字架を掛け、手には黒いアタッシュケースといった奇妙な格好ではあったが、マリアの横に立つその姿は誰よりも似合っていた。
マリアは言葉を無くした助と角に極上の微笑みを向けて言った。
「悪いがまにあっている。」
ユダはマリアの肩を抱くと、そのまま優雅に歩いていった。

ガガガガーンッ。 ( BGM・『運命』 )
それでもって
チラリ〜リラリラリ〜ラ〜♪ ( BGM・『トッカータとフーガ』 )
注・鼻から牛乳にあらず。

栄一郎はその様子を見てしこたま笑い転げ、荒い息を吐いてから急に真顔になった。
張りつめた空気にハッとして、リーファンも姿勢を正す。
柱の陰から出てこない誰かさんとは違って遊んでる場合ではないのだ。
何が起こるかわからないがとにかく皇太子だけでも守らねば。
もちろんここでマリアたちを捕まえることができれば早いのだが、そうもいかない。
警察は確たる証拠がなければ逮捕できないし、上流社会の人間はもめごとを嫌う。
色々と面倒くさい事情があるのだ。
栄一郎たちは自分の持ち場に戻り、注意深く客を監視することに専念した。
とは言っても、その視線は当然のごとくほとんどマリアたちに集中していたが。
しかし。
栄一郎は目を見開いた。
じっと目を離さなかったはずなのに、いつのまにかユダがいない。
マリアの傍らから消えている。
栄一郎は瞬時に皇太子の方を見た。
皇太子の周りに黒い人影はない。
辺りをぐるっと見回してもユダらしき人物は見あたらない。
「―――? どこ行ったんだ? 広間から出たのか?」
栄一郎は奥歯を噛んだ。
『ユダ』が動いたからにはてっきり狙いは暗殺だろうと思ったのだが。
そう、『ユダ』ならばこの場でいともたやすく皇太子を殺せるだろう。
誰にも気付かれずに。
栄一郎は先日のユダとの対峙を思いだし、ゾッとした。
再度皇太子の方を見て周囲に怪しい様子がないのを確かめる。
「狙いは別にあるってことか……。」
―――捜し出さなければ。とんでもないことが起こる前に。
栄一郎はリーファンと助&角に目で合図して駆けだした。
そして、広間を出る寸前、ふと、何気なく、マリアの方を見た。
視線がぶつかる。
マリアは栄一郎に向かって不敵に笑い、何かつぶやいた。
栄一郎は足を止めた。
「くっそぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」
『ユダにばかり注意を向けていていいのか?』
マリアの唇はそう言っていた。
冷静を失っている。
栄一郎は自分に対して舌打ちし、ワルツに合わせて踊る客たちを押しのけながらマリアの元へと急いだ。
リーファンたちの姿はすでにない。
これでこの場にいる警備は栄一郎と、未だポケモンをやり続けている柱の陰の部長。
そして、おそらくマリアにとってはザコにしか見えていないであろう20人強の警備員だけとなった。
要するにマリアとまともにやりあえそうなのは栄一郎一人である。
栄一郎は深いため息をついた。
流れ出したウィンナーワルツが耳障りでしょうがない。
そもそも栄一郎は高級な雰囲気が苦手なのだ。
ずらっと並んだ豪華な食事を見るとカップヌードルが食べたくなり、蝶ネクタイを締め直すたびにTシャツに着替えたくなる。
着飾った女たちはぼんぼりちょうちんにしか見えなかったし、タキシードに身を包んだ紳士たちはボーリングのピンかマッチ棒かボールペンだった。
そんな栄一郎だから、ワルツはソーラン節くらいにしか聞こえない。
栄一郎にとってパーティーは村祭りであった。
頭に響くソーラン節に顔をしかめていると、目の前に細い腕が差し出された。
「一曲相手を頼む。」
ニヤリと笑ってマリアが言った。
「その様子ではワルツのワの字も知らないようだが……女の方から申し込んでいるんだ。恥をかかせるな。そのくらいの礼儀はわかるだろう?」
「こう見えても盆踊りは得意だ。」
栄一郎は憮然として言った。
そして世にも奇妙なワルツが始まった。

ヤーレンソーラン中国ネパールインドにビルマ♪ タイタイ♪
以上、栄一郎の頭に聞こえている音声。(なぜか替え歌。)

「思ったより踊れるな。」
「マイムマイムも得意だ。」
栄一郎は歯を見せて笑うとマリアの手をぐいっと引っ張った。
「このパーティーは招待制だ。どうやって入ってきた?」
「企業秘密だ。そんなことが聞きたかったのか?」
「……何をしでかす気だ?」
「言うと思っているのか?」
「……。」
栄一郎は荒々しくステップを踏んだ。
聞く前からわかっていた。この女は絶対にしゃべらない。
と、思った途端、
「花火が見たくないか?」
マリアが言った。
「花火?」
栄一郎は眉をひそめた。
マリアは微笑んでいる。
栄一郎が何か言おうと口を開くと、隅の方から曲を打ち消すほどの大声がした。
「エイイチローっ!私達を追い払っといて何踊ってますのっ!」
リーファンは0・1秒で栄一郎の右腕をつかみそのまま背負い投げた。
見事な一本背負い。
そこにすかさず助と角が
「いい女ひとりじめしやがってチョーップ!」
「許すまじコバヤシ腕ひしぎ十字っ!」
マリアは目の前で栄一郎がもだえ苦しむのを見ながら平然と言った。
「どうやらお仲間はユダを見つけられなかったようだな。」
リーファンはカッとしてマリアにくってかかろうとしたが、意外な人物に阻まれた。
「失礼。私はこちらの方にぜひ一緒に踊っていただきたいのだが……。」
そう言ってマリアの方に手をさしのべたのは、こともあろうに皇太子であった。
させじと腕を引っ張る栄一郎の手を振り払い、マリアは皇太子の手を取った。
「皇太子殿に誘われては断るわけにもいかないからな。心配するな。妙なまねはしない。」
マリアの声は明らかに笑いを含んでいた。
「目的は教えてやった。あとは自分で考えるんだな。」
そしてまたワルツが始まる。
マリアと皇太子のダンスはこの上なく優雅で軽やかで美しかった。
時々ふたりで語り合い、楽しそうに微笑み合う。
話している内容はまるっきり聞こえなかったが、そのしぐさはまるで仲の良い恋人同士のようだった。
なめらかなワルツターン。
流れるようなステップに、紳士も貴婦人も感嘆のため息をつく。
完璧なワルツだった。
栄一郎はその動きを目で追いながら、頭の中でマリアの言葉を何度も繰り返していた。

『花火が見たくないか?』

……花…火…。
花火。
姿を消したユダ……。
ユダは……なぜ姿を消した?
なんのために?
ユダは……黒いアタッシュケースを持っていた。
パーティーの席には不似合いな……
あの中身はなんだ?

栄一郎はハッとした。
急いでリーファンと助&角を呼び、小声で告げる。
これはまだ、推測にすぎない。
確たる証拠はまったくない。
ただの想像だと言われたらまったくもってその通りで、仮説にさえもなっていない。
だが―――
栄一郎は拳を握りしめた。

「奴ら大使館を爆破する気だ。」
続く。
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