『THE ETERNAL RUNAWAY』 第2話

 真夜中のリバースド通り。
ここは有名な悪人たちの吹きだまりだった。
今までにありとあらゆる悪事が行われ、この地域では警察の出動率bPを誇るところである。
24時間犯罪が耐えないとされるこの場所でさえここ数日は静かなものだったが、長い沈黙を破って今日、ついに事件が起きたのだった。

最初に入った情報は指名手配中の殺人犯がこのあたりに隠れすんでいるというものだった。
栄一郎とリーファンの任務はその捜査をすることだったのだが、その後短時間のうちに事態は驚くほど急変。
殺人犯がある店に立てこもったという通報が入ったのだ。
しかし。
どこもかしこも静まり返ってそんな様子は全くない。現場のはずのこの店でさえ、本当に人が住んでいるのかと思わせるほどの静けさである。

『地上の楽園』
ほこりがかった看板にはそう書かれていた。

栄一郎はリーファンに向かって固い表情でうなずくと、左手で扉を3回ノックした。
壁に背中を合わせ、右手に銃を握りしめて。

ダンダンダン

足音の近づく気配がして、鋭い緊張が走る。
何度危険な経験を積もうと命のかけひきに慣れることは決してない。
だが、額に汗を流し口中に唾をため自らの鼓動に邪魔されながらも、栄一郎はタイミングを外さなかった。
入り口の扉にわずかに隙間が空いた瞬間に、

「手をあげろっ!」

無理矢理こじ開け相手の顔に銃口を突きつけた。
先手必勝。あとは慎重に手錠をかけるだけだ。
が、次の瞬間栄一郎とリーファンは呆然とした。

そこにいたのはどう見てもまだ十代の若い女。
少女という形容がふさわしいような印象を持つその女は、まるで温室に咲く花のようにはかなげな感じだったが、瞳には凛とした輝きが満ちあふれていた。
「何の御用でしょうか。」
銃を突きつけられているというのに少しも取り乱した様子がない。
落ち着き払った態度で堂々と二人を見据えている。
栄一郎はなぜかその女から目を離すことができなかった。

「ここにいるのはあなただけかしら?」
リーファンは銃をかまえたままガランとした店内を見回した。
すると、奥の方から若い男が暗闇にとけるようにしてこちらをうかがっていることに気づいた。
男の方も見られたことに気づいたようで、ゆっくりと近づいてきた。
男は右手に聖書を持っていた。胸のあたりで光が十字に反射する。
「神父?」
栄一郎は我に返った。
悪人たちのアジトに神父など、明らかにそぐわない。
疑ってくださいと言っているようなものだ。
「今は閉店しましたがここは娼館でしたから。」
栄一郎が眉をひそめたのを見て女が言った。
なるほど、と栄一郎は納得した。
娼婦というのはみんなが皆なりたくてなったものではなく、むしろ無理矢理つれてこられたというケースが多いのだ。そういう少女たちのためにカウンセラー役として神父がいるのはそう珍しいことではない。
もっとも、神父が一番甘い汁を吸っているというのが実状らしいが。
神父が一番の俗物。矛盾が普通に通る、そういう社会なのだ。

…が、
ちょっと待て。ということはこの娘は…
………娼婦ってことかぁ〜っ?

栄一郎は心の中で絶叫し、心の中で後悔した。
なんで店やってるときに来なかったんだろう、と。
そして驚くべきことに、彼は勝手に話を作ってしまったのであった。
「ううう、かわいそーにぃー。強制的に連れてこられてこの神父にいたぶられてたんだな、もう心配いらないこのおれが………」

ゴキッ。

リーファンのハイキックが栄一郎の後頭部に炸裂!
「エイイチローっ!どうしてあなたはそうなんですのっ!ちょっと見られる娘がいるとすぐにへらへらして…この私があなただけのことを想って二人の愛を待っていますのにっ!」
リーファンは白目をむいて倒れた栄一郎に涙ながらに語り始めた。
「思えばあなたに初めて出会ったあの日から…私の心は捕らえられたまま…ああ、あなたは愛の狩人………。」
すっかり世界に入っている。

……バタン。

『地上の楽園』の扉は無言で閉じられた。
「ちょっと待ったぁっ!」
栄一郎が慌てて指を挟む。
「いってぇっ!」
まるでコントである。刑事とも思えない。
若い神父が扉の隙間から様子をうかがい、さも迷惑そうに顔をしかめた。
当然といえば当然すぎるほど当然なのだが、さっき自分で作った何の根拠もない作り話の影響もあって、栄一郎はかなりむっとした。
「見たところここにいるのは二人だけみたいだが一体何をしてたんだ?」
隙間に手をかけて力ずくで開け広げる。
神父は女をかばうようにして栄一郎の前に立った。
「閉店してここの主人がいなくなってから二人で暮らしているんです。どうして私たちが銃を向けられ、怪しいことをしてたみたいな言われようをされなければいけないんですか。あなた一体何者なんです?」
「おれは……」

そうこうしている間に、かすかにパトカーの音が聞こえてきた。
応援である。
だが、殺人犯のいる様子はどこを探しても全然ない。
情報が間違っていたのか?
栄一郎は首をかしげた。
「エイイチロー、とりあえずこの二人に来ていただいてあとの捜査は応援にまかせましょう。」
栄一郎はうなずき、ふところから手帳を取り出した。
「警察だ、一緒に来てもらおうか。」

 結局事件は起こらなかった。
店からは何も見つからず、周辺にもまったく異常はなかった。
そして、連れてきた二人にも怪しいところは一片もなかった。
情報の誤りとして処理されることになったが、栄一郎はいまいちしっくりこないものを感じていた。
やっと起こったと思った事件が間違いだったといういらだちもあった、だがそれ以前に、どう考えても最近のこの平和はおかしいとしか言いようがない。
栄一郎は理由もわからない不気味な平穏をすんなり受け入れる気にはどうしてもなれなかった。
妙に静かだった水面に、やっと起こった小さな揺らめきが今回の事件だ。
これは何かの発端ではないだろうか。
予想ではかなり大きな組織が動いている。統率がとれていてそこらのチンピラたちをすべて掌握できるくらいの。
そして、たぶんそいつは待っている。
とっておきの爆弾のスイッチを入れるのにもっともふさわしい時を。
だから今はおとなしくしてやっているのだ。
ただ……
その爆弾が一体何なのか、そこがつかめない。

栄一郎は背筋に悪寒が走るのを感じた。
無論、おそれからのものではなかった。


 朝 栄一郎がいつも通り職場に出勤すると、
「事件だぞ。美術品の盗品売買組織のしっぽをつかんだ。現場へ急げ。」
栄一郎を待ちかまえていた部長がそう告げた。
今日はいい日だ!と大喜びし、Uターンしようとしたそのとき
階段から現れた人影が栄一郎をひきとめた。
すらりとのびた細くて長い足。
プルンとした張りのある尻のライン。
きゅっと締まった細いウエスト。
ボーンっと実った豊満な胸。
栄一郎の理想であるボーン、きゅっ、プルンを全部そろえたその女は、取り調べを受けてすでに帰ったはずのあの少女だった。
栄一郎は再び目を奪われていた。
その魅惑的な容姿はさることながら、まっすぐに前を見つめる意志の強そうな瞳が栄一郎を捕らえて離さなかった。
女は栄一郎の目の前にまで接近すると、
「あなたの名前は?」
と尋ねてきた。
「小林栄一郎。」
「覚えておくわ。どうぞよろしく、刑事さん。」
女の口元に嘲るような笑いがうっすらと浮かんだことに、栄一郎は気づかなかった。
「君は?」
思わず問い返す。
女はほんの少し考えるような顔をして、間をおいてから答えた。

「………マリア。」

そしてそのまま、マリアは出口の方へ歩いていった。
栄一郎は何を思ったわけでもなくしばらくぼーっとその姿を見ていたが、すぐそばのうっとおしい物体にその余韻をぶち壊された。
「いやー、いいものを見させてもらった。恋のロ、ロマンスというものはいつの時代もいいものだなぁ。わしと家内の出会いも事件がきっかけだった。発砲した拍子にわしの差し歯が抜けてそれを家内が……」
また始まった。
「ロマンス」でどもるあたりかわいいおじさんなのだが栄一郎にとってはどうにもうざったくて仕方がない。
だが今日は30分も聞かずにすむ。
「部長、事件がありますので失礼。」
栄一郎がまんまと逃げきると、部長は壁相手に自分と妻の出会いの話を語り続けていた。

 「コバヤシ、待っていたぞ。」
部長から逃げきったと思いきや、今度は妙ににやにやした同僚二人が栄一郎の行く手を阻んだ。
そっくりの顔をした二人はまるっきり同じ声で栄一郎に詰め寄った。
「見てたぜ今の。取調室にいたあの女、なかなかの美人だったな。おまえが連れてきたんだろ?これからデートか?このヤローっ。」
ペラペラとよくしゃべるほうが兄の助。
「……あの女、惚れた。」 
ぶっきらぼうな物言いをするほうは弟の角。
この双子実はイタリア人なのだが、栄一郎が勝手にこう呼ぶうちにあだ名の方が浸透してしまい、今ではすっかり助さん角さんなのである。
………栄一郎は現在うっかり八べぇと風車の弥七を募集している。
「あの二人まだ取り調べを受けてましたの?」
お銀登場。出勤したばかりのリーファンが話に入ってきた。
「んー、家宅捜索が長引いただろ?神父さんは職務があるとか言って早いうちに出たんだがあの女は他に行くとこないらしいからな。」
行くとこがない?
行くとこがない 行くとこがない 行くとこがない 行くとこがない!「エイイチロー、あなた今『じゃあおれのところに』とか思ってませんわよね?」
リーファンの鋭い指摘に栄一郎は思わず青ざめる。
慌てて弁解しようとしたそのときには、もう遅かった。

ばきっ バゴッ みしっ べきっ メリッ
        (何が起こったかはご想像にお任せします。)

現場にたどり着いた栄一郎の姿はなぜか傷だらけだった。

 美術品盗品売買組織の親玉はあっさり捕まった。
栄一郎たちが何をせずとも、自分から罪を認め、自分から手錠をかけたのだ。
今度はちゃんと犯人がいたものの、またもやおかしな事件であることには違いなかった。
なぜなら栄一郎たちが踏み込んだとき、犯人はソファーの上にうずくまってひたすら懺悔していたのだ。一心不乱に祈る姿はとても警察を油断させるための演技には見えなかった。
しかしこのままではあまりに気味が悪かったので、栄一郎は尋問とは別に犯人に尋ねてみることにした。
すなわち、何に対して何を許して欲しいのかを。
「神に対して罪を」と言ってしまえばそれまでだが、栄一郎は今まで数々の犯罪者たちを見てきた経験もあり、いまいちそうだとは思いきれなかった。

となると、結論は
「おい、おまえ上の組織を裏切るかなんかしたな?よく消されなかったもんだ。」
「ち、違う。裏切る気などなかったっ。ただ私はあの方に認めていただきたくて……捨てることになった裏ルートを私の手で育てればと……」
どうやら当たりらしかった。
よっぽど錯乱しているのかベラベラとよくしゃべる。
これなら聞き出せるかもしれない。
「あの方って誰だ?」
「誰よりも美しく気高い……いつでも瞳に輝きを宿してらっしゃる……」
………
「………マリア…様。」

―――――そして、今やっと、事件は本格的に動き出す。
はたして終わりに何が待っているのか、それは誰も知らない。
おそらくただ一部を除いては。
続く。
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