『THE ETERNAL RUNAWAY』 第3話

 ―――――マリア。

今のところ手がかりはこの名前だけ。
男はあれ以上口を割らなかった。
何を聞いても
「私が何をしてもマリア様は『殺し』はなさらない。だがユダは、マリア様に害するならばなんでも容赦なく殺すだろう。だから私は、マリア様のために、そして自分のために、言うわけにはいかんのだ。」
と繰り返すだけだった。
栄一郎は男からもう何も聞き出せないとわかると腕組みをして深く考え込んだ。
――――――マリア。
この名前には覚えがある。
瞳に強い輝きを宿した、ボーン、きゅっ、プルンの美女。
ただ名前が同じというだけで関連づけてしまうのはどうかと思うが、偶然の一致とはいえ、あまりにもタイミングが良すぎる。

「よっ、眉間にしわ寄せちゃって何考えてんだよコバヤシ。」
「………あの女のことか?」
助角コンビが栄一郎の肩をぽんとたたいた。
栄一郎は辺りを見回し物陰をうかがいごみ箱をあさって、ちゃんと周りにリーファンがいないことを確認してからうなずいた。
「ヒューヒューッ♪ここだけ春が来た〜♪いい女だったもんなぁ。」
「しっ、静かに。リーファンに聞かれたらヤバイだろが!第一そんなんじゃなくまじめな話だ。まだカンの域だけどな、あのマリアっていう女はたぶん事件に関係あるぞっ!」
栄一郎は脂汗をかきつつ声をおさえて言った。
「は?」
真剣な栄一郎の前で、助と角は間の抜けた声を出した。
「マリアとはどんな女だ?」
角の言葉に栄一郎は愕然とする。
「取調室に長居してた例のあの女だ!忘れたのか?おまえら「いい女。」つってただろうが!」
栄一郎は必死に説明したが、返ってきた言葉はこうだった。
「あの女はマリアなんて名前じゃないぞ。」
栄一郎の頭の中は真っ白になった。
――――――マリア。
栄一郎にそう名乗った例の美女は、調べによると本名を
『アジル・ジェイル』という。
ごく普通の出自。この街ではたいして珍しくもない経歴。
あやしいところなど何一つない。
逆にそのことがあやしく思えるくらいに。

さて、ここで一つ問題がある。
ごく普通の少女、アジル・ジェイルが何故『マリア』と名乗ったのか。
栄一郎はすぐにその意味を理解した。
すなわちあれは、挑戦状だったのだと―――。 

 「一カ月後、英国皇太子が我が国を訪問される。そのときの警護に我々も……しかし最近はみんな訓練を怠っとるな。わしの若い頃は毎日『ドラえもん』を読んで何事にも対応できるよう備えたもんだ。スモールライトを持った敵がどこでもドアから現れたらどうするか。わしの考えは、まずジャイアンの歌声を録音し、しずかちゃんがお風呂をのぞかれたときにあげる悲鳴とブレンドして高らかなハーモニーを…。」
リーファンはいいかげん気が遠くなってきていた。
英国皇太子を警護する話がどうやったらドラえもんの話になるのか。
どうしてこういう人間が部長の座にいるのか。
リーファンのごもっともな疑問は「どうしてこの人が今まで人間として生きてこれたのだろう。」というところまで続いた。
リーファンの魂が今にも肉体を離れようとしたそのとき、窓の外には栄一郎が車に乗りこむ姿が映っていた。
リーファンは窓を開けて叫んだ。
目の前で部長が話し続けていることなどかまいはしない。
「エイイチローっ!私をおいてどこへ行くんですのーっ!」
その瞬間、栄一郎はアクセルを踏んだ。
ブレーキと間違えたなどとは言わせない。
迷いのない、いい踏み込みだった。
「部長っ!緊急の用事ができましたの!私これで失礼しますわっ!」
………電光石火。
リーファンがいなくなり部長が一体どうしたかというと、………今度は机に向かって話し続けていた。
部長の話は今ちょうどのび太くんがジャイアンから逃げているところだった。

 前を走る車に発砲したくなる気持ちをかろうじて抑えながら、栄一郎は『マリア』のことを考えていた。
いや、この表現は少し不適切かもしれない。
助&角から衝撃の事実を聞かされてから、正確には、盗品売買の親玉から『マリア』の名を聞いてから、突き詰めて考えると、あの意志の強い瞳に出会ったときから、栄一郎はマリアのことしか考えられなかった。
事件への興味だけではない。
それだけはハッキリと自覚していた。
しかしハッキリしているのはその自覚だけで、他のことは何故今自分は車を走らせているのかということすらよくわかっていなかった。
『マリア』がやっていることも、その正体さえも、疑いようのない証拠があるわけじゃない。
あるのはただ直感的な確信と、狂ったような熱情だけだ。
今から何をしにいくのか。
『マリア』にあって、自分は何をするつもりなのか。
自分で自分がわからない。
目の前で赤く変わる信号にいらだちを感じながらながら、栄一郎は奥歯を噛みしめた。
何かに追い立てられるような感覚にますます冷静さが奪われていく。
道路を横切る人の流れにため息をつき、音楽でもかけようかと手を伸ばしたそのとき、

栄一郎は聖女を見た。

――――――マリア。
人混みの中でも決してまぎれることのない輝くような美しさ。
不敵な笑みを浮かべたその美女は、フロントガラスを指でこづいて言った。

「乗せていただける?」

思ってもみなかった申し出だった。
驚きととまどいを咳払いで追い払い、栄一郎は勢いよく口上を述べた。
「やいやいやいやいっ!この警察手帳が目に入らぬかっ!てめぇらの悪行しかと見届けたり。(って、見てねーけど。)アジル・ジェイルと申す女、『マリア』と名乗ったこと、忘れたとは言わさぬぞ。勘弁して出るべきところへ出てこられい。(うーん、やっぱ助と角を連れてくりゃよかったな。なんかいまいち……。)」
(注・カッコ内は小声で読みましょう。)

「リバースド通りのお店までお願いします。」
完全無視!
しかもいつのまにか助手席に座ってるし。
へこみそうになるやらちょっとときめくやらで忙しい心を何とか落ち着かせ、栄一郎はとりあえず車を動かした。

「君の名前は?」

最初に口に出した言葉はそれだった。
聞きたいことが多すぎて何を聞けばいいのかわからなかったのだ。
栄一郎は横目でチラリと『マリア』を見て、すぐに目をそらした。
『マリア』はまっすぐ前を向いていて、答える気はなさそうだった。
やがて車は2度目の信号待ちに出くわした。
人々が横断歩道を渡り始めたとき、無言の車内で手錠をかける音だけが妙に大きく聞こえた。
手錠は栄一郎の左手と『マリア』の右手をつなぎ、それを見てようやく『マリア』が口を開いた。
「何をするんですか。」
少女らしい可愛い声だった。
しかしその調子は一定で、動揺や恐怖といった感情はまったく感じられない。
「こんな事をしてでもおれは君に聞きたいことがあるんだ。」
栄一郎は左手で『マリア』の右手をしっかりとつかんだ。
「君の名前は?」
「忘れたのか?マリアだと言ったろう。」
返事は笑いを含んだ感じで返ってきた。
自信に満ちあふれた声。
ついさっき聞いた声に比べると格段に張りが違う。
栄一郎は初めて聞く口調にとまどいもせず、これが本当の『マリア』なのだと静かに納得した。
「何をするつもりだ?」
「遊び。」
「……遊び?」
「警察をからかって遊ぶ。」
栄一郎は眉をひそめた。
「それだけか?」
「どうかな。タネを明かしたらおもしろくない。自分で考えたらどうだ?」
マリアはあいかわらず不敵な笑いを浮かべている。
手錠でつながれているというのに一体その余裕はどこから来るのか。
栄一郎は少し圧されたのか、言うまいと思っていた言葉をつい口にした。
「もったいない。犯罪者にしちゃいい目してるのに。」
しまったと思いすぐさま口を押さえたが、
「どんな目だ?」
マリアが興味を持ったらしく話が続いてしまった。
引き込まれるような瞳に思わず口が動く。
「……どんな目って、……まっすぐ生きてるって言うか、強いって言うか、汚れてないって言うか、……だあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!んなこっぱずかしいこと言えるかぁっ!」
マリアは真っ赤になって頭を抱えた栄一郎の頬を右手でなでると、柔らかく微笑んだ。

「ありがとう。」

それは今までの不敵な笑いとは違い、温かく、それでいて少し切なげな不思議な笑顔だった。
そしてマリアはゆっくりと顔を背けた。
「迎えが来たようだ。どうせまたあうことになるだろう。」
そう言って栄一郎の方を見たそのときの顔は、もう不敵な笑みに戻っていた。

―――錯覚?
栄一郎は目を瞬いた。
じっとマリアの表情に見入っていたので言葉は耳に入っていなかった。
犯罪者の言葉に対して注意を失うなど熱血刑事の栄一郎には絶対にあり得ないことのはずであった。
刑事たる者いくら美人だからといって簡単に目を奪われるようではやっていけない。
栄一郎は軽いようでいて実はちゃんと立派に悪を裁く黄門様(もどき)なのだ。
しかし今おそらくは裏の世界の大物と思われるこの少女を目の前にして、栄一郎は目も心も奪われていた。
ふと自分の行動に奇異を感じ、慌ててマリアから視線をそらすと、正気を取り戻そうとするかのようにごしごしと目をこすった。
目の端で信号がちょうど青に変わろうとしている。
ハンドルを持とうとしてついいつものように両手をあげ、栄一郎は妙に軽い自分の左手に気がついた。

「マリアっ?」

返事はなかった。
マリアは忽然と姿を消していた。
いつのまにかはずされていた手錠にほのかなぬくもりだけを残して。

―――一体あの女の本性はどれなんだ?
最初は生意気な口調がそうだと思った。
けれどあの笑顔。
それまでの不遜な態度とはうって変わった儚げな微笑は何だ?

栄一郎は例の表情を思い浮かべると、いてもたってもいられなくなった。
心がざわめいてどうしようもなかった。
「行き先はわかってる……か、」

なら追いかけてみればいい。
わからないなら、まずは行動してみればいい。
そうすればきっとこの気持ちの正体がわかる―――。

バンッ!

 『最後の楽園』の扉を勢いよく蹴り倒し、栄一郎は部屋の中にマリアの姿を探した。
誰もいない。
栄一郎がどれだけ走り回ってもただほこりが舞い上がるばかりで、人のいる気配というものが全然ない。
高そうなテーブルもソファーもみんなほこりが積もっており、光を遮断する分厚いカーテンは色褪せほころびていた。張り巡らされた蜘蛛の巣とともに天井を飾る大きなシャンデリアは電球が切れていて、入ってくる光といえばカーテンのほころびから射す一筋の日光だけだ。
ほこりにまみれた薄暗い部屋。
どこを見てもこんな所で人間が暮らしていけるとは考えにくい。
どの部屋にもマリアがいないことを悟った栄一郎は無遠慮にソファーに倒れ込んだ。
煙のように立ちこめるほこりに散々くしゃみを繰り返した後、ポツリと一人つぶやく。
「あー、おれってもしかしてあの女にイカれちまったとか……?」

げし。

言い終わった瞬間、不思議な音がした。
その音とともに栄一郎は前のめりに倒れた。
勘のいい人ならもうお気づきだろう。
さっきの音はリーファンのかかと落としがクリーンヒットした音である。
見事な攻撃に栄一郎は撃沈。
またかという言葉を残して意識を手放した。
しかしそれでは終わらない。
リーファンは栄一郎の襟首をつかんでぶんぶんと振り回した。
「エイイチローっ!私がどこでもドアでスモールライトされてるときにあなたって人は〜!どうして私一人じゃいけませんの?こんなに愛してますのに。……エイイチロー?どうして何も言ってくれませんの?」
栄一郎は泡を吹いていた。

 「……おまえもうちょっと力の加減ってもんを覚えろよな。」
たんこぶをなでながらそう言った栄一郎を見て、リーファンは口をとがらせた。
「もとはといえばエイイチローがパートナーの私に無断で飛び出していくからいけないんですわっ!もしかしたらと思えばやっぱりここでしたし。……そんなにあの娘が気になりますの?」
「気になる……?」
栄一郎は眉間にしわを寄せた。
気になると言えばそれはもうすごく気になる。
気になる、が、それは一体どういう気になるなのか。
栄一郎は未だよくわからなかった。
とりあえず栄一郎は事のいきさつをすべてリーファンに説明することにした。
「……というわけで、そう思ったらだなぁ、この手と足がいつのまにか勝手に動いたと。わかったか?」
「わかりましたわ。そんなにあの娘に会いたかったんですのね。」
「なんでそうなるんだっ!」
戦闘態勢に入ったリーファンを前にして、栄一郎は否定しつつも頭をかばった。
見るからに情けない姿である。
だが栄一郎はそんなことを気にしていられなかった。
「殺される。」
彼は本気でそう思っていたのである。
女の嫉妬というものは本当に恐ろしい。
なんてことのない話を思いもよらぬ方向に解釈し、それを信じてこのような暴挙に出たりするのだから。
が。
栄一郎は思った。そして無意識に口に出た。

「あ?待てよ?もしかしたらそうかも……」

……こうして小林栄一郎は27年という中途半端に短い一生を終えましたとさ。ちゃんちゃん。
『THE ETERNAL RUNAWAY』完。
ご愛読ありがとうございました。
というのはもちろん冗談で。
実際のところは瞳孔が開きそうになったくらいでとどまった。

「ごめんなさい。」
さすがにリーファンも反省し、急にしょんぼりとした様子になって栄一郎の腕にしがみついた。
「でもお願いですわ。いつまでも私の気持ちを冗談でかわさないで…。」
リーファンは潤んだ瞳で訴えた。
栄一郎の腕をぎゅっと抱きしめる。
栄一郎はリーファンのナイスバディに思わずどきっとした。
リーファンには決して誘惑しようだとかいう気持ちはないのだが、男というものはこんな状況でもそんなことを思ってしまうものなのである。
一回深呼吸して、栄一郎は言った。
「リーファンは美人でナイスバディでハッキリ言っていい女だ!何より見る目がある!しかし考えてみろ。黄門様とお銀のカップルは究極のタブーだろうがっ!」

バキッ。

あざやかに決まったアッパーカット!
栄一郎が気を失う寸前にすばやくエルボ!
そして落ちてくる栄一郎のあごを今度は膝で受け止める。

ゴキッ。

栄一郎は薄れていく意識の中でつぶやいた。
「それさえなけりゃもっといいのに…。」と。

「どうしてそこまで女心を踏みにじれるんですの!」
リーファンは意識を失った栄一郎にそう告げると、ほこりっぽい空気にいいかげん耐えきれなくなったのか勢いよく窓を開けた。
暗かった部屋にまぶしい日の光がいっせいに押し寄せる。

そして、やっと気がついた。

奥の壁一面に赤いペンキで
『私どもの皇太子殿への祝福をお楽しみに。―――マリア』
と書かれていることに。
続く。
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