『THE ETERNAL RUNAWAY』

 これは、たぶんそう遠くない未来の話。


 「そろそろ潮時だな、手はずはどうだ。」

女が言った。
ほこりっぽい空気のこもった部屋。
かなり広いにも関わらず天井には電灯が一つしかつけられていない。
その明かりの真下、薄汚れた身なりの男たちに囲まれて、女はいた。
髪はオレンジで、肩にかかるかかからないかのところであちこちにはねている。
奇抜なデザイン派手な色の、プロポーションがよくなければまず着れない服。
成熟した肢体に比べると顔はかなり幼く、そのアンバランスさが小悪魔的魅力を醸し出していた。
年齢は不詳。先ほどから男言葉を使っているが、これはなめられないためのものだ。
しかし、いかに男言葉を使っているとは言っても実際はか細い少女。
触っただけで折れそうな腕の下に従う者などいるはずもない。
はずだが、この部屋に集まったいかにも荒くれ者といった感じの男たちは彼女を中心に最初からずっと跪いたままである。

 群れの中から、黒髪の若い男が顔を上げて答えた。
「すべてあなたの望み通りに。聖女マリア。」
「ユダか。おまえなら大丈夫だろう。」
マリアと呼ばれた女とユダと呼ばれた男は互いに微笑み合った。
そして電灯が消され、暗い部屋は深い闇に包まれた。


 小林栄一郎は退屈していた。
天職と定め猛勉強して試験に受かり、実践をこなして異例のスピードで出世。
普通ではまず入れないICPOにまで入った。
努力と幸運で勝ち取った誰もがうらやむ輝かしい人生。
しかし彼は不満だった。

―――――事件がまわってこないのである。

 小林栄一郎 27歳。 職業 刑事。
犯罪を取り締まることが彼の生きがい。
話によればわずか3歳から水戸黄門のファンだったらしいが、そんなことはどうでもいい。
ここ数日、世界は平和。
何もない 何もない 何もない…………
彼の机の上には見ているだけで頭の痛くなるような書類の山が広がっていた。
しかも全部手つかず。
「事件はないのかっ!退屈すぎてしまいには脳味噌くさるぞ絶対。」
書類に向かってとりあえず怒鳴ってみる。
 ギロッ………
上司の冷たい視線にもめげない。
「ぶちょー。最近おれたち商売あがったりじゃないですか。」
「阿呆。何を言うとるか。平和が一番だ。わしが子供の頃はよくお星様に世界平和をお願いしたもんだ。そのわしがここに入ることになったきっかけといえばそう、あれは小学校の頃、鳥のフンが頭に落ちてきて………」
 栄一郎はしまったと思った。
オヤジはみんなそうだがそれなりの地位にいる中年は特に!
話が長いうえくどい!
でもって自分の話なんかに突入してしまった日にはアナタ。

¥=〇%#!▼□!”◎〒##&?@:◇↓〓∋●¢∴∞’♀$+−*

以上、栄一郎の心象風景。
そして30分後。

 トゥルルル…………

神は彼に救いの手をさしのべた。
「はいっ!」
ものすごい勢いで電話にタックル。
もしかしたら事件かもしれないっ!
「もしもし?」
「ハァ、ハァ。パンツ何色?デヘヘ………」
――……ICPO本部にイタ電かけるたあ大胆な奴もいたもんである。
ただのイタ電野郎にしておくのは惜しいなと思いながら栄一郎は………
「今日は3枚千円のドラえもんのトランクスだ参ったかこの野郎っ!」
ガチャッ!
………結局ぶつぶつ言いながら書類を片づけにかかるのだった。
 今日も事件は起きなかった。
しかし彼は知らなかったのである。
この見せかけの平和の裏で大きな事件が今にも彼らに襲いかかろうとしているのを。


 ピーンポーン

夜だというのに幾度となく鳴り続ける玄関チャイム。
 ピーンポーンピーンポーンピーンポーン
腹の立つ鳴らし方だが決してここで出てはいけない。
栄一郎はいつものことだと自分に言い聞かせながらカップヌードルの封を開けた。
「嫁さんほしーなぁ。」
今にも崩れそうなぼろいアパート、家賃を取り立てに来た家主の声を耳に受け、天井を見上げてつぶやく。
同時に深いため息。
「こう、胸がボーン、ウエストきゅっ、尻プルンみてーないい女いないもんかね。」
栄一郎はプライベートの時でも手放さない拳銃をふところから取り出すと、片手でくるくると回して見せた。
右から左、左から右、背中を通って右から左。実に器用に渡っていく。
「事件もなけりゃ女もおらず。刑事の薄給じゃ、パーっといこうにも今月の家賃にも困る始末、か。」

「そりゃああれだけ無駄遣いしていればそうなりますわ。自業自得です。」

栄一郎の視界に突然美女が現れた。
まさに胸がボーン、ウエストきゅっ、尻プルンのいい女。
スーパーモデル並のそのスタイルにさらに大きくスリットのはいたタイトスカートをはいているので、動くたびにフェロモンが分泌されていた。
栄一郎はさほど驚いた様子もなく、
「おう、リーファンか。おまえ勝手にひとんちの鍵開けるのやめろよな。」
と、鼻の下を長くして言った。
「だってエイイチローったらいまだに鍵をくれないんですもの。私でよろしければいつでもお嫁さんになってさしあげますのに。」
アジア系の美女リーファンは、艶めかしいしぐさで栄一郎にすりよった。
もともと女に弱い栄一郎はリーファンのフェロモンにあてられてノックアウト寸前だ。
「えっ、こ、このないすばでーがおれのもんにっ?」
 バッチーン。   ……ビンタ命中。
「ひどいですわエイイチロー、私本気ですのにそんな体にしか興味がないみたいな言い方をなさるなんて。」
体を使って言い寄ってきたくせに……
という本音を飲み込みつつ、栄一郎は二つばかり咳払いをした。
「で、何しに来たんだ?」
やっと本題である。
「事件ですわ。すでに指示が出ていますの。私とエイイチローのペアで今から現場へ直行、捜査にあたれとのことですわ。ここの家賃は今私が払っておきましたので外に出ても誰もいません。さあ、行きましょう。」
「ばっかやろう、もっと早く言えっ!」
栄一郎はすっかりのびたカップヌードルをそのままにして意気揚々と飛び出していった。


 「ユダ、警察の犬どもがやっとかぎつけたようだぞ。」
次第に大きくなってくるパトカーの音を窓から聞きながら、女は低い声で言った。
先ほどまでいた大勢の男たちはすでにおらず、そばにはユダとよばれた男が一人だけ立っている。
「仕上げは完璧です。」
ユダは右手を胸にあて深くおじぎをするとそのままその手で宙に十字を描いた。
女はそれを見て口の端だけで笑い、急に高い声で調子を変えてこう言った。
「いつもご苦労様です。シンプソン神父。」
そして、シンプソンとよばれたユダはこう返す。
「私はいつも聖女マリアとともにありたいと願っているだけですよ。」

ダンダンダン

入り口の扉が激しくたたかれる音がする。
「まあ、何事かしら。」
女は微笑さえ浮かべて扉の方へ歩いていった。

扉の向こう側に幼少のころ水戸黄門の印籠(おもちゃ)を磨くのが日課だったというあの男が立っているのは言うまでもない。
続く。
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