『死神6』

僕の町では今日も死神が死を売っている。
毎日夜になると、「そこのあなた、死にたくはありませんか?今ならなんと半額!お一人様一度限り。お得な値段で死ねますよー。」などという声をかけて死を売り歩くのだ。
死神といっても、そう怖いものではない。
窓から手を振れば気安く応じてくれる。

はずなのだが。

いざ声をかけようとすると途端に不安になってきた。
何かやり忘れたことはないだろうか。
準備は万端…だと思う。
だが万が一何かを忘れていたら取り返しがつかないのだ。
いや、昨日も一昨日も考えたが結局何も忘れていなかった、はずだ。
大丈夫。大丈夫だ。完璧だ。
今度こそ死神に声をかけようとして窓枠に体重をかける。
ふと、思い出した。
「…そうだっ!前に使っていたカバンの中に渡しそびれたラブレターが入ったままかもしれない!」
僕は大慌てで棚を引っかき回した。
ボロボロだが捨てきれずしまい込んでおいたカバンを取り出し、ひっくり返して中を見る。
何も入っていない。
ほっと息をつき、もう大丈夫だと再び窓辺に立つ。

死神はいなくなっていた。

なんてことだ。
これで何度めだろうか。
死神は足が速すぎる。客を置いていくなど言語道断だ。
きっと探しに行けば見つけられる距離にいるだろうが、わざわざ追いかけていく気にはなれない。
息を切らせて死を買いに行くだなんて、まるで焦っているみたいじゃないか。
僕は優雅にゆったりと死にたいのだ。
醜聞一つ残さず、完璧に。
仕方がない。死ぬのは明日に持ち越しだ。
とりあえず部屋の中を隅から隅まで、残すとまずそうなものを処分し忘れてないか確かめ直すとしよう。
と、痛む頭を押さえながら後ろを振り向けば、

「おじちゃん今日も買いそびれたの。」

幼い瞳が薄く細められていた。
「…僕はまだおじちゃんと呼ばれるような年じゃあない。」
「自分の中の微妙な違いって周りから見ると違わないことが多いの。」
僕の腰までの背しかないくせに口ばかり達者なこのクソガキは、何故か毎日部屋に通ってくる不法侵入者だ。
一応女の子だから紳士的に接してやりたいのだが、非常に迷惑しているのでついつい乱暴になってしまう。
「いいかげん勝手に人の家に入るのはやめなさい。すぐに出て行くように。」
これから部屋の中を確かめるというのに、そこにいられると困る。
「……おじちゃん、あたしに隠し事なんて無意味なの。おじちゃんがベッドの下に隠してたえっちな本の山をどうやってこの世から消そうかってうんうん考え込んでたときも見てたし、おじちゃんが奥の棚に隠してた自作ポエムをひたすらびりびりびりびり破ってたときも見てたし、おじちゃんが…おじちゃん、ちょっと苦しいの。」
僕は思わずクソガキの首をしめつけていた。
いかんいかんいかん。殺人という最大の汚点を作ってしまうところだった。
しかしこれは問題だ。
僕の死後作られるであろう美しい伝説の障害になりそうなものはほぼすべて抹消したはずだったのに、こんなものが残っていたとは!
所詮はガキと野放しにしておいたのが災いした。何をどこまで知られているかわかったもんじゃない。
即刻処分せねば。
「……おいクソガキ。僕の目をじっと見ろ。」
「クソガキじゃないから見れないの。」
「…………お嬢ちゃん、僕の目をじっと見てごらん。」
「変な人の言うこと聞いちゃいけないってしつけられたの。」
誰だこの子憎たらしいガキをこんなふうにしつけたのは。
「どのみちおじちゃん催眠術なんてやったことないの。」
確かに経験もなければ方法も知らない。気合いでかかるような気がしていたんだが無理か…。
口止め料を払うというのはどうだろう。相手は子どもだ。安くあがるだろうが…。
「白馬に乗った王子様と結婚して贅沢三昧するのが夢なの。」
死んだ後も効力があるかわからないから却下だ。
「ああ…僕の完璧なる死が崩れていく……。」
このままでは明日も死ねないではないか。

そもそも死のうと思い立ったのが半年前。
見る目のない女に恋をしてしまった人生最大の失敗を経て、これ以上僕の完璧な人生に傷がつかないうちにピリオドを打とうと思ったのだ。
完璧なピリオドを。
そのための努力は惜しまなかったつもりだ。
それまで捨てきれずにいたものもあっさりと埋め、沈め、引き裂き、燃やした。
取りこぼしはおそらくない。
あとは死神を捕まえるだけだったというのに!

「……お部屋のお片づけなんて一日二日で終わったのにそれから半年の間ずっと死神さんを捕まえられずにいるのってすでに完璧じゃないと思うの。」

「うるさいっ!半額セールを待っていたんだ!」
そうだ。今日は念入りにチェックする。明日こそは死神を捕まえるのだからな。
早口言葉と発声の練習もしておこう。動体視力は一朝一夕で鍛えられるものではないだろうが、死神を見つけた瞬間即呼び止められるよう目にいいものを食べておこう。
いや、あまり大声をはりあげるのは優雅じゃないな。優雅に、確実に死神を捕獲するにはやはり死神の早足が問題なんだ。死神が客に優しいペースで歩いていたなら僕はすでに死ねていたはず。

「死神さんは普通に歩いてるの。」

「心を読むなっ!」
「……さっきからぶつぶつつぶやいてて不気味なの。」
声に出ていたのか…不覚。
眉間に手をあててうなだれていると、クソガキに顔をのぞきこまれた。
大きな瞳にハッキリと僕が映っていてなんとなく気味が悪い。
すべてを見られているという感じだ。

「おじちゃん明日も買えないの。」

僕は眉をひそめた。

「死神さん呼ぶときあたしを思い出すの。」

ふっくらした頬が持ち上がり、つややかな唇が弧を描く。
このクソガキはいつもいつのまにか部屋の中にいて、半年間ずっと僕を見ていた。
僕の汚点を数えきれないくらいその目に映し、多くの他人が知らない僕の欠点も見抜いているだろう。
「最初は面白いおじちゃんって思って見てたんだけど、ずっと見てるとどんどんどんどん変なおじちゃんだってわかって楽しかったの。明日も来るの。明日もおじちゃん変なの。今までも毎日変だったの。だから明後日もその次もその次も変なおじちゃんなの。……毎日来るの。」
しかしだ。
どうしてここまで変変変と繰り返されねばならんのだ。
男が官能小説の一冊や二冊や数十冊、持っていておかしいことなどあるものか。詩を綴って何が悪い。例え後から見返せば悶え苦しむ他ないものでもこの世に一つの想いの結晶だろうが!他に何を見たか知らんが納得いかん、納得いかんぞ!犯罪の域に達していたものは一つとしてなかったはずだ!
確かに、完璧な死のためにはかなり…いや、少々隠しておきたい事実たちではあるが…。
もしやこのクソガキ僕を脅しているつもりなのか?
だとしたら交換条件はなんだ。どこかから白馬と王子を誘拐してこいと?
馬鹿馬鹿しい。
「……お嬢ちゃん、僕は完璧な死を手に入れる。それ以上は下手なことを言わない方が身のためだ。…僕の死後もその口をふさいでおくための手段は一つだからな…。」
忠告はした。
これで黙らなければこのクソガキが心底馬鹿だったということだ。
鋭い視線を突き刺せば、小さな体は怯みもせず、むしろ心なしか胸を張ったように見えた。

「変なおじちゃんには完璧なんて無理なの。」

「黙れっ!この世に完璧な人間なんかいるものかっ!」

あ。

笑い声が、響く。
きゃらきゃらと、おかしそうに。
こらえきれずに子どもが笑う声。

「やっぱりおじちゃん、変なの。」
その笑顔はクソガキにはまったく似合わなかった。
まるで、ただの少女のような。
からかってやろうと思うのに、僕の声は閉じこめられて、一言だって出てこようとしなかった。

わかっていた。
完璧じゃない僕は毎日失敗をしてますますそこから遠ざかっていく。

生きているだけで、すでに。

ならば死んでしまえばいい。
完璧に。
それならば、僕にもなんとかできるはずだろう?

「お姉ちゃんがおじちゃんをふったのは、完璧じゃないからじゃないの。」
クソガキは瞳をそらさないまま僕の腰にしがみついた。
「単に好みじゃなかっただけなの。」
「お……ま…え………」
今まで勝手に来ては勝手に帰っていくので身元なんか気にもしなかったが…まさか、まさか…僕が玉砕した彼女の…。
「妹なの。」
「何度も会ったのにおじちゃんはお姉ちゃんしか見えてなかったの。」と、小首を傾げながらにんまりと笑みを深めていくその様は、小悪魔以外の何者でもない。
考えたくはないが、この半年間僕の行動のすべては彼女に筒抜けだったということなのか!
「大丈夫。お姉ちゃんはおじちゃんに興味ないの。」
うちひしがれた様子の僕を見て何を考えたか悟ったのか、服の裾を引っ張って言う。
僕はさらにうちひしがれた。
「……そうか、…好みじゃないからふられたのか………興味、ないのか……へー、ほー、ふーん……」
「そうなの。どうしようもないの。」
すかさずとどめをさすクソガキ。子どもは天使だとかのたまっている奴につきつけてやりたい。
子どもは残酷だ。
何も知らないくせに。

好きだったんだ。

本当に。

僕は元々他人に欠点を晒さないよう努めていたけれど、
隠すのではなく克服しようと思ったのは彼女に恋をしてからだった。
完璧であれば振り向いてもらえる気がしていた。
そんな僕を受け入れてもらいたかった。
だが克服は隠蔽よりも難しい。
彼女は僕より完璧な男を選んだのだと、思っていたかった。
そうじゃないと、
どうすればいいのか、
わからないじゃないか。
どこにも行けずに、
ただ

痛いだけじゃないか。

僕は半年間一度も流さなかった涙をぽろぽろ底に穴の開いた瓶のようにこぼしていた。
細い腕が伸びてきて、僕の胸をぽんぽんと叩く。
本当は肩を叩きたかったのだろう。
見上げる顔が微妙に悔しそうだった。
なんだ。
そんな表情もできるのか。
今日は珍しい顔をよく見る日だ。
目元を拭いながら、なんとなく、少し笑った。
仕返しのつもりで頭を軽く叩いてやる。
前屈みになった拍子にぐいっと引っ張られ、とんでもなく恐ろしい感触が頬を襲った。
クソガキは言った。

「だから、いつか白馬に乗ってあたしに贅沢させるためにも、死んじゃダメなの。」

誰が見てもツノと尻尾を確認できる微笑みで。
僕がピクリとも動けないうちにくるりと背中を向け、「また明日なの。」と言い残して帰っていった。

暗転。暗くなる目の前。
転倒。遠のく意識。
悪魔に魅入られた人間の最期。
ではなく、単にびっくりしすぎて一瞬意識が飛んだだけらしい。
なんてことだ。
やはり脅されていたのだ。
半年間一切制限のないありのままを見られた後では、今さら対策など思いつかない。
白い馬にまたがることを強要され…尻に敷かれる未来を企てられて……
どうしろというんだ。
相手はクソガキの皮を被った悪魔だ。
いかん。熱が出てきた。
押し当てられた唇の感触が何故か消えない。
たぶん呪いだ。
心臓がうるさいのは一度止まりかけた反動だ。
この胸の高鳴りに覚えがある気がするなんて気のせいだ――――っ!


僕の町では今日も死神が死を売っている。
毎日夜になると、「そこのあなた、死にたくはありませんか?今ならなんと半額!お一人様一度限り。お得な値段で死ねますよー。」などという声をかけて死を売り歩くのだ。
僕は窓辺にスタンバイし、喉は快調、視力も抜群、はっきりと死神の姿をとらえいつでも呼び止められる状態だったが、やむなく見送ることとなった。
何故なら今は半額セール中だからだ。
僕は断固抗議する。
安価だけがサービスじゃないはずだ。何がお一人様一度限りだ。何がなんでも一人で二つ買わねばならないときはどうしろというのだ。
だが、見送るのは半額セールの間だけだ。

「……おじちゃん、死のうとしなくても、ちゃんと毎日来るの。」

セールが終わったら絶対に二人分の死を買ってやる。

「ほっぺた赤いの。可愛いの。」

絶対に買ってやるんだ!

「そんなおじちゃんが大好きなの。」

…………高くなければ。

ここだけの話、完璧への執着は薄れつつある。
僕ほどのスケールの人間が完璧などを目指したのがそもそもの間違い。
その上を目指すべきだったのだ。
完璧の上に位置するものが何なのかはまださだかでないが、目指し続ければいつかはわかるだろう。
間違っても白馬の王子などではない、はずだ。
数年後自分の中でロリコンの汚名を返上できるまで絶対に死ねないと思っていることは、誰にも知られてはならない秘密。

「お姉ちゃんより美人になるの。乞うご期待なの。」

「心を読むな!」
「全部声に出しちゃう方が悪いの。」


僕の部屋には今日も悪魔が入り浸っている。
悪魔に魅入られた人間に、逃れる術はおそらくない。
END.
    

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