『死神2』

 私の町では今日も死神が死を売っている。
毎日夜になると、「そこのあなた、死にたくはありませんか?今なら二十年前と同じお値段で死ねますよー。」などという声をかけて死を売り歩くのだ。
死神といっても、そう怖いものではない。
窓から手をふれば気安く応じてくれる。

「ちょっとあがってきて。」
家の二階の窓から、私は死神を呼んだ。
死神に声をかけたのは今日が初めてだ。
肩にかつがれた大きな鎌。
今まで一体何人の魂を引き裂いてきたのだろう。
ときおり啼くように鈍く光るそれを見て、私は背筋が寒くなった。
「で?なんの用だ?」
用件はわかりきっているのに、死神はわざと聞いてきた。
意地の悪い微笑み。
商売人とはとても思えないその態度に、私は思わず顔をしかめた。

「死を売ってくれない?」

私は死神から目をそらすまいと、強く思った。
指先が震えるのを必死に抑える。
死を買っている人は他にもたくさんいるのに、この一言を言うのはやはり緊張した。
禁忌にふれるような気がするからだろうか。
しかし決して恐ろしくはなかった。
「未成年は追加料金がかかることになっている。」
死神はこの場に漂う緊迫感を祓うかのように、おどけた感じで両手を広げてみせた。
もしかしたら私を止めようとしているのかもしれない。
だがそれは余計なお世話というものだ。
私の決意は生半可なものではないのだから。
「私が死にたいんじゃなくて私が買った死を人にあげたいの。」
「その場合も、だ。」
死神は驚きもせずに平然としている。
そう珍しいことではないのかもしれない。
「いくらよ。」
「追加料金というのは使用人物と使用理由を明かすことだ。」
「…いいわ。」
交渉は一応成立した。
「使用人物は私の父親。使用理由は殺したいほど憎いからよ。」
まるで人生相談でもするように、私と死神は向かい合って話し始めた。
張りつめた雰囲気の中で真剣な話をしているのに、死神の不遜な態度はまったく変わらない。
「なんで憎いんだ?」
死神は煙草を吹かしながら言った。
「そんなことまで言う必要があるの?」
「死神といっても商売だ。モットーはお客様に喜んでいただくこと。客のことを知らなきゃサービスのしようがない。」
死神はうっすらと笑みを浮かべた。
一つ一つの動作がなんだかバカにされているようで腹が立つ。
「あんたは私を不愉快にさせてばっかりだわ。」
「それは悪かったな。おまえは本当は父親を憎んでいないような気がしてね。」
「憎いわよっ!」
この死神は何を言い出すんだろう。
ひとがこれだけ強い決意を持っているのに!
怒りが大爆発しようとしたそのとき、
「殺したいほど憎いのなら、どうしておまえが殺さない?」
死神のセリフが私の心を裂いた。
「……どうしてって……。」
わからない。
わからないけど、わからないけど、
「でも許せないのよ。」
何故か涙が出そうになった。
こらえきれて結局でなかったけれど、また死神に笑われた。
この死神こそ殺してやりたいかもしれない。

「さて、じゃ、さっそく父親さんの魂の緒を切りに行こうか。」
「え?」
死神は私をひょいと抱え上げると窓から飛び降りた。
ここは二階だ。
突然の思わぬ出来事に短い悲鳴をあげたが、その一瞬に地面は遙か遠くへと退いていた。
死神は高速で空を走った。
目的地に着くと、死神は宙に浮いたまま地上を指さした。
「あれがおまえの父だろう。」
それはまぎれもなく私の父だった。
父は難しい顔をしてひたすら働いていた。
額に刻まれたしわがいっそう深くなっている。
私はしばらく呆けたようにその姿を見つめていた。
すると、死神が私に大鎌を差し出した。
「これで父親の首をはねろ。何の外傷もなく魂の緒が切れる。」
初めて聞く真剣な口調。
凍るようなその眼差し。
そして何より私の望みであったはずのその言葉に、私は戦慄した。
全身に汗がだらだらと流れ落ちる。
声を出すこともできなかった。
死神は汗でべとついた私の手に無理矢理大鎌を握らせた。
がたがたとわなないて落としそうになったため、死神は私の手を上からしっかりと握りしめた。
私の手に握られた死の鎌が、死神の力でゆっくりと振り下ろされていく。
父の首元に。
私は気付かないうちに泣いていた。
目から涙が大量に吹き出してくる。
だがいくら泣いてもこの鎌は止まりはしない。
ゆっくり、ゆっくりと私の手が父に死を招いていく。
「いくぞ。」
死神が耳元でささやいた。
と同時に私の手を握る手にぐっと力が込められた。
瞬時に鎌が振り下ろされる。
私は我を忘れて絶叫した。
「やめてぇーーーーーーーーーーーーーーーっ!」

ザシュッ。

音とともに、父はあっけなく倒れ込んだ。
たった一振り。一瞬のこと。
それだけで、父は二度と動かない冷たいモノになった。
悪夢のような、まぎれもないこの現実。
「満足したか?」
悪魔のような、本物の死神がささやいた。
満足なんかするわけがない。
するわけがない。
「たすけて。」
何も考えないうちにつぶやいていた。
「どうして?殺したいほど憎かったんだろ?」
「そうよ。今まで何度そう思ったかしれない。存在が憎くて、殺してやりたいほど憎くて、でも殺せなかった。」
だって。
「だって私の父だもの。」
父だからこそ殺したいほど憎くて、父だからこそ殺せなかった。
それが許せなかった。
でも。
「助けて。お願い。」
「悪いが、死は売れても生は売れない。例えおれが天使だとしても。」
「……。」
もうとりかえしがつかない。私はなんてバカなんだろう。
どうしてこんな事がわからなかったんだろう。
……どうすればいいんだろう。

「まぁ、これはおれが見せた幻影だけどな。」

…………。
「は?」
「生は売れなくてもこの程度のことはできる。本物は今バリバリ働いてるぞ。これにこりたらもうそんな理由で死を買おうなんてしないことだ。」
何?信じられないこいつ。
やたら人をバカにしたような態度だと思っていたらまさか本当にバカにしていたとは。
「あんた最初からこういう気だったのね。」
私は怒りのオーラを背景に死神をにらみつけた。
すると、死神は悪びれる様子もなくこう言ったのだ。
「おれの死は高いんだ。」と。

 私の町では今日も死神が死を売っている。
毎日夜になると、「そこのあなた、死にたくはありませんか?今なら二十年前と同じお値段で死ねますよー。」などという声をかけて死を売り歩くのだ。
死神ははっきり言って意地も態度も悪いとんでもない奴である。
だから私は今日も窓からこう叫ぶ。
「あんたのとこの死なんて誰が買うもんですかっ!」
そうしたら、奴はなんとなくうれしそうに微笑むので、ついつい明日もまたやってしまうのであった。
END.
一応続く。
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