『死神4』

 私の町では今日も死神が死を売っている。
毎日夜になると、「そこのあなた、死にたくはありませんか?今ならいっせい大幅値下げ!おまけの特典もつきますよー。」などという声をかけて死を売り歩くのだ。
死神といっても、そう怖いものではないらしい。
窓から手をふれば気安く応じられてしまう。

「あがってきてくれないか。」
家の二階の窓から、彼は死神を呼んだ。
止める間もなかった。
泣きくずれる私の耳に容赦なく死神の足音が聞こえてくる。
足音が止まると同時に、私は顔をあげて死神をにらみつけた。
どう見ても普通の人間にしか見えないその姿。
だが背中にかついだ鎌の凄まじい威圧感が今まで奪ってきた人の命を物語っている。
私は叫んだ。
「どうぞお引き取り下さい!死なんかいりませんっ。」
しかし彼が落ち着いた口調で遮った。
「いや。オレはもう決めたんだ。死を買うよ。」
彼の覚悟はもう決まっているのだ。
私が泣いても叫んでももう彼の覚悟は変わらないのだ。
そのことが痛いほどよくわかったけれど、あきらめるなんて絶対に嫌だった。
「どうしてっ!どうしてよっ。生きてさえいればいろんなことがあるじゃない。なのにどうしてそんなに簡単に死を選んでしまうのよ!」
彼はゆっくりと首を振る。
「オレはもう疲れたんだよ。オレの人生だ。好きにさせてくれ。」
「好きになんかさせないわ!私あなたを愛してるのよ?あなたを引き止める人がここにいるのよ?どうしてもっと生きようと思わないのっ!」
私の必死の訴えに、彼はうなだれてため息をついた。
「おまえはいつも愛という言葉を切り札のようにふりかざすな……。でも愛しているんだったらオレの気持ちもわかってくれ。」
私はとまどった。
彼の気持ちは十分すぎるほどよくわかっているつもりだった。
けれど、今の彼の言葉はよく理解できなかった。
愛という言葉をふりかざすとはどういう意味だろう。
私が彼を愛しているのはただの事実だ。
愛しているからこそ、わかっていても引き止める。
当然のことではないか。
なのにどうして彼はそのことをわかってくれないのだろう。
たった一言で、私には彼のことがわからなくなった。
「どうして?愛してるから生きていてほしいなんて、当たり前じゃない。」
「愛してたら、何をしてもいいのか?オレもおまえを愛している。でもそれ以上にオレは生きることに疲れてしまったんだ。だから今オレを愛という言葉で縛りつけるのはやめてくれ。」
勝手だ。
なんて勝手な言い分なんだろう。
私は悔しくてたまらなかった。
彼の言い分が悔しかったのか、それでも彼を愛していることが悔しかったのか、彼の決意を揺るがせることができないことが悔しかったのか、あるいはそのすべてなのか。
わからない。
わからない……けれど、
私は彼が憎かった。
愛しているからこそ余計―――。
「取り込み中悪いんだが、おれもそんなに暇じゃない。売れっ子なんでな。そろそろ話をつけてくれ。」
ずっと私達のやりとりを見ていた死神がとうとう口をはさんできた。
彼の表情が決意に染まっていく。
私はガタガタと震えながら、もうどうすればいいかわからなくなっていた。

「死を買う。」

彼がそう言った瞬間、私は我を忘れて駆け寄った。
なのに。
私の目の前で、彼は力なく倒れ込んだ。
死神の鎌が鈍い光を発し、低く啼く。
死神は仕事が終わればもう用は無いというように、何気ない動きで階段を下りだした。

「おれの死を買うか買わないか。選ぶのはおまえたちだ。おれは売るだけだ。」

私はもう涙を流さなかった。
叫びもしなかった。

「私にも……死を売って。」

しんと静まりかえった心とは反対に、指先の震えが止まらなかった。
「私のこと馬鹿な女だって思ってるわね。」
私は自嘲した。
死神は興味なさそうに煙草を取り出して火をつけている。
私はかまわず続けた。
自分に言っているのかもしれなかった。
「自分でも馬鹿だと思うけど、でもいいの。生きていたらいろんな事がある。でも、あの人はもうどこにもいない。だったらこの世に意味はないのよ。」
自然と口元が笑った。
死神が白い煙を吐きながらこっちを見る。
手には大鎌が握られている。
私が目を閉じたとき、死神が言った。
「死んだらどうなるか知ってるか?」
「天国か地獄に行くんじゃないの?」
死神がため息と煙を同時に吐く。
「そんなものはない。何もない。ただ、無だ。生まれ変わりなんてものもない。」
死神は私を一瞥し、大鎌を構えた。
再び鈍い光が目に映る。
私はもう目を閉じることができなかった。
指先が、震える。
あの鎌が振り下ろされたら、私は彼と同じところへ行ける。
彼がいなければ何の意味も持たないこの世の中から解放される。
そして、死神は鎌を力強く振り上げた。

「待って!」

死神の鎌がピタリと制止した。
「本当に、何もないの?」
「おれはこの道のエキスパートだ。」
死神は馬鹿にするように唇の端をつり上げた。
鎌は依然として私の頭上で止められている。
「あの人には、もう会えないの?」
「ああ。」
「私が死んでも、会えないの?」
「ああ。」
「そんなの、あんまりじゃない……。」
死神はゆっくりと煙を吐き出しながら鎌を背中にかついだ。
私は一気に力が抜けて思わず床にへたりこんだ。
「私、どうすればいいの?これからどうすればいいの?」
うわごとのようにつぶやくと、死神が背中を向けて言った。
「自分で決めろ。それともまた、おれの死を買うか?」
私は迷わず首を横に振った。
「なら答は一つだろう。」
「わかったわ。」
死神は背中を向けたまま階段を下りていった。
私はその様子を無言で見送ったが、ふと思いつき、慌てて窓から死神を呼んだ。
「ちょっと待って!どうして?どうして私には死を売らなかったの?」
死神は煙草を吹かしてから私の方を見ると、
「おれの死は払い戻しがきくんだ。」
と言って、振り返らずに歩いていった。
私はしばらく呆然と窓辺でたたずんでいた。
そして、死神が歩いていった方を見て、少し、笑った。

私は、生きていく。
彼の分まで、生きていく。
この世に生を受けた、一度きりの奇跡を、精一杯、生きていく―――。


 私の町では今日も死神が死を売っている。
毎日夜になると、「そこのあなた、死にたくはありませんか?今ならいっせい大幅値下げ!おまけの特典もつきますよー。」などという声をかけて死を売り歩くのだ。
私はその声を聞くたびに、決して忘れてはならない重い過去を振り返る。
そして、そのとき誓った強い決意を、再度胸に刻みつけるのだった。

今日も死神は死を売っている。
今日も私は強く生きている。

私が死神の死を買うことは、もう二度とない。
END.
一応続く。
NEXT

  

HOME