死神は少年の姿で現れた。
震える手に包丁を握りしめ、痛いほど奥歯を噛みしめて。
紅潮した頬には涙のあとがついており、両の目は憎悪と決意に彩られている。
何も言わなくても感情の激しさが伝わってくるようだった。
死神の来訪を待ちわびていたはずの男はしばし呆然とした。
そんな男の目を覚ますかのように少年が告げる。
「父さんの仇を討ちに来た!おまえを殺してやるっ!」
男は目を見開いて、そして笑った。
「そうか。そういうことか。なるほど確かに僕に一番ふさわしい死だ。」
少年は男の言葉も聞かずに駆けだした。
声を張りあげ目をつぶって突っ込んでくる少年の姿を男は穏やかな気持ちで見つめていた。
死は目前だった。
が。
ガタガタガコッ。
少年は派手な音を立ててこけた。
その拍子に色々な物が倒れてくる。
少年が下敷きになってしまったので、男は急いで駆け寄り助けてやった。
「きれいだ……。」
少年は呆けた声で言った。
その目は倒れてきた絵画を見ている。
さっきまでの激情を全部洗われ、まるで絵に癒されたかのように柔らかく微笑んだ。
男は苦笑した。
「ありがとう。聞き慣れた賛辞も殺した相手の息子に言われると嬉しいよ。」
そう言って、わざと少年を引き戻した。
少年の顔が見る見るうちに憎しみに染まる。
反対に男はだんだん微笑みを濃くしていった。
少年の前で無防備に大の字になり、心臓を指さす。
「ひと思いに……なんて思わなくていいよ。できるだけ苦しんで死にたいからね。」
少年は包丁を握り直していた手を止めた。
眉をひそめて男の方をうかがうと、男は「早くしろ。」とでも言うように手招きした。
「なんで……? なんで死にたがってるんだよ!」
少年は叫んだ。
男は平然と言う。
「僕は生きていても仕方がないからだよ。自分自身にとっても周囲にとっても僕は有害だ。君がほめてくれたその絵も、君の父さんみたいに魂の底から描いた絵なんかじゃない。適当に筆を動かしたらできた物なんだよ。」
「許さない!許さないからな!」
少年は憤然と立ち上がった。
手には包丁が握られたままだ。
男はじっと刺されるのを待った。
「そんな『適当』で父さんを殺して、そのまま殺されようだなんて絶対に許さない!」
少年は包丁を床にたたきつけ、素手で男を殴った。
殴ったとはいっても子供の力。
びくともしなかったが、男は殴られたところに手を当て、顔をしかめた。
「殺さないのかい?」
少年はすぐには答えなかった。
にらみ殺すように男を見る。
男の目が「自分を殺せ。」と言っているのを確認してから、できる限り低い声で言った。
「…ぼくもここに住む。おまえと一緒に暮らす。父さんを殺したおまえがどんな風に生きるのか…おまえが死ぬまでずっと見続けてやるっ!」
男は信じられない思いでそれを聞いた。
頭が混乱しすぎて体が動かなかった。声も出なかった。
自分は死神から死を買ったはずなのに、この展開は一体なんなのか。
そんなことを考えていると、ふと、死神の言った言葉を思い出した。
おまえに一番ふさわしい死を与えてくれる死神を一人知ってる。
そいつの死はタダだ。
……いや、もしかしたらおれより高いかもな。
ああ、そうか……。そういうことか……。
男はまだとまどいの色を見せつつも、さっきまで死神だった若い同居人に初めてのあいさつをした。
窓の外ではいつものように死神が死を売っていたが、二人の耳にはもう聞こえていなかった―――。
END.
一応続く。