『死神3〜裏〜』

 僕の町では今日も死神が死を売っている。
毎日夜になると、「そこのあなた、死にたくはありませんか?只今たいへんお安くなっております。楽〜にぽっくり死ねますよー。」などという声をかけて死を売り歩くのだ。
死神といっても、そう怖いものではない。
窓から手をふれば気安く応じてくれる。

 僕は死神を呼びながら今の今までこうしなかったことを不思議に思っていた。
なぜもっと早くこうしなかったのだろう。
そう思うと自然と口元に苦い笑みが広がる。
死神はそんな僕の様子をチラリと見ると、すぐに家にあがってきた。

 死神は部屋に入るなり煙草に火をつけ、ところかまわずあぐらをかいて座り、けだるそうに煙を吐いてから、やっと僕の方を向いた。
しかしその目はもくもくと立ちこめる煙を見つめている。
かなり不遜な態度ではあったが、僕にはなんだかそれがおかしかった。
彼の傍らでぎらぎらと鈍い光を発している大鎌さえも微笑ましく感じる。
死神を見てこんな気分になるのは僕くらいだろうね。と思いつつ、そんな自分に少し驚いた。
虚しさ以外を感じる心が…まだあったのか……。
僕は額に手を当てて苦笑した。
その間も死神はずっと煙草を吹かしている。
僕は複雑な思いを振り払うように話を切り出した。

「できるだけ残酷な死を売ってくれないかい?」

目と目があった。
僕は死神がいぶかしげな顔をするだろうと思っていたが、死神の目はなんの感情も映していなかった。
それがまた嬉しくて、僕は珍しく積極的に自分のことを話すことができた。
僕は部屋の隅を指さした。
そこには楽器や絵の具などが適当に固めてある。
「色々試したけどだめだった。絵を描いても音を奏でても……みんなは僕を『天才』だと言ったけど…僕自身は至極無気力だったよ。…至極ね。」
死神は聞いているのかいないのか、持参の携帯用灰皿に灰を落とした。
そしてまた煙を吐いた。
「……正直驚いたよ。適当に描いた絵がほめたたえられたのもそうだけど……僕の絵を見て一人の画家が亡くなられたんだ。自殺だった。……遺書には『天才を見て自分の才のなさに絶望した。』と書かれていたそうだよ。」
僕は無表情で言った。
意図的にそうしたのではなく、自然とそうなった。
僕は死神をまっすぐに見つめた。
「…何も感じない。心が死んでいるんだよ。……僕は。なのにものを食べてしまう。肉も野菜も。人の体も心も。……死んでいるのにね。」
僕はまるで反応のない死神にそれでも語り続けた。
いや、むしろ反応がないからこそこれほどまでに心の内をさらすことができたのだと思う。
同情も抗言も受けずに自分のことを話すのはとても心地が良かった。
「幼い頃からそうだった。僕は変われない。この心をしめるのは虚無感だけ。きっとこれからもそうだろうね。だから死ぬときくらいは強く何かを感じたいと心から思うよ。死の瞬間、心から『死にたくない』とでも思うことができれば僕はそれで満足だよ。」

 言い終わってすぐに、玄関から呼び鈴の音が聞こえてきた。
正直わずらわしくて出たくはなかった。
しかし、考えてみればこのあとすぐ僕は死ぬのだ。
なんの用事を持ってきたのかは知らないが絶妙とも言えるこのタイミングで現れた訪問者の相手をしてから死ぬのもいいかもしれない。
そう思い、僕は扉を開けた……
途端に後悔した。
そこに立っていたのは、僕が一度絵を見せて以来ずっとつきまとってくる画商だった。
この男ならもう用件はわかりきったようなものだ。
絵を描け絵を描けとしつこく言いに来たに決まっている。
せっかくいい気分だったのにこの男のせいですべてが台無しだ。
僕は冷めた目で男を見た。
「絵を描く気になりましたか?」
思った通り、男はいつも言う言葉をまた繰り返した。
……ああ、うっとうしい……。
あからさまに嫌な顔をしてやってもいっこうに帰る気配がない。
あまつさえこんなことを言い出した。
「宝の持ち腐れだ。世間にはあなたのような才能が欲しくても得られない人がたくさん苦しんでいるというのに!それをあなたはこんなにも簡単に放り出してしまう。贅沢です!」
様々な相手から飽きるほど聞かされたセリフではあったが、今日の僕にはかなりカンに障った。
二度と見たくない顔に二度と聞きたくないセリフだ。
うんざりだ。
「……こんな才能なんて欲しいのなら君に無料であげるよ。なんなら猫にだってくれてやる。僕はそれよりも生きている心が欲しかった……。……心から絵を愛しそれに魂を込める無名の画家と、少し筆をとってみただけで『天才』と呼ばれた死人。どちらがいいかなんてわかりきったようなものじゃないか。……もっとも、君には僕の苦しみなんて一生わからないのだろうね。君だけじゃない。自分たちの目に見えるものだけしか見ようとしない君たちには僕の苦しみなんてどうやってもわかりようがないよ。いや、わかろうという気さえないのかな。なにしろ君たちは僕に真の苦悩などないと思っているようだからね。そんな大部分の人にだけ有効な『正論』を振りかざす前に少しは僕のことを理解しようとしてみてはどうだい?……とは言っても、僕の方はもう君たちになんの期待もしていないから何を言っても無駄だと思っているんだが。……ではそろそろ失礼するよ。君の顔を見ていると吐き気をもよおしそうになるのでね。」
できる限り冷ややかな口調でそう言って、僕は扉を閉めた。
向こうで何か言っているようだったがかまいはしない。
どうせろくな言葉ではないのだから。
とにかく二度と開ける気はなかった。

 部屋に戻ると、死神が二本目の煙草に火をつけていた。
僕は心が穏やかになっていくのを感じた。
何故かはわからないがこの死神は僕の心に安らぎをもたらしてくれる。
彼にはきっとそんなつもりはないのだろうけど。
僕はさっきのいらだちなど忘れたかのようにして話しかけた。
「今の男は隣町の画商だよ。そうだ、どうしてなのか聞いてみたいと思っていたことがあるんだけど、聞いてもいいかい?」
当然のように返事はない。
僕はかまわず尋ねてみた。
「死を売ったりしているのはこの町の死神だけだ。どうしてなんだい?」
死神は灰皿に灰を落とした。
やはり答えてくれないのか。と、僕は小さくため息をついたが、しばらくして感情の読みとれない静かな声が聞こえてきた。
「これから死ぬ人間には関係ないだろう?」
声はそう言った。
僕は一瞬死神がしゃべったのだとわからなかった。
死神は一言しゃべったきり、また口を閉ざしてしまった。
僕は呆気にとられながらも微笑した。
「……ああ。そうだね。と、いうことは交渉が成立したと考えていいのかな?死を売ってくれるわけだ。」
死神は煙草と灰皿を直しこむ。
ここからが本題だ。
「残酷な死が欲しいと言ったな。」
僕はうなずいた。
「今までの人生の中で一番強い感情を与えてくれる死を。」
「わかった。」
死神は音もなく立ち上がり、肩に背負っている鎌に手をかけた。
僕はゆっくりと目をふせた。
が、近づいてくると思われた足音はどんどん遠のいていった。
「?」
僕は慌てて目を開いた。
死神がドアに手をかけている。
「これはめったにないことなんだが、タダで死を売ってやろう。」
死神は僕の目を見て言った。
「残酷かどうかはわからないがおまえに一番ふさわしい死を与えてくれるピッタリの死神を一人知ってる。そいつの死はタダだ。……いや、もしかしたらおれより高いかもな。まあとにかく紹介してやる。」

パタン。

呆然と立ちつくしたままの僕を残して扉が閉められた。
何が起こったのかなんとか理解できてはいたが、体が動かなかった。
…紹介?タダ? ……一番ふさわしい死?
わずかに首を傾げた途端、
閉められたばかりのドアが勢いよく開いた。
思わず息をのむ。
何が現れるのかと目を見開いていると、ドアの向こうから死神が顔だけ見せて一言言った。

「言い忘れた。紹介料は取らないから安心しろ。」
「 死神3 〜エピローグ〜 」へ続く。
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  3.1

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