第五章

街角で血気盛んな男が二人、話をしていた。
「また税が上がるらしい。」
「また!?一体皇帝は何を考えているんだ!」
若い男は声をはばからなかった。
狭い通りに大きな声が響く。
町には活気がなく、人はあまり外に出ない。
この通りにも二人の他に人影はなかった。
「噂ではユノ様のお考えだそうだ。」
初老の男が言った。
「ユノ様はいつもおれたちのことを考えてくださるすばらしい御方だ。おれたちを苦しめたりしない!皇帝だろ。奴がユノ様をたてに使ってるんだ!」
若い男はユノを讃え、力一杯腕を振り上げた。
その時、
「不敬罪だ。逮捕する。」
手は、家と家の狭い隙間から突然のびた。
振り上げた腕をつかんだのは警備兵の服を着たたくましい男だった。
「こっちへ来い!不敬罪は死刑だ。」
「おっ、お許しください。どうか。」
二人の男は強引に連行された。
裏通りからさらに細い路地へ、地図にも載っていないような通路を通り、やがて薄暗い地下に入った。何が何やらわからぬうちに妙な場所へ連れてこられ、二人はうろたえた。
そこには様々な人々がいた。
男も女も、老人も若者も。
みな疲れたような顔をしていたが、疲れをはるかに上回る怒りをもっていた。
「この人たち、みんな不敬罪で…………?」
二人がいぶかしげにつぶやくと、警備兵はクッと鼻で笑って、
「不敬罪なんかでとっ捕まるよりもっとでっかいことをしてやるのさ。」
と言った。
「でっかいこと?」

「我々は、反乱軍だ。」

―――――帝国は不穏な空気に満ちていた。


門番はかなり荒っぽい男だった。
何度も抜け出そうとしたがそのたびに筋肉の壁に阻まれ、さんざんいたぶられた。
明晰な頭脳を働かせて鍵開けまでは成功するものの、肉弾戦となると弱い。なるべく知力戦だけですむよう慎重に動くのだが、どうしても捕まってしまう。
脱獄するたびに別方向に逃げて地図を完成させ、綿密に計画を練ってもだめだったので、おそらくからだのどこかに発信機がとりつけられているのだろう。そのことに気づいてからは無駄な抵抗はやめ、極力体力温存に努めることにした。しかしあまりにおとなしくしすぎたのか、ここ何日間かまったく食事がまわってこない。各種の拷問を試されたうえでのことなのでかなりつらい。おまけに牢はお約束通り地下にあり、日の光が入らずじめじめとして身体的にも精神的にも悪い環境だ。体力は温存どころか激減していた。
訴えかけようにも門番は牢に近づこうとさえせず、四六時中安酒をあおってヒックヒックとくり返している。
完全に忘れ去られているのだ。
遠のこうとする意識を必死にたぐりよせても、もう半分も戻ってこない。
彼は今や唯一の友人となったネズミに目をやった。
以前は姿を見るだけで失神したものだが、今ではすっかり見慣れてしまってなんともない。
ゆっくりとネズミに向かって手を伸ばした。
――――――――これは、肉だ。
ガッとネズミをつかんだ。そして、グッと思いとどまった。
彼はネズミの名を呼んだ。
それはネズミの名であると同時に彼の相棒の名前だった。

「シン………」

レンはすでに極限を超えている。
シンの名を呼んではいても、もう何も考えられなくなっていた。
意識がもうろうとしてつかめない。体の感覚もとうに消えた。
現実感なく、着実に死が近づいてくる。
死は、すなわち無。
その先には何もない。
過去だけが遠くに残り、他人の心の中に生きても新たに何かを紡ぐことはない。
なのに死ぬのは非常に簡単である。
例えばこの一瞬に、今まで生きてきた自分というものが過去のものになる。
だからといって未来があるわけではなくて、ここで本当に終わりなのだ。
レンはもう一度ゆっくりと手を伸ばした。
死にたくない。
悔いが残るとか、こんなところでとか、まだやることがとか、そんなことは思い浮かばなかった。思い浮かぶということ自体、すでに無理な状態だった。
死にたくない。
レンの細胞一つ一つがざわめく。
――――――――これは、肉だ。
レンはシンをむさぼった。
口や手、胸が赤く染まる。
タンパク質が食道から消化管へと伝わり、体中にエネルギーが流れ込んでいく。
目玉をくりぬき骨をしゃぶり、食べられるところはすべて食い尽くした。
ぴちゃっ。
床に血が飛び散る。
それでもレンは一心不乱にがっついていた。

ガコッ。

背後から妙な音が響いた。
奥には便器がおいてあるだけでよけいなものは全くないはずである。
レンはしばらく便器を凝視したが、やはり変わったことはなかった。
結局、幻聴を聞いたということで納得した。
しかし、そのすぐ後に幻覚までもが現れた。
ものものしい武装をした男たちがぞろぞろと便器のすぐそばの床から這い出したのだ。
床に大きな穴があいていた。おそらくさっきの音はこのためだろう。
男たちの一人がなにやら道具を取り出して、いとも簡単に牢を開けた。
レンは幻覚だと信じて疑わなかった。
意識はもう大分戻ってきていた。視界もはっきりしているし、拷問で受けた傷がぎしぎしと痛む。男たちの重厚な足音や緊張で流れ落ちる汗が現実感をもって視界に飛び込んでくる。そして、床を濡らす赤い血までも。
だが、やはりこれは幻覚だ―――――。
十数人の男たちはレンを素通りして出ていった。
牢の扉は開けられたまま。その向こうに動かなくなっている門番の姿が見える。
逃げるにはまさに絶好の機会だったが、レンはピクリとも動かなかった。
発信機のこともあった、まだ体力が回復していないこともあった、一人で帝国から出るのは無理だということもあった。
だが、そんなことより何よりも―――――。

胃から上がってくるものを感じた。
レンは床にうつぶし嗚咽をもらしながらひどく吐いた。
胃の中のものすべて吐き出し胃液しか出てこなくなっても嘔吐し続けた。
血にまみれ、吐瀉物にまみれ、ひたすら床を殴った。
悲しみよりも怒りで、怒りよりもやりきれなさで拳が繰り返される。
幻覚でなければ何だというのか。
こんなっ、こんな―――――
体内からでてきたすでに形をなさないそれを見て、再び繰り返す。
その狂態はひどく醜悪なものであった。
レンはどす黒い感情の中に自らをおいた。
生きるために、人間として何か大切なものを失った。
そんな気がした。
レンは初めて己の生命欲に憎悪した。

結局余計に体力を消耗してしまったレンは力無く床にうつぶした。
だがもう意識が飛ぶことはない。
しこたま床を殴打してもおさまることのない激情がレンを支配していた。
「おれは………こ…んなことくらいで…んげんの心忘れ…………あのネズミを…シ…ンを食べ、食べるな…て、おれは………」
そんなにも生きたかったのか。
何気ない日常ではそれほど執着しないどころか疎ましく思ったこともあったというのに。
生きることに無欲であると思いながら、実際はこんなにも貪欲だったのか。
こんな身勝手なおれのために、あの命は失われたのだ。
あさましい。
人間の心を捨ててまで生きたいと願うなんて。
まだ、吐き気がする。
それでも死にたくないと思う。

…………………

そしてふと、心をよぎったのは、あの少女の黒い瞳。

………にんげんって何だ。
今まで考えたこともなかった。

思索をめぐらせていると、上の方から複数の足音が聞こえてきた。
階段を下りる音。どんどん近づいてくる。どうやら急いでいるようだ。先ほどの連中にしては足音が少ない上にかなり軽い。もし警備兵だとしたら、あの連中がせっかく開けてくれた牢の扉は閉められてしまうわけだが、そんなことはもうどうでもよかった。
ただ、このまままた牢に入れられれば近いうちに必ず死んでしまうだろう。
死にたくない。あさましかろうがどうでもいい。
死ぬのは嫌だ。
階段から下りてきた人物はカラだった。
よほど急いできたらしく激しい息切れをしており、何かあったのかその顔色は蒼白だった。
そしてその後ろには、
「なるほど。ここから侵入したのか。」
ユノがいた。
「ですがこれではもっと早くに発見できたはず。やはり内部に………」
「だろうな。ところで、何だこれは。死にかけのようだが。」
ユノは高圧的にレンを見下した。
「これはある程度痛めつけておいておけと言ったはずだが。ここまで壊れたのでは保ちそうにないな。見分けのつかぬよう肉塊にして放り出しておけ。」

死んだらなにもかも終わり。
人間も他の生物も同じこと。
では、一番大切なものは一体?

あの少女なら、いとも簡単に答えたのだろうか。
レンはまだ確信を持って答える気になれない。
目で、訴えた。
憎悪なのか、決意なのか、とにかく強い感情のまなざし。
ユノはまるで死期を迎えた動物の最期を見届けるかのようにそこに立っていた。
栄華の中心にいる殿上人から見れば今のレンの姿は亡者さながらだろうに、全く動じず目を離さない。白銀に輝く世にも美麗な青年が諸行無常を語るような目をして、汚物にまみれた醜い半死人を凝視している。
それは奇妙な光景だった。

「半月このままで放っておけ。それでも生きていたら私のところへつれてこい。」
ユノが言った。
カラは何か言いたげだったが、ユノはそれを知ってか知らずか、立ち止まることなくすたすたと階段を上っていった。


今日もまた、爆撃機が次々と空を飛んでいく。
爆弾を落としたりはしない。宙返りしたり、模様をつくったりと多彩なバリエーションでパフォーマンスしていくだけだ。誇り高いゼダ星人たちは上空の敵に激怒しながらも、その文明の未熟さゆえにうつ手がなかった。
もう何日もこの状態だった。
帝国はシャグラに警告を送り、経済制裁をもって罰したが、シャグラの姿勢は変わらなかった。他の星々は帝国かシャグラか、どちらにつくべきかを決めかねており、ゼダに残された行動はただ待つことだけだった。

ヨルは赤い地平線を眺めていた。
ゼダも帝国と同じように住宅が密集していたが、儀式が行われるこの土地だけは聖地として残されていた。
赤い地平線に赤い河が流れ赤い夕陽が沈んでいく。
空も赤かった。すべてが血に染められたように。
狂気の色だ。だが不思議と美しいと感じてしまう。心を吸い取られそうになるほど。
ヨルはシンのことを思い返した。命がなくなる感覚を想像し、ぞっとする。
ヨルは命の大切さを知った。
誰よりも生きることに貪欲なくせに、今まで本能的に感じてはいても知らなかった。
心の痙攣、聴覚の鈍化、活動限界を超えようとする心臓。
ただヨルはそれが命だからなのか、シンの命だからなのかまでは考えなかった。

「ヨルの奴、どこ行ったんだ。」
シンはさっきから部屋の入り口をうろうろしていた。
部屋というよりはただの天幕だったが、一応客人ということで中は豪華な細工の絨毯が敷いてあり、調度品もいくつかそろえられていた。せまいのが欠点だがなれればどうということはない。しかし、問題は状況である。スパイ容疑がかかっているので自由に部屋を出ることはできない。シンのストレスは日に日にたまっていった。軟禁されてからというものほとんど誰とも会っていない。キバとは作戦会議の時に顔をあわせるが、ヨルにはまったく会えなかった。たまに来る客といったら………
「出ることは許しませんよ。」
シンに敵意をもっているらしいこの青年だけだった。
「おまえさぁ、どうしておれをそんな目で見るんだ?」
青年は少したじろいだ。
ほんの少しの間考えるような顔をして、すぐに強く言い放つ。
「あなたが帝国の人間だからです。私はあなたたちを許せない。」
帝国を恨むものは銀河系に何億といる。シンはうんざりして青年から顔を背けた。
「まぁ帝国を恨むのは無理ねーが、おれを恨むのはやつあたりだろ。」
「………その通りです。」
青年の手は憤りにふるえていた。
「悪いのはあなたたちじゃない。でも私はあなたたちが許せない。私達の幸せを奪っておきながらそのことをしだいに忘れていくあなたたちが!」
忘却は罪。
不要物として容赦なく切り捨てられたその先には人々の複雑な心が絡み合っている。
捨てる方はせいせいするが、捨てられる方はなんとも言えない。
「よーするにおまえらの怨みを忘れるな、ってことか。でも忘れるのは生きる手段だろう。つらければつらいほど人は忘れようとする。おまえもおれにつっかかってるよりは怨みを忘れる努力をするんだな。」
「あなたに何がわかるっ!」
青年はシンの客観論をつっぱねた。
「限界を超えた怨みは一生消えない。傷跡は何年経っても癒えるどころかますます深くなる!私の母と兄は私を逃がすために死んだ!父は私を護るために死んだ!スペルダン2世を!帝国を!帝国民を!許せるわけがない!」
青い瞳の奥底に暗く燃えさかる炎が見えた。
青年が激しく感情を燃やせば燃やすほど炎が大きくなる。
シンの意識がその暗い炎に飲み込まれる。

――――何か、ひっかかった。
自分は何かを忘れている。

シンの脳が急速にキューブをそろえていく。
一つ、もう一つ、あと一回転。
興味本位でのぞいただけの、あまりに重大すぎてかえって忘れていた、いや、無意識のうちに隠蔽されていた記憶。今はもうない、あのデータ――――。

「おまえっ!、パラディスの―――。」

「あなたは知っているのですかっ!?」
シンは驚愕した。
真実だとわかっていながらも信じることはできなかった。
なのに今、燦然たる証拠を前にしてまぎれもなく真実だと思い知らされることになろうとは。
何重にもかけられていたロック。おそらくは『PATRIOT』にもインプットされていない。人に見られないよう、知られないよう、いっそなくなってしまえばいいとでもいうように保存されていた、あのデータの、これが証拠。この青年こそが――――。
「………バカなことしちまったぜ。」
シンは己の軽率な好奇心を心底悔いた。
どういう場合においても、大きな秘密を知っているというのはかなりのリスクになる。
危うい均衡を保っていたものが秘密を知ることによってあっけなく崩れ落ちてしまう。
そのことを恐れる者は方々にいるものだし、均衡が崩れること自体大変な危険である。
それに秘密というのは必ずもれるもので、一度もれてしまえばとどまることを知らない。
しかもシンは今決定的な過ちを犯してしまった。みずから秘密を暴露してしまったのだ。
いいかげんに投げやりだった今までとは違う。シンはすでに見つけてしまっている。
全身全霊かけて護ってやりたいと思える存在を。
なのに。
シンにはわかっていた。
この嫌な予感は、的中する。
必ず。
この事実を知ってしまったせいで、いつか自分たちは危険にさらされることになるだろう。
そしてそれはヨルもさけられない。
二人一緒にいる限り。


ヨルは薄暗闇の中にいた。
ゼダ星の夜は寒い。ヨルはひざをかかえてうずくまった。
沈んでいく夕陽はこのうえなく美しかった。その様子がまぶたの裏に焼きついて、後に残された薄暗闇がなんだか悲しい。
とりとめなく流れてくる意識の波をまとめることもせず、ヨルは西の空を眺めていた。
「何を見ている。」
ヨルの後ろからキバが言った。
突然現れたキバにヨルは少々驚いたが態度には出さなかった。
「夕日。」
そう言って西を指さす。
そこにはもう薄赤く染まった雲さえもない。
「夕日は好きだ。」
キバが言う。
「二度と昇ってこなければもっと綺麗だろう。」
―――――ずっと、そんなものばかりだった。
彼の心をひきつけるものは。
キバは西の空のさらに向こうを見つめた。

一つわかったことがある。
理由などない、鮮血と断末魔が好きなだけだと思っていたが、それ以前にどうやらおれは生というものが許せないらしい。子を産み、育て、また子を産む。こういう当たり前の生の営みに吐き気がする。乳児でさえ、母親の腹にいる胎児でさえ容赦なく殺せる。
人間は、汚い。
どこをかっさばいてもグロテスクな臓腑しか出てこない。
はらわたがあれならうっとおしくなるほど世の中腐った奴らばかりなのもうなずける。
赤黒い臓物の固まりがおれの前を通り過ぎる。
吐き気がする。
生きているということが得体が知れず気味悪いことのように思えてならない。
吐き気が止まらない。
だから殺すのだ。
血が噴水のように噴き出す瞬間、人間は一番綺麗になれる。
断末魔が心地よい。
そして、動かなくなったそれを見て、おれは満足する。
きっと、おれは最後におれ自身を殺すだろう。
おれの中身こそが一番腐っているはずだから。
―――――その前に。

「おまえだけだ。」

キバが言った。
西の空の向こうの、もっと向こうを見つめているような瞳で。
ヨルは不思議そうな顔をして立ち上がり、キバの正面に立った。
互いの瞳に互いの姿が映る。
キバは続けた。
「多くの中で、おまえだけだ。」
――――中身がわかっていても美しいと思えるものは。
「おまえは生きている。」
――――他のどの人間よりも強く純粋に。
「だからこそ。」
――――こうもひかれ、なお、ゆずることはできない。
「おまえを殺す。」
――――そう、おまえだからこそ。

ヨルは特に反応しなかった。
殺気を感じなかったからだ。
もちろん、キバの難解な思考などみじんも理解できてはいない。
「わからない。」
正直に言った。
「わからない方がいい。」
キバはヨルを包むように抱きしめる。
「苦しい。」
キバの腕は優しく、そして温かい。
いつまでも包まれていたいほど心地よく、安心できる。

ただ、わけもわからず苦しかった。



「どうやら各地で反乱軍が結成されているみたいよ。」
台所でアールグレイをいれながらイオが言った。
サガは知らん顔で座ってテレビを見ている。
テレビにはユノが映っていた。
『理由さえも公開することができず、国民の皆様方には心から申し訳なく思っております。けれど、一つお約束できることはこれは一時的なものだということです。すぐに税率は元に戻ります。そして、皆様方に多大なご迷惑をおかけするからには、もとの税率に戻す際に、さらに税率を引き下げたいと思っております。いえ、私の力を尽くして必ず実行してみせましょう。それまで、どうか皆様、私達皆の帝国のためにお力をお貸しください。』
白銀の髪が流れるようにゆらめいている。この世のものではないかのように透き通る肌。
世にもまれなる高貴な美貌。
美しい青年のカリスマ性がブラウン管を通してでも充分に伝わってくる。
サガはその映像を射るように見つめながら、口に微笑を浮かべていた。
「敵にするのにこのうえない。」
びちゃ。
サガは熱湯を頭から浴びた。
「聞いてるの?男に見とれてるんじゃないわよ。」
イオは左手を腰にあて、右手にティーポットを持ってサガを見下ろしていた。
そしてもう一度。
今度は氷水を。

「…………イオ、茶はカップに入れろ。」
風呂上がりのサガは不機嫌だった。
イオが言う。
「いいじゃない。洋服もカーペットも、洗うのは私よ。」
「浴びたのはおれだ。」
「いいお湯だったでしょ?ちゃんと話を聞く気になった?」
サガは短くため息をついて、何も言わずにテーブルの席に着いた。
イオもサガの向かいの席に座り、紅茶をちゃんとカップに注ぐ。
「あちこちに反乱軍ができているそうよ。ただの寄せ集めから組織的なものまで。中には過激なものもあるらしいし。…………危険だわ。」
アールグレイのほのかな香りが食卓を漂う。
サガはひとくち口に含んだ。
「……過激派か。皇帝を狙ってくるだろうな。」
「そうよ。皇帝代理が狙われることはおそらくないわ。だから過激派がうかつなことをする前になんとかしなくちゃ。」
サガは紅茶を舌で転がせる。
「おまえに任せる。」
いかにもやる気なさそうに言った。
ダンッ
イオがティーポットでテーブルを強くたたいた。
「なに言ってるのよ!あなたが各地の反乱軍を一つにまとめあげるのよっ。」
「声が大きいぞ。」
はっとした顔でイオが口を押さえる。
サガは静かに紅茶をすする。
イオはあたりに何の気配もないことを確認してから小声で言った。
「とにかくあなたが反乱軍を掌握しないことには…………」
「愚鈍な部下はいらん。」
サガははっきり、きっぱり、ばっさりと切り捨てるように言葉を投げた。
イオのこめかみにぴくぴくと痙攣している青筋が見える。
「民主主義を唱える男が民衆をバカ呼ばわりしていいわけ?」
イオはポットをかまえた。照準はサガの頭の上に。
「民衆は団結すると強力だが分別がつかなくなる。集団の中から何人か有能な者を引き抜いていざというときに民衆を煽動する。この方が楽でいい。」
サガは紅茶を飲み干した。
「じゃあせめてその引き抜き候補生を見つけてきてよ。」
イオが言うと、サガは右手でおかわりを催促する手ぶりをし、それから頬杖をついた。
「おまえに任せる。」
イオは取っ手に指をかけた。発湯準備完了。―――――いざ。

ビービー ビービー
テレビの画面に緊急ニュース速報の文字が映し出された。
きまじめそうなキャスターが早口で文章を読みあげる。
『番組の途中ですがニュースです。三日前、16日の深夜に、皇帝陛下が何者かによって暗殺されていたとのことです。葬儀は明日の正午からスペルダン記念公園にて執り行われます。次期皇帝には陛下の御義妹君、第一皇位継承権を持つミム様に決定いたしました。戴冠式の日程は未定ですが近日中なのはまず間違いないでしょう。』

「バカなっ!」

二人はカップをたたきつけた。

皇帝が、暗殺された―――――?

サガはテレビの音量を上げた。
キャスターは続けて言う。

『皇帝を暗殺したと思われる集団とその一味は17日未明警官隊に捕らえられ、明日早朝宮殿前で公開処刑が行われます。』

「だから、言ったのよ…………。」
イオはテレビから目が離せないまま、聞こえるか聞こえないかの声で言った。
「信じられん。」
サガはまだ目と耳を疑っていた。
皇帝のおわしたスペルダン宮殿は宮殿という名の要塞である。侵入者が入り込むスキはまったくと言っていいほどない。もし入り込めたとしても10秒も生きていられないだろう。ましてや皇帝のもとにたどり着くなど万が一にも不可能である。
「あいつと連絡をとる。」
サガが言った。
まずは確かめなければ。
「その必要ねぇな。」
扉が開く。
滑らかな床に背の高い影が映る。
「皇帝陛下は崩御なさっちまった。」
ラウは力なくうなだれ、それでも声はしっかりとした調子で告げた。

皇帝崩御。
そしてまた、世界がもろくなっていく。
動乱の時代が訪れる。
もう、すぐそこまで来ている。
その日は近い。

「処刑を見に行くぞ。暗殺者の話を聞く。」
サガが言った。
「わぁーった。何とかすらぁ。」
「シャグラのこともあるのに、どうなるのかしら。」
「今はわからん。とりあえずは明日だ。」
サガは静かにテレビの電源を切った。


ゼダにはまだ知らせが届いていなかった。
全く状況変化のないなか何回も寄り合いが開かれて良案が出ないままお開きになる。
ゼダの民は頑固で妙なところにプライドがありそれでいて状況把握ができていない。
いいかげんシンはぶちキレた。
そこで、あれ以来態度が少し丸くなった青年をうまくまるめこみ、アルに連絡を取ってこの星を脱出する計画を立てたのだ。
もちろん、ここで逃げては寝覚めが悪い。
行き先はシャグラ三惑星。要するに偵察に行くのである。
それでもシンにはいわれのないスパイ容疑がかかっているため、おそらくゼダの連中が止めるだろう。
というわけで深夜決行ということにあいなった。
こっそりと天幕を抜け出して、まずはヨルを迎えに行く。二人一緒にいることでどんな危険が待っていようとも手放すつもりはさらさらなかった。
青年の手引きでヨルは指定の場所に待たされていた。
唯一協力してくれそうな人物だからとさんざんにこき使われた青年は、シンをそこまで連れていくと今度は連絡装置を操りに行った。

ヨルは瓦礫の上に座っていた。
黒髪が闇に溶け、白く細い顔が浮き上がる。
すらりとのびた細い手足。
そして、あの瞳。
ああ、また、美しくなった。
シンは少し離れたところからヨルを眺めた。
蚊に刺されたほどの、かすかな痛みを、胸に感じる。
すぐそこにいるはずの少女が、まるで宇宙の果てにいるかのように思った。
シンはヨルに駆け寄った。
が、ヨルの背後には闇よりもなお暗い人影があった。
もちろん、キバである。
なにやらヨルと親しそうに話している。
シンは怒りとスピードにまかせてキバに跳び蹴りをくらわせた。
が、キバはまるでわざとくらってやったかのように余裕で立っている。
顔にはバカにしたような笑いが浮かんでいた。
しばらく離れていた間にふたりに一体何があったのか、シンには想像もつかない。
だが、パッと見ただけでもふたりの距離が縮まっているのは明らかだった。
シンが敵意のある目に囲まれくそおもしろくもない会議に参加していたとき、キバとヨルはふたりでどんな時間を過ごしたのだろうと考えると非常に不愉快極まりなく、シンはキバを思いっきりぶん殴ってやりたくなった。
「ヨル!こいつはおとーさんが許しませんよっ!」
とりあえずヨルにクギをさす。
わかっていないだろうなと思いつつも言わずにはいられなかった。
シンの言葉を聞いているのかいないのか、とにかくこの場の微妙な雰囲気などみじんも察していないヨルはいつもの通りすごい勢いでシンに抱きついた。
「シン!会いたかった!」
素直な行動、素直な言葉。
それが心からのものであると自ずと悟らせる素直な表情。
最高の笑顔。
「ヨル………。」
さっきまでのイライラがまるで嘘のようにシンの心に温かい感情が流れ込む。
数日ぶりの再会だったが、もう何年も会っていなかったような気がした。
シンはヨルを抱きしめるその腕に、そっと力をこめた。
こうなるとおもしろくないのはもちろんキバで、表情が目に見えて不機嫌になっていく。
離れろとばかりに口を出した。
「シャグラにはおれも行く。」
抱擁の途中だったが、シンはこれ以上ないというほど驚愕した。
何故キバが誰にも秘密なはずのこの計画を知っているのか。
           ―――――「それは私が長殿にお教えしたからです。」
連絡装置の操作を終えて戻ってきた青年は言った。
「内密にとは言われましたがやはりこういうことは長に通しておかなければと思いまして。」
――――彼は生真面目だった。
シンとしてはこのままうまいことキバを置き去りにし、娘に近づく悪い虫とおさらばしようとねらっていたのだが、どうも人選を誤ったようだ。
「バカ言うなよ。おまえなんか誰が連れてくかっ!」
「………大声で他の奴らを呼んでやろうか?おいて行かれることになるのは誰だろうな?」
キバの脅迫の前にはちょっとした悪あがきさえも虚しい。
シンは渋々ながらキバの同行を承諾した。
「しかし長殿がいらっしゃらないあいだ私達はどうしましょう。」
「長なんか今までいなかっただろうが。好きなようにすればいい。何ならおまえが長になればどうだ?」
とまどう青年に、キバはまるでそんなことどうでもいいとでもいうように言った。
いや、本当にどうでも良かったに違いない。
だが青年は違う受け取り方をした。
「わかりました。長から受けた務めを立派に果たしたいと思います。お帰りをお待ちしております。」
――――彼は本当に生真面目だった。
キバはもう何を言う気もなくし、ただ疲れた顔をして少しうつむいた。
「ハッハッハ。おまえらってあいかわらずおもしれーなっ!」
突然の笑い声。
そこには迎えに来たアルが身をかがめて大爆笑する姿があった。

その後アルの宇宙船に新たに乗り込んだ人数はもちろん三名であったことは言うまでもなく、シン一人複雑な思いを残したままヨルたちはシャグラ三惑星を目指すことになるのだった………。


スペルダン宮殿最深部。
帝国のマザーコンピューター、『PATRIOT』が眠るこの場所に、二つの人影があった。
一人はユノ、そしてもう一人はゴド博士である。
ゴド博士はひどくうろたえている様子だったが、ユノはいつものごとく泰然としていた。
ユノは声を低くして言った。
「信じられないのも無理はありません。私もあなたのことはそっとしておくつもりだったのですよ。ええ、今回のことが起こるまではね。まったく予想外の出来事でした。」
ゴド博士の肩が小刻みに震える。
顔には生気がなく、何かとてつもなく恐ろしいものにでもあったかのような表情だった。
それを見たユノが、唇の両端を少し上にした。
一見微笑むようなしぐさだが、目はまったく笑っていない。
「協力していただけますね。昔、私の髪がまだ金だったころ、あなたはおっしゃいました。なせばなる、血と涙と泥にまみれながら自らに誓った願いは必ず叶うのだと。これはあのころからの私の願い。あなたは私のことをお忘れでしたが、私がこの願いを忘れたことなど一度もなかった。そう、ですから、昔あなたが犯した罪もちゃんと覚えているのですよ。」
ゴド博士は額に手をあてた。
しかしその手は大きく震えていたため、だらだらと汗をかくばかりでほんの少しも心が落ち着くことはなかった。
「ひ、一つだけ聞きたいっ、陛下を…陛下を殺したのはおまえではないのかっ、だ、としたら、なぜっ、なぜ…」
「よほど混乱しておられますね。予想外の出来事だったと申し上げたでしょう。」
絞り出した言葉にあっさりと返答された。
「狼狽なさるのもそのくらいにして、私は早く答を聞かせていただきたいのですが。もっとも、あなたに私の頼みが断れるはずがありませんがね。」
そう言ってユノがその場を去ったあと、ゴド博士は抜け殻のように床に崩れ落ち、声なき声をもらした。

ユノが自分の部屋へと続く廊下を歩いていると、目の前にミムが立ちふさがった。
ユノの部屋を訪れるときミムはいつも一人で来るのだが、今日は珍しく連れがいた。
ミムの後見人、バズ公爵である。
野心家のバズ公爵はユノの失脚を願う一人で、皇帝の死後権威が衰えるであろうユノにとっては一番の政敵となる人物だ。
公爵は言った。
「ミム様があなたにお話があるとのことですので。」
戴冠式を数日後に控え、時期皇帝のミムとその後見人が話すことといえば内容は容易に予想がつく。
ユノは目線をミムからそらし、あからさまに眉をひそめた。
これはユノにしては珍しいこと………ということになっていて、ユノはどんなときでもどんな相手に対してでも天使のごとき笑顔で対応をすると世間に広く有名なのだった。
それが今ミムを前にしてこの渋面である。
ここまで露骨に態度に出されたらいいかげん嫌われていることに気がついてもいいようなものだが、ミムはちっとも気にしてない様子で、胸をはってきっぱりと答えた。
「ユノ、あなたを口説きに来たわよ。」
どっと疲れが襲う。
ユノは眉間にしわを寄せて、深く深くため息をついた。
「ミム様、あなたは数日後には皇帝の座に着かれるのですよ。そのようなことをおっしゃられては困ります。バズ殿もミム様をお止めしていただきたい。」
「何言ってるのよ!皇帝になっちゃったら誰と結婚させられるかわかったもんじゃないわ。これだけ文明が進んでるっていうのに変なところで古くさいんだから。だから今のうちに既成事実をつくっちゃうのよっ!バズだってユノと結婚したいって言ったらわかってくれたわっ!」
「バズ殿!一体どういうおつもりですか!」
ユノはものすごい剣幕で問いつめた。
今まで一度も見たことのないユノの様子にとまどいながらも公爵は言う。
「ユノ殿、ミム様はまだ少女なのです。立派な皇帝になられるためには心の支えにもなる優れた夫が必要です。無理に政略結婚を強いるよりはユノ殿と結ばれた方が………。」
「私の意思も尊重していただけませんか。」
ユノの額に青い筋が見え隠れしていた。
「ミム様、いつの世も、権力者の心に棲む者はほとんど非のうちどころがないような者でなくては世が乱れてしまいます。軽いお気持ちで私などをお選びになってはいけません。バズ殿とてミム様のお気持ちを考えることは大事ですが国民のことも考えなくては。」
かろうじてこらえたが爆発は間近だった。
いらだちがぐるぐると渦巻いて、すでに我慢の限界を超えている。
「では失礼。」
ユノはミムの横をすり抜けてこの場を立ち去ろうとした。
しかしミムは通り過ぎようとしたユノの右腕を両手でしっかりと捕まえた。
「なんで軽い気持ちって思うのよ。」
ユノの肩に頭をおく。
ユノの右腕を両腕で抱くようにして、さらに力を込めた。
「私ユノが優しいだけの人じゃないってちゃんと知ってるわ。それでも私は私から見たユノだけしか知らないけど……でも、好きなのは本当よ!」
ミムは顔を上げ、ユノの瞳の奥の奥をのぞき込んだ。
そこには青く澄みきった空間が広がるばかりで他には何もなく、底さえも感じられない。
ユノもまたミムの瞳を探るように見つめていた。
そこには燃えさかる炎がゆらめいていたがどこか少女めいていて、ユノにとっては子供の火遊びのようにしか思えなかった。
ユノは左手でミムの瞳を閉じさせ、しがみついていたミムをたやすく引きはがした。
「申し訳ございません。」
他の人にするように穏やかで優しい調子で丁重に謝罪する。
まったくと言っていいほどつけいるさきを見せない拒絶だった。
ミムが必死に壊そうとした壁はさらに厚く塗り重ねられ、有刺鉄線をはりめぐらされた。
ミムは悲しいのやら悔しいのやら切ないのやらよくわからない苦しい気持ちを言葉にできず、かわりに涙を流していた。
だが、その涙の一粒さえも届くことはなかった。
ユノはそれ以上ミムに何も与えることなく部屋の扉を閉じてしまった。

「……ユノの……バ…カ………。」

ユノの名をつぶやきながら泣きくずれるミム。
その後ろで、バズ公爵は不適な笑みを浮かべていた。

それは戴冠式の、五日前のこと――――。


処刑の日。
宮殿の前に見物人が続々と集まる頃、サガ、イオ、ラウの三人はすでに宮殿内に潜入していた。彼らは警備兵に変装し、怪しまれずに自由に行動することができたが、ただ一つだけ問題があった。
「悪ぃ。おれ、陛下を殺した奴らどこに捕まってんのか知らねぇんだわ。」
悪びれる様子もないラウの態度に、サガは怒りをあらわにした。
無言のまま腹に二発、あごに一発。
さらに低いつぶやき。
「無能め。」
ラウは咳き込みながらも反論した。
「調べても出てこねぇんだってばよ。たーぶん誰かお偉いさんの都合で隠されてんだろ。」
「もしかしてユノが!?」
イオが言った。
「いーや、それはねぇだろうな。部屋を盗聴してもンなこた言ってねぇし、陛下を殺すことはユノちゃんにとってはあんま意味ねぇーからな。ユノちゃんの目的は陛下を苦しめることなんだと。」
「悪趣味だな。」
サガは顔をしかめた。
ラウは首を縦に揺らす。
「まぁなぁ。でもユノちゃんにそうさせる何かは一体何なんだろぉなぁ。なんでも陛下だけじゃなしに帝国全体を憎んでるみたいだしよ。」
「………おれが言ったのはおまえのことだ。」
腕組みをして考えこんでいたラウに冷たく鋭い視線が突き刺さった。
「とにかくここは手分けして探すしかないわ。幸い宮殿の間取りは覚えてきたことだし見つけたら連絡をとることにしましょう。」
放っておけばいつまでも続くとわかっていたので、イオはすかさず話題を元に戻した。
長いつきあいのおかげでこの二人の扱い方は完全に理解している。
処刑まであまり時間がない。どつき漫才をしているヒマなどないのだ。
三人はすぐに宮殿の一斉捜査を開始した。

ラウが最初に向かった場所は牢屋だった。
暗殺者が牢屋に捕獲されていないことは調べですでにわかっていたが、ラウには別の目的があった。
ユノに捕らえられているレンの救出である。
もちろんサガに「今は余計なことはするな。」ときつく止められている。
だが、ラウの性格上それはできない相談だった。
決して頭が悪いわけではないのだが、ある状況に置かれた場合考えるよりも先に思うままに行動したがる単純一途な性格なのだ。
それは情のあつさにもつながり、ラウを慕う兵は多い。
しかしサガのように緻密な計画に基づいて事を進めるタイプには、ラウは頭痛のタネ以外の何者でもなかった。
現に今はレンを助けている余裕など無い。
ラウはそれをわかっていながら、それでも迷わなかった。

レンはすぐに見つかった。
吐き散らかしたものが悪臭を放ち、床や壁に血がにじんでいる部屋。
扉に鍵はかかっていなかった。
まるで逃げろとでもいうように、番兵もいなければ手錠もない。
そんな中、レンは奥の壁にもたれておとなしく座っていた。
いや、「おとなしく」という表現は違っている。
彼の目には生気がなく、その体は血が通っていないかのようにピクリとも動かなかった。虚ろな目線の先には小動物の骨と思わしきものがあったが、何の骨なのかはよくわからない。
とにかく彼が正気を失っていることは確かだった。
ラウはしばらく言葉を失った。
いったい彼の身に何が起こったというのか。
ラウがレンの様子を間近で見ようと一歩近づいたそのとき、

ガッシャァァアンッ

「ラウ様!?何をなさっているんですか!」
というカラの声が後ろから響いた。
どうやら食事を運んできたカラに運悪くはち合わせしてしまったようだ。
カラの足元にはレンの朝食が無惨に飛び散っている。
逆に見つかってしまったラウの方が落ち着いていた。
「カラ。それはおれが聞きてぇんだがな。ユノちゃんは一体何をやってんだ?囚人は今はいねぇはずだぜ。陛下を暗殺した奴ら以外はな。こいつはどう見ても民間人だろうがっ!」
カラの慌てぶりを見たラウは、凄味をきかせて問いつめた。
一瞬にして立場を逆転させられたカラは言葉に困っている。
もともと舌の回るタイプではない。
ましてやラウが相手では結果はすでに見えていた。
「………ユノ様にも考えがおありなのです…。」
苦しまぎれにそうつぶやいたものの、言い訳にもならない。
「ユノちゃんはまちがってんだ。おまえが目ぇ覚まさせてやんなくてどーするよっ!」
対するラウはカラにとってもっとも痛い言葉を難なく見つけだした。
これ以上の責め苦はなかった。
「………ユノ様の幸せは…目を覚ますことではありませんから………。」
「だからおまえも地獄までつきあうってのか?それがユノちゃんのためだってんだぁな?」
ラウの追撃はなおも続く。
「バカやろぉめ。」
「………放っておいて下さい。」
カラはそれ以上何も、何も言えなかった。
ラウはうなだれてしまったカラを見て、短いため息を一つついた。
「どうしようもねぇなぁー。」とでもいうような、そんなため息だった。

カシャン………

ふいに、妙な音がした。
カラもラウもいったい何が起こったのかよくわからなかった。
瞬間かいま見たものは黒い影と鋭い光。
ただそれだけで、それだけでは次の瞬間見えたものの説明にはたりなかった。
ふたりは暫時時が止まったかのように呆然と突っ立っていた。
「動くな。」
静寂の中に響く声。
カラののど元には先ほど落とした食器の破片が突き立てられている。
食器の破片を握る人物はもちろんカラのはずがなく、かといってラウでもない。
レンはカラののどに突き刺した凶器をゆっくりと横に移動させていき、動脈を手前にしてその動きを止めた。
そんな様子を見てもラウは未だ呆然としていた。
完全に生気を失いピクリとも動かなかった人間がこのような行為に及ぶとは想像もできなかったのである。
「ふたりとも、動くと動脈をかき切るからな。」
言葉と行動とは裏腹にレンの瞳は虚ろなままだったが、感じられる殺気は激しく渦巻いていた。
その殺気にあてられてラウはようやく状況を把握した。
「待った待ったぁ。おれはおまえさんを助けに来たんだ。ちゃーんと逃がしてやっからそいつを殺すのは勘弁してやってくれねぇかなぁ。」
敵意のない証拠に両手を挙げて語りかける。
しかしレンに反応はなかった。
「おまえ逃げてぇんじゃねぇのか。カラを人質にとってなーにがしたいんだぁ?」
「………人間としての誇りをもって生きようとすることと、ただひたすら力の限り生きようとすることと、あんたならどっちを選ぶ?……おれは、ユノと話がしたい……。」
レンはそれだけ言うと何故かカラを自由にした。
そしてまるで電池が切れたかのようにその場にしゃがみ込んだ。
「………ユノ様にお伝えしておきます………。」
首に赤い線を描かれたカラはできるだけ平然とそう告げた。
何だかよくわからないうちに事態は収まりがついたが、ラウの目的はまだ遂げられていない。ラウは別にカラと口論するために来たわけでも、カラを助けるために来たわけでもないのだ。
ラウはカラに聞こえないよう、こっそりささやいた。
「おまえはヨルって嬢ちゃんの仲間だろ?おれは嬢ちゃんの友達だ。おれとしちゃあおまえを逃がしてやりてぇんだがなぁ。どーだ?」
レンは迷わず首を横に振った。

「今は……まだ…。」

―――今はまだ会えない―――。

ラウがカラに見つかり予定外の出来事に対処しているとき、イオはさらにやっかいな人物に見つかっていた。
聞いて驚く無かれ。
衣装をつけに行く途中のミムに出くわしたのだ。
「私、女性で警備兵やってる人って初めて見たわ。なんだかかっこいいのね。」
ミムはイオに興味津々な様子で、イオとしてはいつばれるかと気が気じゃない。
「申し訳ありませんが任務がございますので。」
そう言って何とかふりきろうとしても、
「……その反応誰かに似てるわ。腹立つのよね。でも働く女って感じがする。私あなたが気に入っちゃった!友達になってよ。」
と、何故かなつかれてしまう。
イオはほとほと困り果てていた。
「ね?ね?決まりっ!女の子の友達っていないからうれしいわっ!」
が、どうも憎めない。
時間がないので早くこの場を逃れようとしたというのもあるが、何よりもミムの無邪気さに負けた形で、イオはとうとう言ってしまった。
「わかりました。私でよろしければ。」
その途端ミムの顔がぱぁぁっと明るくなる。
そこまではよかったのだ。
が、しかし。その後すぐに
「じゃあ一週間に一度は絶対私のところに来てよっ!いくら仕事が忙しくっても私のために休むんだったら誰も文句言いやしないわ。わかったわね。絶対よっ!」
とミムに命令され、イオは自分の言葉を非常に後悔したのであった。


イオがミムに見つかり想像もつかなかった出来事を体験しているとき、サガはさらにさらにとんでもなくやっかいな人物を見つけていた。
カラ、ミム、とくればここはもちろん、ユノである。
廊下を一人で歩いているユノに出くわしたのだ。
しかし今度はサガが一方的にユノを見つけただけで、向こうから気付かれてはいない。
サガはとりあえずユノの後をつけてみることにした。
ラウのような寄り道ではなく、ユノなら暗殺者たちの居場所の手がかりぐらいは握っているのではないかと思ったからである。
そしてサガの予想は見事的中した。
しばらくしてユノはある部屋を訪ね、いかにも怪しげな兵士たちを次々とうち倒して無理矢理そこに踏み込んだのだ。
サガは少し離れた物陰からその部屋をのぞき込んだ。
すると、ユノは急にくるりと向き直ってサガの方へと近づいてきた。
サガはあせった。
だが今から動くと後をつけていたことが完全にばれてしまう。
サガは息を潜め、ユノが気付かず去ってくれることを願った。
だが何もかもがそううまくいくはずもない。
「そこにいらっしゃる方、出てきていただけませんか?逃げられませんよ?」
こんな時でさえユノは穏和な仮面をはがさずに、優しげな声で忠告する。
これで出ていかなければ容赦のない死が待っているのだろう。
サガは覚悟を決めて顔を見せた。
「何が目的なのですか?」
ユノの問いに正直に答える。
「暗殺者の正体を探ること。」
別に死ぬ前に嘘はつかないでおこうとかいう殊勝な考えを起こしたわけではない。
おそらくサガの目的はユノと同じなので、利用できればそうするのが得策だとそう考えただけのことである。そして自分がユノならば、自分と目的を同じくする敵ではない侵入者がいた場合、やはり利用しようとするだろうと思ったからなのだ。
無能な相手ならば切り捨てるだろうが、ユノに利用できそうな奴だと思わせる自信がサガには充分あった。
「奇遇ですね。私も暗殺者の正体を探しているのですよ。よろしければ協力していただけますか?」
――――交渉は成立した。

とにかくさっきの部屋に入ってみると、中には大勢の反乱軍一味が捕らえられていた。
彼らはユノを支持し皇帝を憎む人たちで、みんな口々に「確かに皇帝をよく思っていなかったが、暗殺したのは自分たちではない。」と言う。

「ユノ様…私達はどうなるのでしょうか。」
集団の中から老人が尋ねた。
手足をつながれているため、ユノのそばへ行きたくても行けないようだ。
「おそらく暗殺者として処刑されてしまうでしょうね。けれど私がそんなことはさせません。あなた達を捕らえたのは一体誰なのですか?」
一度不安にさせておき、フォローを入れて安心させる。
落ち着いたところで、一番聞き出したいことを聞く。
ユノは人の心を巧みに操った。

そうして出てきたその名前は―――

「バズ公爵。」
第五章―END―
続く。
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