第四章

硬質な金属の床に、高いヒールの足音がコツコツと響く。
螺旋状に続いている廊下はメタリックで冷たい感じがするが、その人が通り過ぎていくと不思議と華やかな雰囲気に変わるのだった。
宮殿を護る無骨な兵士たちはその人の一挙一動に見とれていた。
大胆かつ優雅な身のこなし。勝ち気に咲き誇る花のような美しさ。
ユノが闇夜にきらめく白銀の月だとすると、その人は青天に輝く黄金の太陽といったところだろう。
対照的な美しさを持つ二人は、一人は男で一人は女だった。

ユノの部屋に案内された彼女は、部屋の主の姿が見えなかったのでイライラしていた。
「ユノはどこよ。早く出しなさいよ。私はユノに会いに来てるんだから。」
彼女はとても17歳とは思えないような成熟した肢体を持っていたが、中身はてんで子供っぽかった。少しわがままで自信たっぷり、裏表がなく、無邪気な明るさがあり、ちょっとしたことですぐムキになる。そこがまたかわいいと、とにかく兵士たちには人気があった。が、元々身分違いなうえに、彼女はよりによってユノにほれているので、本気で恋い焦がれている兵士たちはほとんどいなかった。
「申し訳ありません、ミム様。お待たせしてしまいましたね。」
カラによってユノの部屋の扉が開けられ、ユノが姿を現した。
対極に位置する至上の美が味気ない金属に囲まれた部屋の中にそろい、よりいっそう美しさが際だつ。
月と太陽はにこやかにほほえんだ。
「ようこそいらっしゃいました。さて、いったい何のご用でしょうか。」
ユノの表情はおだやかだった。
しかし、そばに控えるカラの方は少しひきつった表情を浮かべていた。
長年ユノに仕えているカラにははっきりとわかったのだ。
ユノのほほえみの下に隠されている本心が。
それは確かに、さっさと帰れ。もうくるな。いいかげんにしろ。うっとおしい。などというものだ。
ミムが来たときはいつもこうだった。
そのことに気づいているのかどうかはわからないが、ミムはユノを指さして勝ち気に言う。
「もう、ホントはわかってるくせに底意地の悪い男ね。いつだってみんなに優しいけど、実際は何を考えてるかわかったもんじゃないんだから。」
もっともだ。
ウソをつくことが苦手なカラは、一瞬ビクッと肩をふるわせた。
しかし、さすがにユノは平然としている。
ちょっとやそっとじゃユノの仮面は破れない。
「でもそんなところも好きよ。」
ミムは肩をすくめてウインクしてみせた。
彼女はもう何年もユノにほれていて、しょっちゅうユノに会いに来てはモーションをかけているのだ。
もちろん成功したためしはないが。
ユノはため息をつき、聞き分けのない子供をなだめるようにして言った。
「皇位継承権をお持ちの方が何をおっしゃいますか。私のように素性のわからない者を相手にしてはいけませんよ。」
「もう皇帝に即位したようなもんよ。どうせもう長くないんでしょ。」
ミムにひるむ様子はない。
「いかにあなたが陛下のことをお嫌いでもその言い様は……」
「知らないわ。むこうが嫌ってるのよ。それよりユノ、さっきのことよ。確かにあなたは道で倒れていたところを皇帝に拾われたっていうけど、そんなの全然関係ないわ。今のあなたがいるなら私はそれでいい。」
ミムはかなり強引に話を進めた。
カラはいつものように二人のやりとりを見て、ミムが帰った後で決まって自分に降りかかる雷のことを思い浮かべた。
そしていつものように胃にキリキリとした痛みを感じていた。
彼になぐさめの言葉はない。
「だーかーら、好きだって言ってるでしょ。ユノが好きなの好きなの好きなのーっ!返事をはっきり言ってよ!別にフられたって権力使って仕返しとかしないわよ。」
ミムはユノのえり元をひっつかんで無理にでもユノの気持ちを聞き出そうとする。
「では、申し訳ありませんがお気持ちに答えることはできません。」
ユノは軽く答えた。
いいかげん腹が立っていたのだろう。
ユノにとって乙女の恋心というものはうっとおしいものでしかない。その恋心の持ち主が皇族ともなればやっかいなことこの上ない。しかも彼女はごらんの通りの性格なのである。
ユノの怒りが爆発するのは必至だった。
だというのに、ミムはまたもや爆弾を火であぶるような行動にでた。
「うわあぁぁぁん ユノにフられたー ユノのばかあぁー」
計算ではなく自然な行動だった。
ミムは大声で泣き始めた。
大宇宙広しといえども、天下のユノに面と向かってバカと言えるのはミムとシンくらいのものだろう。
しばらくすると、部屋中にこだましていた泣き声がピタリとやんだ。

ポカッ

カラは青ざめた。
誰にでも容赦なく冷酷無比に接するあのユノが、ミムに頭を殴られたのだ。
しかも一発ではない。肩たたきの要領で何度も殴っている。
この後自分は死ぬかもしれない……。
カラは本気でそう思った。
「あ、あの、おそれいりますが仕返しはなさらないと………。」
カラは精一杯の勇気をふりしぼった。
相手は仮にも皇族なのだ。気に入らないという理由だけでいつ手討ちにされてもおかしくない。幸いミムは興奮していたため何も問題はなかったが、状況は少しも好転しなかった。
「権力は使ってないわよ。ささやかな八つ当たりよー!」
ミムは思いきり叫んだ。
本人に八つ当たりするなあぁぁぁぁー
カラの心が発した絶叫は胃の激痛にもみ消され、体の外にもれることはなかった。


ラウはユノの部屋でくりひろげられている悲喜劇を、ソファーにゆったりと腰掛け、のどをならしながら聞いていた。
「ユノちゃんの部屋を盗聴するってなヤバイことしてて、一番楽しーのがこんときだよなあ。さすがのユノちゃんもミムにはかなわねぇか。いつもこんくらいかわいけりゃいいのに。しっかーし、ユノちゃんにほれちまってるミムが皇帝になったら、ちょおーっとヤバすぎるな。」
アブナイことに、ラウは盗聴を娯楽と感じ始めている。
ラウは帰れなくなる前に自分自身にストップをかけるため、軽いせきばらいをした。
ラウは真剣に考えた。
帝国の行く末を。
人々の進む道を。
自分が選ぶ道を。
それらの結末を。
帝国に未来がないことはほぼ確実だった。
ユノがでてこなくても、いずれは自然と崩壊していただろう。
かっての力強い支配者の影もすでになく、過去の栄光と権力に頼りきっている帝国は、しょせん長続きしない。宇宙は日々進歩しているのだから。そのうち超人口過密問題をかかえた他の星が、帝国よりもはるかに高度な技術と力強い人々をもって襲来するだろう。そのときに、帝国の名がもたらすぬるま湯にどっぷりとつかってしまっている今の帝国民では、何もできないのだ。
いつ何が起こるかわからない乱世において国家の安定を保つためには、勢いというものが絶対必要不可欠なのである。
今の帝国にはそれがない。
ユノにもそれはわかっているだろう。
ユノは帝国が滅びゆくことを知っていて、それを利用しようとしているのだ。
何をしようとしているのか、それはわからない。
ユノの部屋を盗聴しても、そのことについてはまったく聞けなかった。
ただ権力を手にしたいだけなのか、滅ぼすことが目的なのか、人々が苦しむ様を見たいのか、皇帝に就いて帝国を再興したいのか、新国家を建設する気なのか、他の星から送り込まれた工作員なのか。
それともすべてを楽しんでいるのか。
ユノの考えはまったく読めないが、このままではユノの思い通りになってしまうことは明らかである。
すでに皇帝と次期皇帝を飼い慣らし、みずからも皇帝代理として人々の支持を受けている。
妨げになるものは何もない。
「ユノちゃんに暗い影さえなけりゃ、指導者が登場するのはいいことなんだが。ユノちゃんの様子じゃ破滅に突っ走りそーなんだよなぁ。」
ため息とつぶやきをもらしながら、ラウはよっこらしょと腰を上げた。
「いっちょやってやるか。」
セリフとは裏腹に、ラウの顔は真剣そのものだった。

「やっとお帰りになられましたね。」
盗聴器から疲れたようなカラの声が聞こえた。
どうやらミムが帰ったらしい。
ラウは再びユノたちの話に耳を傾けた。

「うっとおしい子供だ。あれが次期皇帝とはな。いっそ亡き者にしてしまおうか。」
ユノはかなり限界に来ていたようだ。
純度の高いワインをグラスにつぎ、一気に飲みほした。
「ヨルはどうなった。」
ヨルの行方不明調査の結果を聞く。
カラはいつものように調査結果の書類をさしだし、考察を交えて報告した。
「その件ですが、ユノ様の御指示通り少女の保護者の死亡を確認しようとしましたところ、死体が一つも見つかりませんでした。我々の行動を見通すにはなんらかの情報が必要です。おそらく少女は保護者とともに逃走中でしょう。」
「面倒だな。ヨルを操るには保護者にそばにいられては困る。だからこそ早急に始末しておこうとしたというのに。失敗したうえキバまでいなくなるとはな。いっそヨルが死んでしまえばいいものを……。」
ユノはいまいましそうにまゆをひそめた。
「ユノ様……。」
カラが何か言いたそうに目で訴えかける。
「おまえに私に口出しする権利などない。」
ユノは鋭い視線でたたき返した。
だが、カラは弱々しくも自分の気持ちをユノに伝えることをあきらめなかった。
「……私はユノ様が心配なんです。」
カラの本音はこれだけだ。
罪と罰を恐れないユノがただひたすら心配なのだ。
「おまえのそういうところがいちいちカンにさわる。」
ユノは健気なカラに対して、まだワインが残っているビンを思いきり投げつけた。
カラの足下で砕けたビンが火花のように飛び散る。
キレイに片づけられたユノの部屋に、粉々のガラスと赤い液体がちりばめられた。
ワインだけではなかった。
カラはひざまずいて控えていたので、顔や腕などの肌がでていたところに傷を負った。
特に深いのがほおと右腕で、ざっくりと切れている。
「大丈夫か!?」
ユノの顔色が変わった。
いつも冷静なユノが、あわててカラにかけよる。
めったに見られない光景である。
盗聴器を通して会話を聞いているラウも思わず耳を疑った。
「右腕は大丈夫です。」
カラは口だけで笑みをつくってみせた。
「…………。」
ユノはそれ以上口を開かなかった。

ビービービー
「緊急事態発生 緊急事態発生」

空間を裂くかのようにして警報機が鳴り響いた。

「『PATRIOT』起動 『PATRIOT』起動」

「何!?」
緊迫した空気が流れる。
鳴り続ける警報機と心臓の音が重なり合う。

帝国の中枢はまさに大混乱に陥った。


―――計画通りに。


それから数時間後、ヨルたちは見事に惑星パラディス脱出に成功した。


「ハーッハッハ。おれ様の手にかかればざっとこんなモンよ。」
両手を腰にあてて威張っているのは、今回一番の功労者だ。
「ありがとな、アル。」
シンはアルの肩をポンとたたいた。
「いいってことよ。帝国相手にケンカができるなんてこんなチャンスめったにないからな。持つべきものは友ってか。アッハッハ。」
アルは両手を腰にあてたまま、口を大きく開けて笑った。
よく笑う男である。
彼は実は海賊で、シンたちにとっては天敵と言っても良い相手だ。
大宇宙をところせましと飛びまわる海賊は帝国に対して良い感情を持っていない。
過去から現在において帝国と彼らの間にそう大きな事件はなかったが、自由と未知なる冒険を愛する彼らにとって帝国は気にくわない存在でしかなかった。だから、彼らは帝国の艇が相手なら何の利にもならない海賊行為をすることだってある。実際、シンとレンはただの検査船に乗っていたにもかかわらず襲われ、捕虜にされたことがあるのだ。
が、しかし、自分を捕虜にした相手でも人格が気にいれば友達になってしまうのがシンのすごいところで、明らかに常識を越えている。
レンが今まで自律神経失調症で入院したことがないのが不思議なくらいである。

とにかく、帝国脱出を成功させるためには外部からの手引きが必要だと考えたシンは、アルに連絡をとった。ユノの追撃をくい止めた一行にもう不安材料は無く、ヨルたちは大宇宙を悠々と航海することができたのだ。

「いやー、そこのゼダのにーちゃんもすごかったなぁ。検問のコンピューターを根こそぎ破壊して『PATRIOT』を起動させちまうなんてやるじゃんよ。」
アルは初めて見る顔に気軽に声をかけた。
「……おれの名はキバだ。」
キバは宇宙船のすみの方で壁によりそって座っていた。
「ありゃ、暗いにーちゃん。」
アルは両手をふってとぼけてみせた。
その後ろではシンが吹き出しそうになっていたが、キバはなんの反応も示さなかった。
「あっ!?」
シンは宇宙船がひっくり返るかと思うくらいの大きな声をあげた。
シンの右手はキバの足下を指さしている。
キバのひざまくらでヨルが寝ているのだ。
およそキバという男には似合わない行動に、アルは腹がよじれるくらい笑ったが、シンは目が白目になりそうなくらいキバをにらみつけた。
「おまえみたいな殺人狂にヨルをまかせておけるかっ!」
「静かにしろ。起きるだろうが。」
キバがうざったそうに言う。
「なんでヨルがそんなところで寝てんだよ。」
シンはヨルを起こさないように少し声のトーンを下げた。
「おれにもなついたんだろう。」
「ふざけんなっ!」
ふたりの大人げない行動と言動に、アルはへそで茶をわかす。
「ハッハッハ。おっもしれーなおまえら。航海中退屈せずにすみそうだ。おまえらのポジションは漫才師だな。思うぞんぶんおれ様を笑わせてくれ。」
「るせえっ!!」
シンはアルをねめつけた。
「ハッハッハ。ところで、帝国を脱出してそこからどこに行くんだ?」
アルの最も基本的な質問に、シンは答えられなかった。
いきあたりばったりで行動し、衝動的に帝国を出たので何も考えていなかったのだ。
つくづく無計画、無責任な男である。
「行き先が決定してないのならゼダ星に行ってくれ。」
キバがシンたちの方をちらりとも見ずに言った。
キバの右手はヨルのほおをゆっくりとなぞっている。
「ゼダのにーちゃんは里帰りしたいらしい。」
アルは吹き出しそうになる笑いをかろうじてこらえた。
シンは少し意外だった。
こんな男でも故郷への思慕があるのか、と考えていた。
最初は隠しきれない狂気を宿した殺人鬼だと思っていたが、ヨルを慈しむような様子を見ていると本当はもう少し人間らしい心を持っているのではないかと思えた。
しかし、だからといってヨルを預ける気にはなれない。アブナイ奴には違いないのだ。
ヨルが寝てさえいなければ即座に引き離すのに。シンはいらだちながらも必死にこらえた。
「……キバだ。少し気になることがあるだけだ。」 
キバはアルの言葉に対してさらりと言った。
あいかわらず右手はヨルのほおをそっと行き来している。
「ハッハッハ。恋人か?母親か?それとも……」
アルが面白がって色々聞きまくったが、キバは一つもとりあわなかった。

「よっしゃ決まりっ!南南東に60度。ゼダ星に向けて全速前進!」

「おいっ勝手に決めるなっ!」
シンがあわてて制止した。
しかし、面白そうなことからアルを引き離すのは不可能に近い。
どこか似ているふたりである。
「艦長はおれ様だ。おもしろそうだから問題なし。文句あるか?漫才師。」
シンは効き目のある反論ができず、しぶしぶひきさがった。
「アッハッハ。……ん?そういやレンのやつはどうした?」
アルは頭をポリポリとかいた。
キバは半径1メートル以外の世界をすべて無視するかのようにヨルを抱きかかえている。
重たげな空気が流れた。
アルは怪訝そうにシンの目を見る。
「レンはパラディスに大切なモンがたくさんあるんだよ。」
そう、レンは結局残ったのだ。自分の意志で。
行き先のわからない船に乗るには失いたくないものが多すぎた。
シンはレンをひきとめなかった。ひきとめられる権利は誰にもなかった。
別れるときも、別れてからも、シンはなんてことない顔をしていたが、内心そうとうまいってしまっていた。
「そーか。しかし大丈夫かぁ?帝国のお偉いさんに狙われてんだろ?」
「おれもそう言ったけどレンがそれでも残るってんならしかたねぇだろ。」
シンはモニターに映る小さくなったパラディスを眺めた。
シンには両親もなく、失いたくないものなど特になかったが、今となってはレンの気持ちがよくわかる。
レンのいる星がどんどん見えなくなっていく。
もう自分があの星に帰ることはおそらくないのだ。
もう自分がレンに会うことは………
シンはパラディスが完全に見えなくなる前にモニターから目をそらした。
直後、シンの背中に映像が映し出された。
気の遠くなるほど暗く広大な宇宙が、惑星パラディスを飲み込んだ様子だった。


建材がすべて金属や硬化ガラスになった今でも、人が暮らす家というものの姿はあまり変わらない。変わったものといえばその密集度である。天までとどくような長方形の家が、すきま無く、規則正しく並べられている。土地がないのだ。
見ているだけで発狂しそうな光景の中を歩き、ラウは知人の家を訪ねた。
友人というには不的確なその人物は、のぞき穴からラウの姿を確認し、合図を交わしてからようやく扉を開けた。
「おまえがここに来るとは珍しい。何事だ?」
まったくの無表情で言う。
「おれも一生こねぇつもりだったが、まあ、しゃあーねぇわな。」
ラウは腕組みをして首を左右に振った。
このふたり、会うのは6年ぶりである。
「サガ、力借りに来たぜ。」
ラウは6年ぶりに相手の名を呼んだ。
「おまえのめんどうは二度と見たくなかったが、このおれの力がどうしても必要だというのなら考えんでもない。」
「ったく、泣っけてくるほど変わらねぇなぁ。」
ふたりはお互いに再会を喜びあった。
サガは頭がきれるし口がたつ。その頭脳と才能だけで反帝国勢力の指導者になった男だ。
ラウはユノの野望を阻止するべく本格的に動き出したのだ。

「すまんが茶を入れてくれ。」
サガがそう言うと、奥のほうから知的な美女が顔を出した。
「お久しぶり。ラウさん。また会えてうれしいわ。」
「おう、久しぶりだなぁ。イオ。」
ラウは懐かしそうな笑顔を浮かべてイオに手をふった。
「イオの奴も我慢づえぇなぁ。おまえの片腕として一緒に暮らし初めてもう10年ぐらいだっけか。ふつーの人間なら気ぃ狂うだろ。」
「………そんな話をしに来たのか。」
サガは不機嫌極まりないという顔をすると本題に入れと促した。

イオは音もたてずに紅茶を入れた。
男たちの論議の邪魔にならないために。
「それでおまえはこの帝国をどうするつもりだ?」
サガが言った。
これ以上はないくらいの鋭い質問だった。
とりあえずユノは絶対に存在してはならない。しかし、今帝国の実権を握っているのはユノである。ユノを中心に回る社会の中心を取り除けばどうなるのか、混乱以外の何もない。
「おれたちの組織の目的は封建社会の破滅と民主主義社会の確立だ。おまえが反帝国側につくなら目的達成も急速に近くなるかもしれんが、どっちつかずのままでいられてはただ邪魔なだけだ。」
サガは口から出る言葉とは反対に優雅な仕草で紅茶を手にした。
しばらく香りを楽しみ味わって飲む。
ラウは紅茶がまだ熱いうちに結論を出した。
短い言葉だった。
サガはくちびるの端でわずかに微笑んで言った。
「力を借りるのはおれの方かもしれんな。おまえごときの力を借りたからといって状況が一変するわけでもないが。」
「おめーの部下はよく反乱おこさねぇなぁ。」
ラウはため息をつきながらサガと握手を交わした。
イオがくすくすと笑っていた。

「ユノ様………」

「なんだ今の声は。おまえの腹から聞こえたが。」
サガはラウのベルトを指さした。
ベルトにしかけた盗聴器の音量が上がってしまっている。宮殿でやったら大変である。
ラウは急いで音量を元に戻そうとした。

「少女の連れの一人をとらえました。」

「なっにぃぃぃ!? おじょーちゃん逃げたっつーから思っきり安心してたら今度は連れかぁっ!?」
ラウは思いっきりテーブルをたたいた。
きれいな色をした紅茶はテーブルにこぼれ、サガのひざへと流れていった。

「レンという名の男で、今扉のむこうに控えさせておりますが。」

ラウは盗聴器の音をかろうじてサガとイオに聞こえる程度にしぼり、耳を澄ました。


「ふん、一番利用価値のない男か。」
ユノの声は鋭い怒気をはらんでいた。
「『PATRIOT』を利用され、奴らにまんまと逃げられて……ちっ、腹立たしい!!それにしてもいまいましいあのコンピューターめ。『PATRIOT』の名が泣くわ!」
ユノの両眼が空中をにらむ。
空間が自然発火を起こすのではないかというくらいの迫力があった。
「ユノ様、それでどうなさいますか?」
「そのような男、私が会う必要はない。とらえておけばよい。今は役に立たずともいずれ役に立つ。私とていつまでもあやつらと遊んでいるほど暇ではないからな。キバがいる限りあのヨルという少女が他の者の手に渡ることは難しいだろう。ならば焦らず時期を待てばよい。それまで逃げられぬよう充分にいたぶっておくのを忘れるな。」
レンの運命はあっという間に決定した。


ラウは盗聴器の音声を極小にあわせた。
「そのレンとやらを救出するのはやめておけ。今派手に動くのは得策ではない。」
サガは顔をしかめながら円形のテーブルをふいている。
服についたしみはもはやとれないだろう。
イオはてきぱきティーカップを片づけた。
ラウはそれを見ていそいそと床をふき始めた。
「そーもいかねぇだろ。気に入った人間の連れを助けねーってな胸くそ悪ぃこた、したくねぇからなぁ。」
「やはりそう言うか。おまえはしょせんその程度だ。」
「おれはおれだ。おれはこの程度でなきゃぁ、おれが気に入らねぇ。」
ラウはそう言って笑った。
無表情で不機嫌なオーラを漂わせるサガとは対照的に、イオはラウにウインクした。
「大丈夫よ、ラウさん。こんなこと言ってるけどサガはきっとあなたを助けるわ。この人友達少ないんだもの。」
サガはあいかわらず無表情のままテーブルをふきながら、深い深いため息をついた。


―――ゼダ星人。
漆黒の髪、真紅の瞳の極めて好戦的な種族。
彼らに男女の概念はなく、ただ強さのみがすべての意味を持つ。
血は神聖なる赤、まごうことなき生の証。
強さこそがすべて。
人生は自分の力で勝ち取るもの。

「着陸態勢に入ります。総員直ちに準備してください。着陸まであと…あっ艦長っ……ハッハッハ。いいかー、おまえら。一応空港内は安全ってことになってるが戦闘準備は忘れるなよ。いつおっ死んでもおかしくねーぞー。残された奥さんの責任は持つがおまえらの責任は持たねーからなー。ハッハッハ。………プツッ」
乗組員たちの間に緊張が走った。
あと数十分で到着する。
キバは着陸準備を整えながら、ちらりと母星の姿を見た。
その瞳と同じ真紅の地表をしたその星は、ゼダ星人たちが今まで流してきた血によって染めあげられたのだという。
キバの頭上で紅い球体はどんどん拡大していく。
もうすでに河や山脈が目にわかるようになった。
ゼダ星は乾燥した惑星で海がない。あの河、星をまっぷたつに割るようなあの河が貴重な水資源なのだ。河はいつも砂塵のせいで薄い紅を流しているが、一年に一度、ほんの数日間だけ青に変わる。ゼダ星人たちはこれを神の業とし科学の立ち入りを許さないため、何の作用によるものかはいまだ解明されていない。……一年に一度、そう、ちょうど今頃に。

「おい、おまえ何考えてんだ?おれはおまえに郷愁の情があるとは思えねーんだが。」
シンはすでに着陸準備を終わらせ、首だけを動かしてキバの方をむいた。
シンは気づかなかったが、キバはくちびるのほんの端の方だけでわずかに微笑した。
「そんなものはない。単にタイミングが良すぎただけだ。」
「なんのだよ。」
シンは眉をつり上げた。
「ひまつぶし。」
キバはそう言い捨てると目を閉じてしまった。
「おいっ!ひまつぶしだぁ?なんか企んでんじゃねぇのか?」
キバは一切耳を貸さない。
「……シン。イライラ。レンいない、さみしい?」
ずっとひたすら眠り続けていたヨルが口を開いた。
途端にシンがおとなしくなる。
「……ああ。そうだな。そんなつもりなかったがちょっとイライラしてた。悪かった。」
「……ヨルは平気。シンいる。大丈夫。」
「……おれもおまえのおかげで助かってるよ。レンのやつにはもう会えないがまだおまえがいるんだよな。」
シンは穏やかに微笑んだ。
ヨルは左右に首を振る。
「……会える。」
予感なのか、でまかせなのかは知らない。
その言葉は不思議な響きを持ってシンの心に届いた。
シンは目を見開いた。しばらく呆然としたあと顔の筋肉が一気にゆるむ。
「あいつとおれは運命のワイヤーロープでがんじがらめだからな。」
吹き出しながらそんなことをつぶやいた。
シン本来の調子が戻ってきたようだ。
目を閉じたままおし黙っていたキバの顔が心なしか不機嫌そうだったが、シンはまったく気にとめなかった。安全用のベルトさえなければシンは迷わずヨルをかかえ上げ、抱きしめていただろう。

着陸まで、5,4,3,2,1
―――――着陸。


ゼダ星人たちは興奮していた。
限りなく歓喜に近い雄叫びが何度も地平線を震わせる。
ここは聖なる土地。偉大なる河のほとり。神の祝福を受けた証として、この星には異質な澄んだ色が流れている河。古来からゼダ星人たちは5年ごとにこの場所、この日に彼らにとって最も重要とされる儀式をとり行ってきた。
ゼダ星人ならば誰しもが、今日、ここに集まらずにはいられない。
今日はゼダ星人の長を決める日なのだ。ゼダの民にふさわしいやり方によって。
実際には長といっても星中すべてを統治できるわけもなく、権威は名誉と肩書きの半分あるかないかに等しい。
だが。
血はわきたち体はしびれ、一滴でもその血をその身に受けた者は、……戦うしかないのだ。
そして、勝ち取るしかない。
勝者の座を。


「ハッハッハ。おまえこれに出たかったのか。」
アルがニヤニヤと笑いながらキバの肩をたたこうとした。
キバはそれをするりとかわす。静かに、激しく闘志を燃やしていた。
目が違う。
「これはゼダだけの祭り。おまえたちは住宅街にひっこんでいろ。興奮した群衆に八つ裂きにされても文句は言えない。」
普段とまったく同じ、抑揚のない声でそう言うと、キバは人混みに消えてしまった。
「こんままおいてくって手もあるな。」
シンはうんうんとうなずいた。
「ヨル……見てみたい。」
ヨルは聞こえるか聞こえないかの声で言った。
しかし、シンにははっきり聞こえていた。
ヨルが何かに興味を示している。それがキバに関することだというのが少しカンにさわったが、シンは少し喜び、少なからず驚いた。理由を聞いてもヨルは答えない。おそらく説明できるまでの国語力を持っていないのだろう。シンにもそれはわかっていたが、何しろキバに関わることなので非常に面白くない。
「いーか。あいつも言ってただろう。おれたちが見に行くと殺されちまう。ここはおとなしくしてろ。」
「アッハッハ。ゼダ星人は民族意識が強いからホントに八つ裂きにされるだろーな。」
結局キバの言ったとおりに儀式が終わるまでの数日間は住宅街でおとなしくしていることになった。
「おれはそこまで親バカじゃねーんだ。あまやかさねーからな。」
シンはヨルの頭をかき混ぜるようになでた。
「ハッハッハ。バッカだねー。充分親バカだっつーの。」
アルはシンの頭をバシバシたたいた。
「だーっ!よけいなお世話だ。やめろ、アル!」
「?」
ヨルは不思議そうな顔をして熱気の渦をあとにした。


儀式は最初に適当にブロック分けされ、その中から勝ち残った者たちが一対一で試合を行うといったやり方だった。こう言うとシステムにのっとってやっているように聞こえるが、そんな整ったものではない。
集まった人々のあちこちでケンカのような殴り合いが衝動的に始まり、そのまわりに立っている人が誰もいなくなるまで勝ち残った者が祭司のいる高台に上るのだ。むろん、高台の前に立ちふさがる人々もみな殴り倒したあとに。
この段階ではまだ武器を持つことと殺人は認められない。勝ち残った人が十人ぐらいになって初めて武器使用と殺人が許される。そうしないと種族が絶えてしまうからだ。

キバは一番に祭司のいる高台にたどり着いた。
祭司には右足と左手がなかった。ただの棒きれのような義足をつけ、古い杖をついてかろうじて立っている。痛々しい姿だ。この星では戦えない者には何の価値もない。人間としての尊厳も与えられず、家族たちの手によって人知れず処分されるしかない。しかし、戦いで負った傷のせいで戦えなくなった者たちは別である。彼らは生涯を戦いに捧げた者として敬われ、多くの者は祭司になる。この祭司もその一人だった。
現代の医療技術をもってすればまるっきり自分の手足のような義足をつくることはたやすいのだが、この星は何かにつけ民族性が強く、他星からの協力をほとんど受けていない。要するに発展途上星なのだ。この星に眠る豊富な鉱物資源を虎視眈々と狙う星も多い。
現にさっき着陸した空港も、今ヨルたちがむかった住宅街も、先進星の人々が鉱石めあての活動のために勝手に建設したものだ。この事実を憂うゼダの民は多いが、何しろ先進星相手に太刀打ちできる頭脳と教養がない。普通の考えならここで残された手段は一つ、泣き寝入りだけだ。だがしかし、ゼダの人々の考えは違っていた。
下ですさまじい光景がくり返される中、老祭司は不自由な体を引きずりながら言った。
「おまえが長になるのかもしれんな。このゼダの歴史に名を残す……。」
ただのひとりごとのように思われた。その目ははるか空のかなたを見つめていたので。
……近くにはキバしかいなかった。
「?長などしょせん飾りだろう。おれは強い相手と戦いたいだけだ。」
キバは不審そうに答えた。
老祭司はキバの方を見ようともしない。
どうやらキバと話しているのを誰にも気づかれたくないようだ。
「そうか、おまえおそらくよその星から来たのだろう。……不運な。いや、これも運命か。」
老祭司は額に短いしわを刻み、まるで何かを悟ったかのようにかたく目を閉じた。
キバは何がなんだかさっぱりわからずおおいに不機嫌になった。
それ以上二人の間に会話はなく、高台にはいつのまにか数十人の戦士たちが姿を現していた。

殺気。

戦士たちのほぼ全員が一番最初に高台に登ったキバに殺気をいだいていたが、その中でもひときわ鋭い殺気があった。
持ち主は昨日までのゼダの長である。
焼けつくような宣戦布告に、キバは思わず不気味な笑みを浮かべた。
この男との戦いが一番面白くなる。
確かな予感があった。

予感は当たった。
決勝戦。キバと男の一対一の戦い。
キバは手のひらの長さと同じくらいの短剣を手にした。
相手はその六倍くらいの長さのがっしりとした長剣を振り回していた。
赤い地平線に血の色の日が沈む。あたりの熱気は最高潮に達した。

シュピッ

白刃が空間を切った。
銀の輝きが群衆を射す。
血の色を背景に音もなく、黒い人影が円舞を舞う。
静かなきらめきが脳を支配する。
一瞬が永遠にも思われた。
影は、踊っていた。
そして、倒れた。
残ったのは、キバだった。

「みな、よく聞け、たった今からこの御方が王ぞ。」
先ほどの老祭司が斜陽にむかって叫んだ。
オオオオオォォォォォォォォォオオオオオオオオ
「この方が、この御方こそがあのにっくき侵略者どもから我らを救ってくださる!」
オオオオオォォォォォォォォォオオオオオオオオ
「侵略者に死を!シャグラの者どもにすべての厄災を!」
一同に会したゼダの民が祭司に同調するかのように雄叫ぶ。
キバ一人状況を飲み込めていない。
キバの疑問も、とまどいも焦りも何もかもが狂ったような轟音にかき消され、ひたすら立ちつくすしかなかった。
「ゼダの民に栄光あれ!」
オオオオオォォォォォォォォォオオオオオオオオ

その時上空に光るものがあった。

それはゼダの民にすべての厄災を運ぶ滅びの使者だったが、気づいたときにはすでに遅かった。
オオオオオォォォォォォォォォオオオオオオオオ
歓喜の声は悲鳴に変わった。
空から何かが降り注ぐ。
小型ミサイルの雨が地面に血の花を咲かせるべく襲来したのだった。
「おのれシャグラめぇぇええ。」
祭司は地にうつぶし、キバの足をつかんだ。
口からはシャグラへの呪詛の言葉しか出てこない。
キバは冷ややかな目で老人を見つめた。殺し屋の性か、場が混乱すればするほど逆に冷静さが戻ってくる。だいたいの事情もなんとなく悟った。
郷愁の情など無い。戦いを楽しめればそれでいい。他のことはうっとおしいだけ。
ゼダの星と民がどうなろうとキバにとってはどうでもよかった。
「どうか、この地を蹂躙しようとする者どもを、あのシャグラを、どうか……。あなた様の役目です。さあ、我らが同胞に………。」
老祭司はキバの足をがっしりとつかんで哀願した。
その目は明らかな期待とかすかな確信を映していた。
「…………。」
キバはつかまれていない方の足でしわだらけの腕を容赦なく踏みつぶした。
老人は嗚咽をもらした。
その両眼に絶望がよぎる。
キバは満足げな表情を浮かべ、それを血の海へと蹴落とした。
オオオオオォォォォォォォォォオオオオオオオオ
キバは血がざわめくのを感じていた。
心地よいしびれが体内の核ともいうべきところから伝わってくる。
オオオオオォォォォォォォォォオオオオオオオオ
人々の悲鳴が感覚器の働きを鈍くさせ、意識を内に集中させる。
血が悲鳴に呼応する。
ゾクゾクとした空気がキバを操ろうとしている。
キバにしか、ゼダ星人にしか、あるいは男にしかわからない感覚が、キバを襲った。
キバはその衝動のおもむくままに、群衆にむかって口を開いた。

「敵は打ち倒せ。生の限り戦え。命を懸けて生きなければ、この生に意味はない。」

オオオオオォォォォォォォォォオオオオオオオオ

キバは名実ともにゼダの民の長となった。


一方、同じ星の住宅街では、襲撃のニュースで大混乱が起こっていた。
他の星から来ていた人たちが旅客宇宙船に次々と乗り込み避難していく。
サイレンと放送が絶え間なく交互に流れるなか、爆撃音がリズムよくメロディーを奏でだす。それがまたパニックに拍車をかけ、言葉として聞き取れない悲鳴が建物を震動させた。

「ハッハッハ。前から怪しい動きはあったがまさかシャグラが戦争しかけるとはな。ゼダには兵器がほとんどない。今まで侵略されなかったのが不思議ってか。」
「アル、おれたちにかまわずおまえは行ってくれ。ヨルを頼む。あいつは胸くそが悪くなるほど嫌いだがこの中においていくわけにもいかねぇしな。」
シンはヨルをかつぎ、アルに手渡した。
ヨルは激しく抵抗している。
かみついたり、ひっかいたり、殴ったり蹴ったりするが、アルはびくともしない。
「ハッハッハ。こいつのお守りはごめんだぜ、シン。おれが減る。」
ヨルはアルの肩にかみついていた。
アルはヨルを返すと、ヨルの頭をなでた。
ヨルはすばやくシンにしがみついて離れない。
「かーわいいじゃねーか。ホラ。おまえと離れていたくねーんだろ。連れてってやんな。その方がおまえにとってもこいつにとってもいいこった。それとも護りきる自信がねーのか?」
「ああ。」
シンは即答した。
「ハッハッハ。おまえ変わったな。」
アルが言った。
「まぁ、なんにしろいいこった。おれはその子を連れてくつもりはねーからおまえの力で護ってやれ。いつかコンビで会いに来いよ、漫才師。ハッハッハ。」
笑い声を残してアルは離陸してしまった。
「アルのバカやろーっ」
シンの怒りの絶叫はアルには届かなかった。

「ちっくしょう。あの野郎のせいで。キバの奴会ったらぶんなぐってやる。あーっ、それにしてもおれのおひとよしめ。ほっとけばよかったのによー。くそっ。」
シンは一人でブチブチ言いながら、ヨルを連れてひとまず避難した。
爆撃の音はいつまでもやまない。
ヨルは神経をとぎすませてどんな音にでも敏感に反応した。
「ゼダはシャグラに完全になめられてるな。兵器が何もかも旧式だ。経費削減か?」
シンはヨルをなだめながら思考をはりめぐらせていた。
戦争とは原則的に大義名分のもと行われるものである。
この場合の大義名分は何か。
どうしてもしっくりくる答が思いつかない。
目的だけははっきりしている。
鉱物資源。
ついでに土地面積といったところか。
それ以外にはない。
だがそんなことで戦争にまで乗り出すだろうか。

シンの腕の中でヨルがぴくりと動いた。
「煙。」
建物の亀裂から異臭と煙が漂ってくる。
シンは服のそでで鼻と口を覆った。
「ヨル、この煙を吸うなよ。おそらく有毒だ。」
シンがヨルに注意したときにはすでに遅かった。
ヨルは自分の鼻で煙の正体を確かめていた。
………ヨルに異変はない。
「そうか、おまえ地球育ちだもんな。あの大気の中で育てばこんなもの平気か。」
シンは心から安堵した。
だが安心してもいられない。
煙はいつまでたってもいっこうにひく気配をみせない。
それどころかもわもわとたちこめてどんどん濃くなっている。
「シン。」
「シン?」
「シン!」
シンは何も言わなかった。
ピクリとも動かなかった。
意識を失っている。
呼吸と脈拍はとぎれていない。
まだ生きている。
ヨルは青ざめた顔をして放心した。
どうすればいいかわからないのだ。
こういう生き物は何匹か見てきた。
地球にいた数少ない生き物たちのうち、ヨルが見た多くはこういう状態だった。
しかしその生き物はあくまで食糧だった。
食べるためのものを、救ったことなどない。
ヨルは思った。
シンが死んでしまう。
死んでしまう。
死んでしまえば食べればいい。
今なら、シンは自分だけのものになる。
他に狙うものはいない。
食べればシンは………
ここにいるシンはいなくなる。
もうシンを見れなくなる。
食べればずっと一緒なのに、シンはもう見れない。
頭をなでてくれる手はもう動かない。
シンの声を聞くことは二度とない。

――――嫌だ。

ヨルは走り出した。
シンを助けてくれそうな人のところへ。
爆弾の雨が降り注ぐ中を。

シンを助けたい。

ヨルの頭の中にはそれしかなかった。


すぐに爆撃はやんだ。
そしてヨルは高台の上に立つ見慣れた姿を発見した。
その瞳よりも紅い、紅の大河を背負って立つその下には、多くの人々がかしずいていた。
キバはすぐにヨルに気がついた。
高台を飛び降り、片手でヨルを支える。ヨルの息はきれ、足はふらついていた。
ヨルはキバに倒れかかった。
「シン助けて。シン………。」
キバは突如凶暴な衝動にかられた。
ヨルを支えている手がくいこんでいく。
キバはヨルを死体で埋め尽くされた地面に打ち倒した。
「あいつがどうした。」
キバが聞いた。
「死んでしまう。」
ヨルが言った。
ここまで全速力で走ってきたので、立ち上がる気力もなかった。
「自分を守れないなら死ぬしかないだろう。」
キバはヨルに背中をむけ、そのまま去ろうとした。
そのとき歩きだそうと宙に浮いた足を、ヨルがつかんだ。
「シン死ぬは、いや。」
ヨルの瞳は澄んでいた。
シンを助けること。
それだけしか映っていなかった。
その瞳がどんなに心躍る戦いよりも強くキバの心を捕まえる。
その瞳でにらまれると逃げることはかなわない。
キバは自身に流れる血よりも強力な呪縛に縛られた。
その瞳に映っているのは他の男のことだけだというのに。
あきらめたようなため息をつき、キバはヨルを抱き上げた。
「おれが目の前にいるときぐらいおれを見ろ。おれの名を呼べ。」
「なまえ。」
「――キバだ。」
ヨルの瞳にキバが映った。
その映像がヨルの心まで届いたかどうかはわからないが、ヨルは言った。

「………キバ。」

キバの中に優しい感情が流れた。
がらじゃないと自分でも思ったが、ヨルをぎゅっと抱きしめたくなった。
この感情を自覚した今となっては、自分がどれほど情けない男になってしまったかもわかっている。名前を呼ばれようと呼ばれまいとどうでもいいではないか。
だが、仕方がない。
小娘にふりまわされる不愉快さをこえて、今のような優しい感情自体を悪くないと思ってしまうから、仕方がないのだ。
キバはヨルを優しく抱きしめ、シンを助けるために走った。


発展途上なうえ爆撃を受け医療器具も何もなかったが、シンは死ななかった。
介抱されてからあっという間に回復し、今ではゼダ星人の参謀として働いている。
「あのガスは兵器じゃなくて爆撃された建物から発生した都市ガスだったわけだ。死ぬことはめったにない。通常兵器として開発されたガスは吸ったら最後、治療法はなく、呼吸困難、発汗、痙攣などの諸症状を起こしてから死に至る。ガスマスクでさえもあまり役には立たない。シャグラ三惑星の一つ、シャグラ・ファーストは武器開発で有名な星だ。それが先日使用したのはただの旧式小型ミサイル。迎撃手段のないゼダ星にはこれで充分だとなめられているんだろう。ここに勝機がある。」
長いうえに訳のわからない話を聞かされて、ゼダ星人たちはうんざりしていた。
「それで、勝つにはどうする。」
ゼダ星人の長、キバが聞いた。
一番重要なのはこれなのだ。
「ほうっておいても負けはしない。だが一番手っ取り早いのは負けることだな。」
シンが言った。
「シャグラが資源めあてにゼダを狙っている以上帝国が黙っちゃいない。いろいろと妨害をしてくるだろう。だから負けはしない。しかし、もしここで負けてみると、帝国としては気が気じゃないはずだ。優れた兵器を持つ星がさらに力を手に入れることになるんだからな。帝国は本腰をあげてシャグラをなんとかしようとするだろうさ。負けたらこの星にシャグラの奴らが入ってくる。外のことは帝国にまかせておれたちはそいつらをなんとかすればいい。」
「そううまくいくか。」
ゼダ星人たちの中からつぶやきが聞こえてきた。
民族意識の強いゼダ星人、帝国出身のシンの存在をよく思わない者は多い。
彼らはシンを帝国のスパイではないかと疑っているのだった。
「このゼダ星には兵器らしい兵器もなく整った設備もない。となると残された可能性は化学兵器か生物兵器だ。経費はほとんどかからない。住宅街に残されたヘリコプターかなんかで農薬をばらまくだけで充分兵器になる。ただこれらは殺傷能力が強いうえに土地が被害を受ける可能性もある。こちらもただではすまないのであまりおすすめできない。人道上の立場からも反対だ。」
シンはひとりごとを言うかのようにつぶやいた。
「結局何が言いたい?」
キバはいいかげん腹が立っていた。
シンの言うことときたらまわりくどくてまったく結論が見えてこない。
まるで関係のない話をくどくどと説かれている気さえする。
「無能力剤ですか。」
ゼダ星人たちの中から一人の青年が立ち上がった。
青年はゼダ星人の証である艶やかな黒髪をなびかせていたが、瞳の色が真紅ではなく、海と空を混ぜたような青だった。
シンは青年の瞳の青を前にもどこかで見たことがあるような気がした。
しかし、シンはこの青年にあったことはない。おそらく何かに似ているのだろう。
「そう、催涙弾などをばらまく。」
何に似ているのかが気になって、シンはまじまじと青年を見ながら言った。
青年はなぜかシンへの敵意に燃えていた。
この青年とは確かに初対面。
身に覚えなどなかったので、シンは少々困惑した。
「しかし統率された軍隊相手に効力はあまり期待できないでしょう。シャグラの奴らがマスクを装備していたらまったくの無効だ。それに、敵の自由を奪ってからの攻撃などしたくない。」
青年はゼダ星人には珍しく、かなりの知識を持っているようだった。
「旧式とはいえ兵器を持った人間と、剣やナイフでまともにやりあえると思うのか?」
シンの言葉に青年は黙らざるをえなかった。
意見を述べるでもなくただざわめいていたゼダ星人たちもいっせいに沈黙した。
シンも、青年の言ったことももっともだと思い、口を閉じた。
静かだが今にも突き刺さってきそうな空気が肌をなぞる。
ゼダ星人の長、キバが言った。
「何をしても、勝てばそれでいい。だが面白くない戦いはごめんだ。」
こうして論議はふりだしに戻った。


「シャグラがゼダに攻撃したか。」
「ユノ様、臨時議会の知らせがきておりますが。おそらくそのシャグラとゼダの一件であると思われます。」
爆撃から約1時間。
帝国の中枢部にニュースが届いた。
帝国にとって今回の事件は一大事のはずだが、ユノは何も反応を示さなかった。
「あのうるさい議員たちのことだ。シャグラへの制裁を練るのだろう。好きにやればいいが立場上欠席するわけにもな。」
「ユノ様……ユノ様は、目的を果たされたらどうなさるおつもりです?」
カラが言った。
いつもよけいなことを言ってはユノの怒りを買うはめになるが、それでもカラの性格からして黙っていることはできない。
「何?」
案の定、カラの言葉はユノを怒らせた。
「ユノ様が……心配です。目的遂行のためなら手段を選ばないあなた様からその目的がなくなってしまえばどうなってしまうのか。やみくもに走ってきてたどりついたところで激しく後悔なさるのではないかと。」
カラのほおにはユノが投げつけたビンの切り傷が残っていた。
ワインをあびても、ビンの破片をあびても、ユノのことが心配でたまらない。
その一途さがユノの心を逆なでするのだ。
「出ていけ。」
ユノが言った。
圧倒的な気迫だった。
それでもカラは一歩も動かずにユノを見据える。
ユノは長い銀髪をなびかせて扉の反対をむき、カラを視界の外にやった。
カラはひどくつらそうな顔をしたが、いつまでたっても部屋を出ていかなかった。
やがてユノが言った。
「後悔など目的を達してからでいい。誰にも邪魔はさせぬ。私はその為だけに生きているのだから。」
「それは存じております。だから心配なのです。」
「違う。だからこそ心配は無用なのだ。それこそが私の邪魔をする。」
ユノはカラの方をむかなかった。
その理由も、カラにはわかっていた。

この方は、この方はどこまで………

「あなた様にはそれしか見えていらっしゃらない。それしかご覧になろうとしない。」
カラは泣きたくなった。
「私にはこれだけでいい。」
ユノはいつもと変わりない口調で言う。

「この帝国を崩壊させ、皇帝を破滅と絶望へ誘う。それだけが私の生きる目的。生きる意味だ。」


――――ユノの目的は今、明らかとなった。

この会話を盗聴していたラウもその意志をはっきりとさせ、もはや迷いはない。
帝国の未来が大きく変わろうとしている。
その第一歩ともいえる今、シンたちは帝国を離れ、別の事件に巻き込まれていた。

――――レンが囚われの身になっていることも知らずに。
第四章―END―
続く。
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