『白ポスト』

街の片隅にぽんと置かれたそれの意味を知ったのはいつだっただろうか。


俺は知っている。
この地区にある白ポストの鍵は毎回壊されていて、犯人は近所に住んでいる薄汚い浪人生だ。
あいつはたいてい中身が回収される二週間前くらいに行動を起こす。
つまり、それから二週間の間を狙えば漁夫の利を手にすることが出来るというわけだ。


白ポスト。

青少年の健全育成のために有害図書を回収するためのゴミ箱。


うるさい親が寝静まったのを確かめて上着を羽織り、帽子を深く被る。
静かに玄関の扉を開けると昼とは違う空気が頬をなでた。
今まで誰かに見つかったことはない。
それでも何度もあたりを気にせずにはいられず、その度に唾を飲む。
神経を張りつめさせていくうちに大きく聞こえてくる自分の呼吸が冷や汗をかかせる。
恐れているわけでもただ焦っているわけでもない。
冷や汗の横で口元がつり上がっていた。

暗闇に浮かぶ白ポストから10メートルほど離れたところで俺は足を止めた。
数回路地と家の窓を確かめて、ゆっくりと近づく。
壊れた鍵がぶら下がっている扉をそっと開けて中身を取り出し鞄に入れる、たったそれだけの作業だ。
いつも通りすぐにすむ。
俺はポストの陰にしゃがんで裏側にある小さな扉に手をのばした。

「お兄ちゃん、何してるの?」

肩が大きく震えたが声を飲み込めたのは自分でも上出来だと思った。
すぐに後ろを振り向くと、どうしてこんな時間に出歩いているのか、小学生低学年くらいの少女が俺をのぞき込んでいた。

顔を見られた。

子供は妙にものおぼえがよかったりするうえに口が軽いことが多い。
どうごまかそうかと考えながら人当たりのいい笑顔を浮かべてやる。
「そっちこそ何してるの?今は真夜中だよ。お母さんは?」
少女は小さく眉を寄せた。
「……こんな時間に外に出たことなかったんだもん。目が覚めたから、つい出てきちゃったの。」
「お母さんが心配するよ。夜は危ないからすぐ帰りなさい。」
不安そうな顔が不機嫌な顔に変わる。
「やだ!せっかく目が覚めたんだから。」
少女は絶対に帰るものかというように、よりによって白ポストにしがみついた。
馬鹿な子供は嫌いだ。
頭が痛くなりそうだ。
「ねぇ、お兄ちゃん。これポストだよね?白いのは赤いのとどう違うの?」
その顔があまりに無邪気だったので。
俺は少女を引きはがしてその両肩に手を置き、声を低くして言ってやった。

「これはポストじゃないよ。化け物が封印されているんだ。だからもう近づいちゃいけない。」

少女の喉仏が動く。
険しい顔をして唇を噛んでも、膝が震えていては意味がない。
俺は妙に愉快な気分になってつけたした。
「さっき目が覚めたと言ったね?違うな。覚まされたんだ。この中の化け物に。食べられないうちに帰りなさい。」
できるだけ不気味に見えるように微笑んで、少女に後ろを向かせる。
軽く背中を押してやればおとなしく帰るだろう。
そう思ったが、少女は前を向いたまま両手を握ってつぶやいた。

「化け物って………どんな化け物なの?お兄ちゃん。」

声が、肩が、膝が、小刻みに震えていた。
馬鹿馬鹿しいでまかせを本気で信じ、怯えている子供。
つかんでいる肩は薄くて、子供らしいスカートからのぞく足は細くて白かった。

「ば……け…ものは……、そう、女の子を食べるのが好きなんだ…。こんな狭いところに閉じこめられているから……いつもお腹をすかせている。」
あたりは暗くて静かだ。
みんな寝静まっている。
よほどのことがなければ起きてわざわざ外に出たりしないはずだ。
息苦しくて思考力を奪われそうだと思いながらもそんなことを考えた。
目の前には俺の背の半分くらいの少女。
怯える背中がひどく小さい、そんな子供。
子供なんだ。まだ……こんな…

無理やり口をふさいで押さえつけることも容易いような。

そっと、少女の足首に触れた。
「おっ、お兄ちゃん……っ。今な…にかが、触った…っ!」
肩をつかんでいた手を離したのに、後ろを振り向けないでいるようだった。
膝が大きく震えている。
いっそ舌なめずりしてやりたいところだ。
ふくらはぎから足首にかけての線を人差し指でそっとなぞってやると、少女はびくっと体をすくませた。
「…化け物はね、すぐには食べない。めったに食事ができないものだから…楽しんで食べるんだよ。」
囁いても、手のひらで足をなでさすっても、少女は悲鳴をあげようとしない。
声が出ないのかもしれなかった。
スカートに覆われた、見えない部分への侵入を、太股からじわじわと果たす。
すべすべとした感触と布一枚でへだたれた世界を征服したことが快かった。
もう一枚の布を越えるのはこの世界を存分に楽しんでから。
じんわりとした汗ばみが表しているものは恐怖か、不快か、快感か、考えるのも愉快だった。
「化け物が喜んでいる。この狭い隙間から…長い舌だけをのばして……ほら、美味しそうだって笑っているよ。」
足首から太股まで、舌をはわせて唾液の線をのばしていく。
息苦しい。
心臓の音が呼吸を奪う。
自分の荒い息を聞きながらどこかで何かが泡立っていく。
今なめているのは少女の足。
これから犯すのはこの稚い少女。
そして犯すのはまぎれもないこの俺だ。
汗が頬を伝う。
その横でやはり口元がつりあがる。
何かが爆発する秒読みが始まったようなこの快感。
さてこれからどうしてやろうか。

そのとき、バイクが通った音がした。
それは少し離れた国道を走る暴走族のもので、わざわざ騒々しい音を立てるからよく響くが、もちろんここまできたわけではない。
しかしそれだけで十分だった。

白いポストと少女、そしてその足をなめる俺。
まぎれもない、この俺。

呼吸が止まった。
息ができない。
今さらそんな風になっても、何が変わるわけでもない。

これが俺だ。

こんなものが。

「最初は…興味があっただけだ。書店じゃまだ買えないし…買えたとしてもそんなところを見られて好きに噂されるなんてごめんだったから…。最初は…そうだった。」
それだけだったのに。
白ポストから俺が得ていたものは性欲処理の道具とスリル。
守っていたものは世間体と自尊心。
そんなもののために、まだ震えている少女の足に薄い線が光る。
俺は少女の肩に軽く叩くように手を置いて、自分に振り向かせた。
少女は頬いっぱいに涙を流していた。

「……ごめん。化け物は俺で…俺は化け物なんかじゃなくて…ただの人間…最低の人間だ…。ごめん、ごめんな…」

少女は理解したのかしていないのか、俺の服をつかんでへなへなと崩れ落ち、声を大きくして泣いた。
幸い…そう、幸い、誰も起きてはこなかった。
少女の頭をなでながら後ろを振り返ると、白ポストが何くわぬ顔でたたずんでいた。
白ポストの意味を知ったのがいつだったかは忘れたが、そのとき思ったことは覚えている。

馬鹿じゃねーの?
何隠してんだよ。
やましいもんだと思うなら買うなよ。
エロ本なんてみんな普通に持ってるもんだろ?
隠すから余計見たくなるんだっての。
これだからアホptaはよー。
自分たちの勘違いに気づけよな。

今でもそう思う。
そう、思うのだけれど。

例えば性欲にまつわる様々な罪悪が箱の中に入っていたとして、
強姦から自慰まで、犯罪から小さな罪悪感まで、
本当に様々なものが箱の中に入っていたとして、
多かれ少なかれ入っていて、当たり前なのだけれども、
それでも、
最奥にあるものはそんなものであってはいけない。

「好きな人…見つけよう…俺。心から好きな人とつきあって、えっちなことたくさんしよう…。ごめんな…もう絶対しない…。」
聞こえないようにつぶやいたつもりだったが、少女が泣いて真っ赤になった顔を上げて俺をのぞきこんだ。
すすり上げては垂れる鼻水を袖になすりつけますます顔が赤くなる。
改めてよく見てみると少女は本当に幼かった。
「……お兄ちゃん…嘘…ついたの?化け物…お兄ちゃんなの…?」
頷くと、少女は困惑した表情で首を傾げた。
「じゃ、あの白いの……何?」
俺は今度こそ白ポストの本当の意味を教えてやった。

「あれは見せたくない、見られたくないと思うものを入れる箱。」

そんなものばかりを詰め込んで本当の自分を見失い、気づいたときには鍵が壊れて、わかっていたはずのものもわからなくなる、表面だけ白く塗ったただのゴミ箱。
END.
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