目隠しの詩

 目隠しの呪歌師は旅をしていた。冥府への時をたぐるため。
 赤髪の女王は恋をしていた。いつか消える命のために。

 二人の出会いは屍臭う丘の上。

「ねぇ色男さん、素敵な顎の形ね。その鬱陶しい目隠しとってみて?」
 少女が蠱惑に微笑むと、男は固い額を狭くした。
「あいにくとれないようになってるんだ。これがオレの顔なんでね」
「あら、そう言われると余計とってみたくなるものよ?」
 奇妙な少女だった。奇妙な会話だった。
 男は数ヶ月ぶりの発話を早々に切り上げようとした。
「物好きな嬢ちゃん、早くお帰り。さもなきゃみじん切りにしてしゃぶりつくぞ」
 少女は甲高い声でケラケラと笑った。
「やぁね、あたしは帰る家があるほどまともじゃないし、あなたに斬りかかるほどイカレてないわ」
 男は片方の眉を重そうに持ち上げると、すっくと立って歩き出した。
「本当はちゃんと見えてるの?」
 少女が飛び跳ねながらついてきた。
「ついてきても何もないぞ」
「あなたの背中があるじゃないの」
 まるで睦言のように、だが稚く笑いながら少女が言う。
 男は段々と、戦場に巣くうあやかしに魅入られたような気がしてきた。
 やおら足を止め、振り向くと同時に武器をかざす。
 錆び付いた果物ナイフは西日をきらりともとらえなかった。
「確かに髪は赤いけど、あたしがリンゴに見えるかしら?」
 明るい笑声が高く響く。カラスがギャアギャアと鳴きわめく。
「……おまえの髪は赤いのか」
 男の声は低くかすんで、風に踏み荒らされていく。
「『おまえ』じゃないわ。あたし、クイーンっていうの」
 男は乾いた唇を横に伸ばした。
「いい名前でしょう? この前自分で考えたのよ」
「そりゃあ素敵だ、イカレクイーン。女王様はおとなしく椅子に座ってな。リンゴのようにむかれたくなかったら」
 果物ナイフは光らない。
 少女は一歩踏み出した。
「そうね、柔らかい椅子に座りたいわ。あなたの顔を確かめてから」
 男の腕が風を切る。一振りで少女の服が地に落ちた。
「あら、大胆な人」
「切れ味はわかったろ? 次は骨まで一気にいくぞ」
 少女はきょとんと目を見開いて、親指に舌をからませた。
「いいわ。賭をしましょ? あたしが死ぬか死なないか」
「意味がない」
「いいえ、あるわ」
「ない。おまえは死ぬ」
「いいえ。だってあなたは無抵抗な者を殺せないもの」
 何匹ものカラスが舞い降り、飛び去り、次々と巣に帰っていった。立ちこめる臓物の臭いが厚みを増す。夕日が破裂しそうにふくらんで、二人の頬をとかしていた。
「クイーン、おまえは何を望む?」
「あなたと同じ道行きを」
「……オレの行く先には何もない」
「あなたの背中は魅力的よ?」
 男は深々と息を吐いた。
「オレの名前は名無し。顔無しの名無しだ」
 クイーンは鮮やかに微笑んで首を振った。
 目隠しの向こうには届かなかったけれど。

 二人が並んで歩き始めて三日がたった。
 名無しの口は貝のように閉ざされている。その分クイーンがたわいのないことで笑い、さえずる。
 行く手を確かめるときだけ顔がそろった。
「ねぇ、どうして目隠しをしたまま歩けるの?」
 クイーンは何度も聞いたが、名無しは何も答えなかった。
「とりたくなったらいつでも言って。キレイにひっぺがしたげる」
 四日目の夜、軍隊に会った。
 金色の鎧は二人を見るなり高らかに言った。
「卑しい呪歌師と女の二人連れか。女、生まれ年を言ってみろ」
 槍衾がゆらゆら揺れる。答がいくつであろうと、女は遊び殺されるのだ。
 そしてクイーンは口を開く。
「今から十五年前の夏」
 名無しの眉がぴくりと浮いた。
 太った鎧は溜息をつき、芋虫に似た指を突きつけた。
「捕らえよ、じっくり尋問してくれるわ」
 名無しは一目散に駆けだした。クイーンを置いて。槍衾の光に背を向けて。
 背後には下卑た号令だけが響いていた。

 暗い暗い夜だった。
 転がる屍を踏みしめて、名無しはどこまでも走っていく。
 どこまでも、どこまでも。そしてたどりつかなかった。
 ついに足を奪われ、地にたたきつけられて。夜の淵に一人、倒れ伏す。
 耳を覆い尽くす深いしじま。肌に染みいる冷ややかな風。
 闇の中で鳥が鳴く。
 まるで女の声のように。
 名無しは頭を抱えてうずくまった。汗ばんだ目隠しが泥にまみれた。
 夜の気配は恨みの歌のようで、それでいてひどく優しかった。
 白み始めた空に月が溶ける頃、名無しはのっそりと歩き出した。
 来た道は正確に読み取れた。
 例え目隠しをしていても。体がすべて覚えていた。
 号令の声も知っていた。いつか聞いた声だった。
 錆び付いたナイフでどうすればいいかも、名無しははっきりとわかっていた。
 それ以外のことは、何もわからなかったけれど。

 夜明けと共に踏み込んだ敵陣で、名無しはいくつもの槍をへし折った。
 断末魔の輪唱を、ことごとく生み、絶えさせた。
 跳ねる血も絶えて静まり、一面平らになった後、見つけた牢屋にクイーンがいた。
「ほら、賭はあたしの勝ち」
 名無しは何も言えなかった。
「ここから出して。牢は嫌いよ」
 何事もなかったかのようなクイーンに、一人振り回された心地がする。
 名無しはただ一つ、尋ねた。
「本当の生まれ年は?」
「今から十五年前よ」
 クイーンは穏やかに微笑んだ。
「たくさんの人に守られてきたの。ずっと同じ色の髪の誰かが立ち上がるのを待ってたの。そしたらみんな、死んじゃった。だからあたしの名前はクイーン。十五年前の赤子」
 名無しは口を開こうとした、しかし、芋虫の指が鳴った。
「う、動くな! 動くなよ! これだけの数を前にして、おまえらに命があると思うか?」
 くろがねの波がざわめく。その中でクイーンの声が歌う。
「ダグラグーン」
 それはまるで呪いの歌。
「……そんな奴は知らない」
 唇を噛む目隠しの男に、クイーンはなおも笑ってみせる。
「村の長老が大事に磨いていた石の名前よ。素敵なお顔が彫ってあったわ」
「知るものかっ!」
「こんな勝手な人だとは思わなかったけど」
 二人の様子に、取り囲む壁がぐらぐらと揺らめいた。
「な、なんだ? 逆賊の名前なんぞ出しおって。ええい、おまえたち、さっさと殺してしまえ!」
 クイーンは観劇でもするような様子で手をたたいた。
「善良な一市民が殺されちゃうわ。助けて、ダグラグーン」
「勝手な女だ」
 男はゆっくりとナイフを取り出した。
 錆び付いた鉄くずはかつての英雄の名にあまりにも不似合いだったので、壁は一気に押し迫った。
 しかし。
 紙のようにはらはらと落ちていく。
 男が腕を振る度に、はらはら、はらはらと。
 圧倒的な力の残虐。
 輝かしい英雄の名は何度も血に濡れ、地に落ちて、けれどまた舞い上がり天に去り、屍の山にすべて置いていく。
 男は投げやりに動いていた。
 少女は守るが、自分が死んでも別によかった。
 むしろ死んでやろうと思っていた。
 この上もまだ自分の名を呼ぶ、最後の一人のためくらいは。
 しかし気がついたときには、男はまたも生き残っていた。
「……クイーン、出してやる。その代わり二度とオレに近づくな」
 クイーンは言った。
「ダメよ。あたしはあなたに一目惚れしたんだから」
「茶化すな。オレは本気だ」
「ええ、もちろん」
 クイーンは炎の色をした自分の髪を軽く弾くと、胸元から小さな石を取り出した。
「いくつもの石に刻まれたあなたに惚れたの。あなたがいてくれたからこそ、あたしはクイーンなんだから。これはあたしの賭。あなたに出会うか、その前に死ぬのか。勝ったのはあたしよ。負けたのはあなた」
 身に覚えのない賭を持ち出して、さも勝ち誇ったように笑ってみせる、その、なんたる傍若無人。
「……まるで世界だ」
 男は激しく眉をひそめた。
「惚れられた者の宿命よ。いつかあたしのために死んで」

 目隠しの呪歌師は旅をしていた。冥府への時をたぐるため。
 赤髪の女王は恋をしていた。いつか消える命のために。

 そして今、檻を脱ける。
END.
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