『タイムバトル』

人生とは時間との戦いだと僕は思う。


10月1日

AM7:00 起床

いつもより30分寝坊した。
なんということだ。会社に遅れてしまう。僕の上司は5分でも遅れるとひどい嫌味を言うので有名なのだ。
朝食を取らずに家を出る。
やたらと急いだためネクタイが少し乱れていたがそんなことは気にしていられない。
途中何人かはねそうになりながら駅まで超速で自転車を飛ばした。
なんとか電車に間に合った。
……と思ったら違う路線だった。
どうやら慌てすぎたようだ。
しかしこれでは遅刻決定、嫌味決定だ。
頭を押さえため息をつくと、やけに周りの視線が痛いことに気がついた。
視線は僕の足元に集中している。
僕は恐る恐る足元に目をやった。
……ああ、頭が痛い。
僕はスリッパを履いていた。

今日の朝の勝負は僕の完敗だったようだ。


AM10:30 会議

あれからなんとか会社に出社し、嫌味の嵐をくぐり抜け無事予定の会議に出席することができたが、さっきから僕は危機にさらされていた。
腹の虫が……鳴りそうだ。
すでに小さな音で繰り返し鳴っていたが、幸い他の人には気づかれていなかった。
しかし、今少しでも気が抜ければたちまち会議室中に僕の腹の音が鳴り響いてしまう。
いや、気を抜かなくてもこのままだといつかそうなるのはわかりきっていた。
僕は蒼白になりつつもとりあえず腹をへこめてみた。
体が震えるくらいへこませると、なんとか危機から逃れられたような気がした。

ぐう。

………何故だ!ここまで腹をへこませたのにどうしてこんな音が!
僕の横に座っている人たちが横目でこっちを見る。
僕は身動きせずに無視を決め込んだ。
いかん。次が来る前になんとかしなければ。
腹をへこめても効果はないことを身をもって悟った僕は今度は腹を力の限りふくらませてみた。
またもや体が小刻みに震える。
しかしこらえなければ。ここで再び腹を鳴らせば今度こそ赤っ恥だ。

ぐうう。

僕は会議室を追い出された。

朝の負けは思いのほか響いたようだ。


PM12:30 昼食

会議室を追い出されていたおかげで購買のパンを誰よりも早く買うことができた!
焼きそばパンは人気メニューで運のいいときしか買えないのだ!
会議を終えて出てきた連中が羨ましそうな顔で僕を見る。
僕はささやかな優越感に浸った。
そんな顔で見てもこのパンは渡さない。
僕は羨望の眼差しの中で焼きそばパンを口いっぱいほおばった。
勝利の味は格別だ。

昼は僕の勝利だった。


PM8:00 デート

彼女との待ち合わせ。さすがにこのときばかりは意地でも遅れない。
僕はすでに10分前から待ち合わせ場所に立っていた。
いつもなら彼女も5分前には来るのだが、なぜか今日はきていない。

PM8:05

どうしたのだろう。すでに5分が経過した。
いつもの彼女で考えると10分も遅い。何かあったのだろうか。

PM8:10

彼女が走ってやってきた。
「ごめんなさい遅れちゃって。」などと言いながら頭を下げている。
僕は
「いいよ。確かに15分も時間を無駄にしてしまったけど君と無駄にした時間だと思えば15分くらい惜しくないよ。うん。15分で良かったよ。」
と優しく許してやった。
これが彼女でなかったらボコボコにしてやるところだ。
僕と彼女は15分遅れのデートを楽しんだ。

勝ちも負けもない、安らぎの時間というやつだ。


10月2日

AM6:30 起床

よし。今日はばっちりだ。
僕は朝食を食べた後、昨日の轍を踏まないように念入りに支度した。
昨日の敗北があまりにも見事だったため、今日は完全勝利を収めようと誓ったのだ。
僕は時間通りに電車に乗り、時間通りに会社に着いた。
途中おばあさんの手を引いて横断歩道を渡るという余裕も見せてやった。

今日の朝は完全勝利だ。よし、このままこの調子でいくぞ!


PM12:40 昼食

僕は急いで購買に行き焼きそばパンをゲットした。
二日連続で焼きそばパンを食べるのは初めての経験である。
しかしこれは運ではない。僕の努力のたまものなのだ。
僕の時間との戦いにおけるたゆまぬ努力がもたらした幸せだ。
僕は勝利の笑顔で焼きそばパンをほおばった。


PM7:50 デート

仕事もスムーズにいき今日の予定はあと彼女とのデートだけである。
僕はいつも通り10分前に待ち合わせ場所に行った。
すると、彼女がもう来て待っているではないか。
これは初めてのことだ。よほど昨日のことを反省したのだろう。
僕は微笑ましい気分で彼女に近づいた。
やはり彼女もまた時間との勝負に勝利を収めんと戦う同士の一人なのだ。
「今日はいつもより5分、昨日より20分早いね。」
僕は笑顔でそう言った。
彼女を祝福し、讃えたい気分だった。
が、彼女はうかない顔で言った。
「私達別れましょう。」
突然思ってもみなかった言葉を聞かされ僕は慌てて問いかけた。
「ど、どうしてだい?今まで三ヶ月と560時間つきあってきたのに!」
「あなたのその時間のうるささに耐えきれなくなったの。さよなら。」
彼女はそう言って僕の前から去っていった。
僕はしばしあ然とし、事態を把握するまでに3分26秒09かかった。



人生は時間との戦いだと僕は思う。



時間に操られていたときから

僕は負けていた―――。
END.
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