『日常風景』

 マサオはその光景がとても好きだった。
日当たりの良い縁側で、トメじーちゃんとトミばーちゃんが座布団に座って茶をすすりながら庭を眺めている。
老夫婦は来る日も来る日もそうしていた。
マサオは学校から帰る途中いつもその家に寄り、二人にその日の出来事などを話した。マサオが来ると二人はにこにこと優しい笑顔を浮かべ、トメじーちゃんはふかふかの座布団を、トミばーちゃんは美味しいお菓子を出してくれる。すると、マサオは嬉しくなって学校であった嬉しいこと、面白いことなどを嬉々として語り始めるのだった。
マサオはトメじーちゃんとトミばーちゃんがとても好きだった。
二人がそうしていることが、大好きだった。
変わらない日々が穏やかに続いていた。
マサオが明るい笑顔で帰ってきたときも、泣きわめきながら帰ってきたときも、老夫婦は変わらず縁側に座っていた。
マサオは何があってもこの二人だけはずっとこのまま変わらずにいるだろうとなんの根拠もなく思っていた。

 けれど、ある日いつものようにマサオが下校途中その家に寄ったとき、大きな異変が起こっていた。
トメじーちゃんが、そこにいないのだ。
縁側にはトミばーちゃんが一人日光浴している。
マサオは慌てて駆け寄り尋ねた。
「トミばーちゃん!今日はトメじーちゃんどうしたの?死んじゃったの?」
トミばーちゃんは穏やかに笑った。
「これこれ。簡単に人を殺すんじゃありませんよ。じいさんは今キクばあさんのところに行ってるだけですよ。」
マサオは安堵のため息をついたが、すぐに首を傾げた。
「なんでっ?なんで今日は他のところにいるの?」
トミばーちゃんはまたもや穏やかに笑うと、
「さあねぇ。何か約束でもしてたんですかねぇ。」
と言った。
マサオはますます首を傾げた。
「なんでばーちゃんがじーちゃんのこと知らないの?」
トミばーちゃんはゆっくりとお茶をすすった後、マサオの頭を優しくなでた。
「おばあさんはじいさんじゃないんですから、知らないことがあるのは当たり前ですよ。」
マサオはトミばーちゃんの言葉をちゃんと理解したが、なんだか釈然としないものを感じていた。
マサオにとってはトメじーちゃんとトミばーちゃんは一緒にいてそれで当たり前だった。
トメじーちゃんのことでトミばーちゃんが知らないことがあるなんて、これっぽっちも考えたことがなかった。
その日マサオは眉間に小さなしわを寄せたまま家路についた。

 「そうねぇ。あの二人が一緒にいるところしか見たことがないからそう思ったんじゃない?トメおじいちゃんとトミおばあちゃんも別々の人間なんだからそりゃあ一人違うところにいたり知らないことがあったりするわよ。」
そう言ってマサオの母は軽く笑った。
それでもマサオは納得しきれなかった。
マサオは二人を一緒の人間だと思っていたわけではない。
しかし、二人が同じ場所にいない、二人がお互いの何もかもを知らないというその事実にひどく違和感を感じたのだった。

 翌日再びその家を訪れたとき、マサオは目を見開いた。
「今日もじーちゃんいないのっ?」
「ええ。今日もキクばあさんのところに行ってますよ。」
トミばーちゃんはにこにこと微笑んでいる。
「マサオちゃんはじいさんが好きなんだねぇ。こんな可愛い子に好かれてじいさんも喜びますよ。」
そう言っていつものように茶をすすった。
途端、マサオはとても悲しくなって、とても寂しくなって、その場で大泣きしてしまった。
止まらなかった。
「あらあら、どうしたの。何をそんなに泣くの。」
トミばーちゃんが少しうろたえた様子で縁側から降り、マサオの頭をなでながら言ったが、マサオは何も言わなかった。
マサオは二人が一緒に縁側に座っている光景を見るのが大好きだった。
二人のことがとても大好きだったから。
二人が一緒にいるのがとても大好きだったから。
なのにここにトメじーちゃんはいない。
マサオは悲しくて寂しくてたまらなかった。
なのにトミばーちゃんはいつもとまるで変わらないのだ。
それにまた違和感を感じて、マサオは悲しくて寂しくて泣かずにはいられなくなった。
自分が泣いた理由にトミばーちゃんが気づいてくれなかったこともまた悲しくて寂しかった。
マサオは泣きじゃくりながら言った。
「トメじーちゃんはトミばーちゃんよりキクばーちゃんって人の方が好きなの?」
「あらあら。マサオちゃんはじいさんがいなくてそんなに寂しかったのかい?心配しなくてもじいさんはここに戻ってきますよ。」
トミばーちゃんはマサオの質問には答えなかった。
マサオはそれが妙に気になって、もう一度尋ねた。
「ねえ、そうなの?」
トミばーちゃんは困ったように笑った。
「ほらほら。おばあさんはじいさんじゃないんですよ。じいさんの考えてることなんて少ししかわかりませんよ。」
トミばーちゃんはまたマサオの頭を優しくなでたが、マサオはいっそう激しく泣き出してしまった。

 家に帰ると、マサオは真っ赤な顔のまま母親にすがりついた。
「じーちゃんがばーちゃんのこと嫌いでばーちゃんはどうでもいいんだぁぁぁっ。僕いやなのに。僕いやなのにっ。」
何がなんだかわからず目をパチクリさせたマサオの母は、マサオを落ち着かせてやっとことのあらましを理解すると、声をあげて笑いだした。
「大丈夫よ。そんな浮気問題みたいなこと言っちゃトメおじいちゃんかわいそうでしょ。心配しなくても明日くらいにはまた元通りになってるわよ。あれだけ長くつれそってたらそうそう離れられるものじゃないと思うわ。」
「?」
今度はマサオが目をパチクリさせた。
そんなにあっけらかんと「大丈夫。」と言ってしまえる理由がマサオには全然わからなかった。
それに、最後の言葉の意味がいまいちよく理解できなかった。
「長く一緒にいたら離れられないの?」
「ん〜、そう思うわよ。夫婦になって十何年とかいううちは色々あるだろうけどもうあれだけ長くなったらねぇ。」
ますます理解できなくなった。
「トメじーちゃんとトミばーちゃんが一緒にいたのは離れられないからだったの?」
マサオの母は一瞬言葉に詰まった。
そしてそれはマサオにもわかった。
「それはやっぱり好きだからじゃないかしら。」
マサオの母は言ったが、マサオは素直に受け止めることが出来なかった。

 次の日、トメじーちゃんは戻ってきていた。
いつもの縁側。いつもの位置。トミばーちゃんのすぐ横に。
それだけでマサオは大喜びした。
その日マサオはいろんな話をとてもたくさん、話し疲れて眠ってしまうまでし続けた。
トメじーちゃんがどうして戻ってきたのか。
そんなことはもうどうでもよかった。
トメじーちゃんとトミばーちゃんが二人並んでそこにいる。
その光景の前には。

 次の日も、その次の日も、またまた次の日も、トメじーちゃんはそこにいた。
もちろん、トミばーちゃんもそこにいる。
その日当たりの良い縁側に。
座布団の上に座ってお茶をすすりながら庭を眺めている。
次の日も、その次の日も、またまた次の日も。
きっと、
次の日も、その次の日も、またまた次の日も。
二人はいつもそうやってそこにいて、マサオの話を聞いてくれるに決まっているのだ。

 学校からの帰り道、今日もまたその光景を見て、マサオは満面の笑顔を浮かべた。
そして、明日もまたこの光景は変わらないだろうと、なんの根拠もなく思うのだった。
END.
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