『MOUSE』

 あるところに一匹のネズミがいた。
そのネズミは生まれつき前足を宙に置き、後ろ足二本で立っていた。
歩くときも後ろ足で二足歩行していたので、逃げ足は遅かったが、頭が良かった。
そのネズミは自分の子供にも二本足で立つようにさせた。
子供の子供も、そのまた子供も、みんな二本足で立った。
やがて前足二本を手として使うネズミが現れた。ネズミたちは道具を手にし、火を使い、言葉を操りだした。

 そして。

宇宙暦XXXX年、人類は危機にさらされていた。


 「こわいよぉ。こわいよぉ 兄ちゃん。」
泣き叫ぶことも許されず、カズシはふるえながら兄のヒサシにしがみついていた。
かみしめられた口元からうっすらと血が流れる。
ヒサシはそれを見ても何もできなかった。
「泣くなカズシ、ほら、兄ちゃんのキャラメルやるよ。」
二日前に半分だけ残しておいたキャラメルをカズシに渡し、ヒサシは深いため息をついた。
古くて暗い廃屋に逃げこんでもう三日。
カズシもヒサシもすでに限界に近づいていた。
電気もなく、食料もない。
あるのは恐怖だけで、希望さえもない。
両親の生死もわからず、大きな悲しみの中にいるのに、声をあげて泣くこともできない。
見つかったら殺されてしまうから。
奴らに。

バアァァァアンッ

 突然、ヒサシたちのすぐ横にあった壁が爆風に吹き飛ばされた。
暗かった廃屋に穴があけられ、ヒサシの顔に三日ぶりの日光が降り注ぐ。
両親が自分たちを逃がすためにおとりになったあの日以来、初めて見る光だ。
暖かい光の中、ヒサシは、悲鳴をあげるでもなく、逃げまどうでもなく、ただ考えていた。
 このおひさまは長い間僕たち人間のためにのぼっていたのに、なんでこんな奴らに横取りされちゃったんだろう。
父さんや母さんや僕とカズシの方がこんな奴らよりよっぽどエライのに、なんでこんなことされてるんだろう。
この地球は僕たち人間のためにあるのに、なんでこんな奴らが!

 「このネズミ野郎!おまえらなんかに好きにされてたまるか!僕は人間だぞ!」
ヒサシは壁をぶち壊して現れた奴らにむかって、大声で力の限りどなった。
カズシとヒサシの前に立ちはだかった奴らは、二人よりも大きくてふつうの大人くらいの背丈があった。そして全身毛むくじゃらで、チュウと鳴いた。

 それは通常人間に『ネズミ』と呼ばれている生物だった。
違うところといえばその大きさと、二本足で立っているということだけで、それはまぎれもなく『ネズミ』だった。

 二匹のネズミは翻訳機らしきものをつけ、二人にむかって言った。
「我々に降伏し、本来あるべき動物の姿として生きるならば生かしておこう。だが、もしおまえたちがあくまで『人間』として生きるならば、殺すしかない。」
「本来あるべき動物の姿って?」
カズシが聞いた。
「他の動物たちと同じように自然の一部として自然と共に生きるということだ。」
「たのしい?」
「もちろんだ。」
「じゃあ僕、そっちの方がいい。」
「バカ!カズシ!ネズミなんかの言うこと聞くな!」
ヒサシがカズシの頭を思いきりぶんなぐった。
カズシが大声で泣きわめいたが、ヒサシは気にとめずにネズミをにらみつけた。
ネズミはヒサシに聞いた。
「おまえはどうする。」
ヒサシは答えた。
「僕は人間だ。人間として生きる。ネズミなんかに生死を決められるのはごめんだ!」
ネズミはヒサシの答を聞くと、無言で銃を突きつけた。
カズシはもう一匹のネズミにどこかに連れていかれてしまっていた。
大きく鳴り響く心臓の音にかき消されたのか、すでに遠くへ行ってしまったのか、カズシの泣き声は聞こえなかった。
自分の頭に銃を突きつけているネズミを見て、ヒサシは口の中にたまっていたつばをゴクンと飲みこんだ。
覚悟を決めたのだ。
目を閉じたとき、ネズミの声がした。
「生きようと思わないのか。」
ヒサシは本物の死を目の前にして、迷わず答えた。
「人間として生きられないなら死んだ方がましだ。」
「人間と他の動物とどう違うというのだ。」
ネズミが言った。
「人間を他の動物と一緒にするな!人間はエライんだぞ!他の動物なんかにできないことをたくさんできるし、他の動物なんて人間に飼ってもらってるだけじゃないか!」
ヒサシは最期まで人間としての誇りを捨てまいと、堂々と反論した。
だが、ネズミは冷静に言った。
「おまえたちはただの『ヒト』という名の動物だ。自然から離れ、動物としての意識を捨てて『人間』になっただけだ。知識を持ったことで他の生物と比べ自分たちは偉いのだと誤解した。だから滅びるのだ。」
ヒサシにはネズミの言っていることがたわごとにしか聞こえなかった。
ヒサシは最期まで人間として行動した。
「バカなことを言うな!人間はエライんだ!特別なんだ!自分たちがエライと思いこんでるのはおまえらじゃないか!滅びるのはおまえらだ!」

ズドンッ

 ヒサシの体が地面に転がった。
ヒサシはもう何も言わなかった。暖かいおひさまに照らされながら、ヒサシは冷たくなっていった。
 おひさまはネズミも照らしていた。
ネズミはヒサシの脈を調べると、静かにつぶやいた。

 「我々はおまえたちのようにはならん。我々はおまえたちがくり返してきた過ちをすべて見てきたのだからな。」

 「ねぇ、父ちゃんと母ちゃんと兄ちゃんはー?」
どこまでも続く広い草原の中、カズシはうれしそうに問いかけた。
カズシは今まで草原を見たことがなかった。
何世紀も前に人間たちが大地をコンクリートやアスファルトで覆ってしまったので、地球上に草原というものが存在しなかったのだ。
だが、今やこの地球上の半分は大草原になってしまっている。
ネズミたちの努力の結果だった。
「ねぇってば、僕ここをみんなに見せてやるんだ。どこにいるのか教えてよ。」
「そのうち来るよ。いいから遊んでなさい。ほら、ウサギが呼んでるよ。」
カズシに話しかけられたネズミは、一匹の白ウサギを指さした。
「あ、ホントだ。一緒にごはん食べよって言ってる。」
カズシは喜んで走っていった。


 カズシの父も母も兄も、もういない。
 彼らは人間として生き、人間として死んだ。
 もはや彼らが『ヒト』として生きることは不可能だったのだ。


 「あーあー。あんなに走って。大丈夫かな?肉食獣にあわなきゃいいが。でもよかったよ。あの子供が白ウサギと仲良くなって。もう家族はいないからなぁ。近いうちにメスを連れてきてあげよう。」
白ウサギとたわむれるカズシを見て、ネズミは優しくほほえんだ。
 空にはおひさまがさんさんと輝いていた。



それから二年後、人類は絶滅する。

そして代わりに、

『ヒト』という種が誕生した。
END.
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