『女神と死神』

THE ETERNAL RUNAWAY 番外編

死なないから生きている。
することもないから従っている。
命令されたから殺す。

ただそれだけだ。

人間の体は呆れるほどもろくて、裂くと赤い色水が出る。
その水の名も、今はもう忘れてしまった―――。


 物心ついた頃から少年は生きてはいなかった。
何も感じず、何も望まず、それに疑問さえ抱かない。
最高の資質だと、誰かが言った。

 「020181番、仕事だ。」

 少年、020181番は教官の言葉にこくりとうなずいた。
時期的にそろそろ来るだろうとあらかじめ予測していたのですでに準備は万全だった。黒い手袋をはめ、『外』用の服の襟を正す。訓練期間中のマシンならここで指が震えたり汗をかいたりするものだが、そのような様子はまったくない。それもそのはずである。彼はこの暗殺者養成組織で五指に入る優秀なマシンなのだから。もっとも、彼は初仕事の時でさえこうであったが。
教官から標的の情報と武器を与えられ、警備員に導かれるままエレベーターに乗って屋上に出る。地下と屋上の間は一般のホテルなので直通であっというまだ。蛍光灯の光の中から突然日光の下に出るとやはりまぶしい。少年は目をくらませながら「同じ光なのにどうしてここまで違うのか。」とそんなことを考えていた。
「何を考えている。」
ヘリコプターの前で少年を待っていたスーツ姿の教官がその表情を読みとって尋ねた。
「日がまぶしい。」
少年は面倒くさそうに口をきく。
そもそも話すこと自体があまりないのだ。話しかけることもなければ話しかけられることもない。組織の中ではそれで当然なのだが、この教官だけは別だった。
「ふっ、そんなことか。おれもおまえがしくじるなどとは思っていないが……随分と余裕を見せる。どうやらおまえはおれが見込んだ通りのマシンに育ってくれたようだな。」
少年はそれ以上会話をする気もなく、教官に好きなだけ喋らせておいた。
彼には耳に入れた言葉から感情が生まれるということがないのだ。同時に目に映った光景から感情が生まれることもない。
何度その目に死を見ようと。

 標的の居場所に着くと少年はすぐさまガードマンを二人始末した。
声をあげられる前に頸動脈から喉笛へナイフを走らせたため、静寂の中液体が飛び散る音だけがうるさかった。
標的は要塞に立てこもっていた。最新警備システムと腕利きのガードマンで固めた大邸宅。入り込むだけでも不可能とされる難攻不落の城だが、人間がいる限り絶対ではあり得ない。少年はあらかじめ入り込んでいた連絡員の手引きにより簡単に侵入を果たした。
後は標的を見つけるだけだが、それもだいたいの見当はついている。少年は連絡員から伝えられた部屋の上の部屋に潜んだ。情報では標的はこの時間いつも窓辺に座って外を眺めているという。
少年は窓を開けて下を見た。てっきり閉まっていると思っていた下の窓は無防備なまでに開け放たれていた。どうやら窓枠にひじをついているらしい。長くはないが短くもない髪が風に誘われているのが見える。
少年はナイフを握り、窓枠に足をかけた。
突如として現れた刺客に標的は声を出すまもなく死ぬ。
はずだった。

 「おい、人を訪ねる時に窓から入ってくるのがおまえの礼儀なのか?」

少年は制止した。冷静に判断し、標的が窓から顔を出して上を見上げるのを待つことにした。だがそれも読まれていた。
「それならそれでもいいだろう。とにかく来るならさっさとここに来い。いつまで待っても私が窓から顔を出すことはないぞ。」
少年は少なからず困惑した。今までこんな事はなかった。気配を悟られること自体あり得なかったし、死の可能性を突きつけられた人間は驚愕し、戦慄するかあるいはその前一瞬のうちに命を落とした。なのに今初めて少年の気配を事前に察知した標的の声はかすれもせず震えもせずむしろからかいを含んだような調子で少年の心を揺るがせる。
戸惑い。そしてそれは同時に興味だった。

「ふん、子供の刺客か。」
少年は標的の姿を正面から捕らえてしばし唖然とした。
情報の一部として顔は写真で知っていた。大人びた瞳の、しかしまだ全体的にあどけなさを残した少女だ。だが今目の前にいるのは少女と言うよりは童女、いや、幼女と言った方がいいかもしれない。少年のことを子供と言っておきながら自分はその半分の背丈もないような女の子だった。
「刺客は珍しくもないがおまえは珍しいな。」
少女は淡々と妙なことを言った。
少年はいつもと同じように何も言わなかった。しかしその理由はいつもとは違っていた。何を言ったらいいのかわからず何も言えなかった。

「今までの奴らとは違ったところで壊れている。」

少女は興味深そうに少年の瞳をのぞき込んだ。
少年は動揺した。困惑も興味も動揺も経験のなかった少年にはすべて未知なる怪物であり、少年は非常事態への対処を一つしか学ばなかった。
少年はナイフで少女の上に弧を描いた。
「どうした、腕に戸惑いが見えるぞ。こんなに浅い振りで人が殺せるか。」
少女は少し身を引いて軽くよけた。
「おまえはおかしい。」
少年はナイフを下ろさず切っ先を少女に向ける。
「ははは。面白いことを言うな。まともな奴がこの世にいたらそいつこそがおかしいと思わないか。」
少女は呆れるほどに無防備だ。イスに寄りかかり頬杖をついていて、少年が本気で殺しにかかれば避ける術はない。その不自然さが恐ろしかった。少年は少女をにらみつけながらも間合いを詰める一歩を踏み込めずにいた。
「言っておくが私は殺されてやる気はない。特におまえのような人間に殺されるのはごめんだ。」
少年はわずかに眉をひそめた。

「おまえ、生きていないだろう?」

少女は幼い顔に似合わぬ艶容な微笑を浮かべた。
「生きていない人間が生きている人間を殺すのか。命の意味も知らないくせに。」
少女は強かった。小さく華奢な体に命がみなぎっていた。少年は思わず目を閉じた。
「……太陽があんなにもまぶしいわけがわかった気がする。」
どこか自嘲めいた感じでつぶやくとナイフを懐に戻し数歩後ずさる。
少年は初めて人を殺す気になれなくなっていた。
それが何故なのかは、まだ自分でも整理のつかない感情であったが。
少女はさっきまでナイフが握られていた少年の手を臆すことなくつかんだ。
「待て。おまえが気に入ったぞ。私の側にいる気はないか?いつ寝首をかこうとしてもいい。」
少女の不敵な発言に少年は眉間にしわを寄せた。
まるで何を考えているのかわからない。
しかし不思議と少年の心はすぐに決まった。
「わかった。だがおれが裏切れば組織が追っ手をよこす。」
「それは心配無用だ。この屋敷におまえを手引きしたスパイがいたようにこちらもちゃんと送り込んである。」
少年は耳を疑った。
吸いこまれるように見つめ合うと、少女が唇の端をつり上げた。
「私を甘く見るなよ。だてに命を狙われてるわけじゃない。おまえがどこの刺客養成組織の者かなど容易に調べがつくし敵以上の攻撃を仕掛けることくらいいつでもできる。」
「……人間に頼っていると思わぬ穴が開くぞ。」
少年は押されつつも一矢報いるつもりで言った。
少女は無邪気に微笑む。
「とんでもない。送り込んだのはコンピューターウィルスだ。」
その笑顔はあまりにも無邪気すぎて少年は寒気を覚えた。
「で、おまえの名前は何だ。」
「ない。おれは生まれてすぐ捨てられ組織に拾われた。マシンナンバーは020181番だ。」
少女はおかしそうに笑い出した。
少年は首を傾げる。
「偶然だな。私もない。」
「『アジル・ジェイル』という名だと聞いた。」
「それは偽装戸籍の名だ。ちなみに裏世界でのコードネームは『マリア』。本名はない。親がつけなかったからな。いつのまにか裏世界の人間が私を『マリア』と呼ぶようになっていた。言うなればこれが私の本名か。おまえに名がないのなら私が決めてもいいか?」
「好きにしろ。」
少年は考えもせずにうなずいた。
「……『ユダ』。」
「裏切り者か。」
「それはおまえ次第だろう。裏世界のマリアの側にいる人間がキリストじゃ困る。」
「もっともだ。」
少年はほんの少し頬の筋肉をゆるませた。
自分でも気がつかないうちに。ほんの少しだけ。


 それから半年間、人間の名前をもらったユダはマリアの側で毎日を過ごした。その間刺客やスパイはマリアの言葉通りしょっちゅう襲ってきたがその度にユダが一掃した。ユダは寝首をかくどころかマリアの腹心とも言っていい存在になっていた。
半年―――、一日一日を思えば短くもないこの時間。
いつでも、どんなときでも、マリアは強く前を見つめていた。ユダはその強さがどこから来るのか、ただそれを知りたい一心で仕えていた。


 ユダは胃のむかつきをこらえながらマリアの元へと急いでいた。
訓練によりある程度の耐性ができているとはいっても多少の症状は襲ってくる。あちこちから使用人やガードマンの苦しげなうめき声が聞こえる中ユダは重い体を引きずるようにして走った。暗殺者をいくら送っても成果が得られないことを悟った敵が方法を変えてきたのだった。
水に毒が含まれている。
早くマリアにこのことを伝えなければならない。
長い廊下をなかば朦朧とした意識で走り抜け部屋の前までたどり着いたとき、ユダの脳裏に一つの可能性が浮かんだ。
今この屋敷内で自由に動けているものはおそらく自分一人であろう。そんな自分の言葉を信用するだろうか。毒を盛った本人であると思われるのが普通ではないだろうか。
しかしユダは頭によぎった可能性について思い悩む前に扉を開けた。
事態はそれどころではないのだ。マリアが死ぬかもしれないと思えばそんなことで悩んでいる暇はなかった。
マリアの顔を見た瞬間、ユダは言葉を失った。

いつも前をしっかりと見つめている強い瞳。
その瞳から、大粒の涙がこぼれていたのだ。

「ユダか、さすがだな。屋敷の人間のほとんどが死んだか瀕死の状態だというのにおまえには効かなかったのか。」
マリアは顔の表面に笑いを浮かべたがその拳は痛いほどに握られていた。煮えたぎるマグマが一番効果的に噴き出せる機をうかがっているような、静かな怒り。涙を流していてもその身を覆う生命力は少しも失われてはいない。
ユダは涙のわけを無言で尋ねた。
「私の命を狙っているのが父だということはもう何年も前から知っていた。」
ユダは目を見開いた。マシンに与えられる情報は標的のデータだけであり、依頼主のことはまったく教えられないためユダは自分を雇った人間のことを知らなかったのだ。
「無理もない。この巨大な地下組織(シンジケート)を継ぐ者として祖父が選んだのは父ではなく私だったのだから。今までは、そう思ってきた。」
マリアは奥歯を砕かんばかりに噛みしめた。
「だがそれもここまでだ。祖父の後継として、私が責任をとって始末をつけねばならない。」
マリアの頬は涙に濡れている。握りしめられた小さな拳は震え、白く染まっている。しかし、それでもマリアは強さを失ってはいない。
その幼い体からあふれる力はユダを圧倒した。
「教えてくれ。何故おまえはそんなにも生きている。」
心底知りたいと思った。興味を越えたそれはもはや願いに近かった。

「命がある。私は私としてここにいる。生きられない理由がどこにある。」

マリアの瞳は痛いほどにまぶしくて、ユダは顔をゆがめた。
「おまえをおまえとしているものは一体なんだ。」
マリアは口元にほんの少し微笑みを浮かべて言った。
「おまえはおまえがなんであるかを他に決めてもらわないと生きられないのか?考えても答の出ないことを他に聞くのはやめてしまえ。わからないことも、持っていないものも、生きて知れ。」
「だがおれは!」
「おまえももう生きている。生きていない奴がそんなことを聞くものか。私の答が納得いかないのならおまえ自身が探せばいい。生きるとはそもそもそういうものだろう?」
ユダはマリアの顔を見つめたまま立ちつくしていた。長い間風の通り道になっていた穴がようやく埋められたようなそんな感覚を感じながらユダは目を閉じた。


 「私は上に立つ者としてあなたに制裁を下す。」
マリアは実の父に徹底して冷酷だった。銃を握るその手に戸惑いはなく、引き金にかけられた指は秒読みも必要としていない。
マリアの父はこめかみに銃を突きつけられた状況でありながら泰然とした態度で言った。
「随分と生意気な娘に育ったものだ。しかし私を殺していいのかな?あいつの居場所は私しか知らないというのに。」
「別に。今さら見つけて何になる。あなたが思っているほど私は情にもろくはない。」
マリアは表情をピクリとも動かさない。
「いや、それは嘘だね。おまえは甘い。甘すぎる。裏の世界の支配者になるには器が小さい。おまえがおとなしく後継の地位を受け入れたのも組織の情報網を利用してあいつを捜すためだろう?私はそれを思うとどうにも腹立たしいのだよ。」
「もう黙れ。どのみちあなたはここで死ぬ。」
マリアは引き金を引いた。
が、突然の横からの衝撃によって狙いははずれ、的はそのすきを逃すまいと反対側に飛び退いた。
そこをナイフが鋭く切り裂く。
「ユダ!余計なことをするな!」
マリアの声が響いたときには、的はすでに肉塊だった。
「あいつは私がこの手で殺さなければいけなかったんだ!何故殺した!」
マリアは烈火のごとく怒り猛った。
だがその目尻にはうっすらと涙がにじんでいる。
ユダは跪き、血に濡れていない方の手でマリアの手を取った。
「思い出した。人を裂いたら流れるものは血だ。血液があふれ出し、やがて心臓が止まり、命が消える。存在が消える。存在を存在として造っていたすべてが消える。」
「それがどうした!決意したときからそんなことは覚悟の上だ!」
マリアは声を張りあげた。
ユダは動じず、ゆっくりと語る。
「おまえという存在に血をしみこませたくなかった。例えどんな理由があろうと、この手が血に染まらないよう、これからはおれが代わりに血を浴びよう。」
白い小さな手を、ユダは本当にそっと、力を込めずに包んだ。ユダの手の甲には返り血が点々と着いている。マリアは振り払わず、その手をしっかりと握りしめた。
「やめろ。その優しさは痛い。それは優しさじゃない。私を甘やかすな。私が流さなければならなかった血は私が浴びるべきだ。あいつは私の手で殺さなければいけなかった。この件に関して私はおまえを許さない。」
ユダの手に雫が落ちた。透明な涙は乾きかけていた血をにじませ、薄い赤に溶けた。
「だからおまえはもう私のために人を殺すな。私は人を殺さず生きていくと、今決めたから。」
マリアは濡れそぼったまぶたを閉じた。
ユダは体の震えを必死に抑え込もうと固く目を閉じるマリアを見て、ようやくマリアがまだ稚い少女であったことを思い出した。ユダの手で簡単に包み込める小さな手。涙に濡れる幼い顔。か弱く、幼い体。なのに、少女は感情を制御しようと身を強ばらせている。一般家庭の子供をユダは知らないが、どう考えてもマリアは子供としておかしかった。
ユダは知らず顔を曇らせ、少しでも早くマリアが安心できるようマリアの手をぎゅっと握り返した。
「……私の側には人がいない。ユダ、おまえは私の側にいろ。」
ユダは驚いた。
マリアが弱音をもらすとは思いもしなかった。ほんのついさっきまではかいま見ることさえなかったのだ。
この強く美しい少女を、ユダは自分の運命に選んだ。

「命にかけて誓う……必要はない。おれはおまえの側にいないと生き方を忘れるだろう。」

マリアは目を見開いて自嘲するかのように笑った。
「私は別に何もしていない。私に跪くな。薄っぺらな義務で作られた忠誠心などに用はない。私の側にいてくれるなら、私の横に立て。」
ユダはマリアの手を握りしめたまま、立たなかった。
「……おれは、きっと今、おまえに生かされている。おまえの強さはおれにはまぶしい。横に立てるとは思わない。」
いっそ縛ってほしいと思う。
と、ユダは思ったがそこまでは口に出さなかった。
もしかしたらもう随分と長い間探し続けていたかもしれない光。
『救い』はマリアだったが、マリアは『救い』ではないのだ。
『救い』に救われたのではない、マリアだからこそ救われたのだと、ユダはわかっていたつもりだった。
「ふん、おまえには私が何に見えているんだ。私は私だ。おまえより幼く力も弱い小娘だ。例え取り巻くものが何だったとしても、私は私だ。」
「マリア……」
「ほう、初めて名前を呼んだな。」
ユダは言われて初めて気がついた。
「もっと私の名前を呼べ。今のように尊称なしで。そして私の横に立て。この馬鹿馬鹿しいほどに形骸化している組織の中で、おまえだからこそ私はそれを許すだろう。」
マリアは不敵に笑い、胸元から銀色に輝く十字架を取り出した。
無雑作にユダに投げ渡す。
「おまえにやる。私の母が生まれてすぐの私に持たせた十字架だ。本来ならそれに名前を刻むはずだったらしいが……事情があってな、成長してから自分で名を刻んだ。」
十字架はかなり上等なものであることが素人目にも見てとれた。十字架の裏にはしっかりとマリアの名が刻み込まれている。
ユダはマリアの表情を窺うように見た。
「私の横に立つ者に持っていてほしいものだ。立たないのなら返せ。」
ユダはゆっくりと立ち上がった。マリアの心に応えたいという思いもあったが、それよりも十字架を手にしたかった。ユダは細い銀の鎖を首にかけ、十字架を胸元にぶら下げた。
「ははは、かけなくてもいいぞ。ただ、持っていてくれ。私が目的を果たす日まで。」
マリアは優しく微笑んだ。嘲りを含まない柔らかな笑顔。
ユダは初めて見るその表情にうろたえながら、ごまかすように先ほどの会話を思い出した。
「誰かを捜しているのか。」
「誰かを、か。まあな……。」
マリアの答はどこか曖昧ではっきりとしない。
ユダは少し眉をひそめたが、十字架を握りしめすぐに元の表情に戻った。
銀の鎖がシャラシャラと音を立て心地よく耳に響く。マリアの名が刻まれた十字架は『ユダ』には不似合いかもしれなかったが、だからこそ自分にふさわしいとユダは思った。

これは、束縛だ。この世で何より甘美な束縛だ。
強い光も無限の闇を照らすことは出来ない。永遠に自分のものにすることはできないのだとわかっている光なら、無理に奪おうとは思わない。じっと見つめ、まぶしさに焼かれながら縛られていたい。
そしておれは救いほしさにマリアの信頼を手酷く裏切るのだ。

つくづく救われない奴だと、ユダは自分で自分を嘲った。
これではますますマリアの横に立つことなど出来ないと。
そう思いながらユダはひどく穏やかな顔でマリアを見つめていた。


愛などと、そんななまやさしいものじゃない。
ただの飢えだ。渇望だ。
おれの心は人として重要な何かが欠落している。
その欠落をただ一人、マリアだけが埋められる。

それは自分勝手な自己満足。
だからユダはマリアに何も望まない。
ただ、銀の鎖が十字架の重みにシャラシャラと揺れるだけ―――。


 かくして少年は少女に出会った。
無明の闇の中から死神が見た太陽よりもまぶしいもの、
触れがたいまでの強く美しい光。


その名は女神(マリア)―――。
END.
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