『これから。』

気になる人がいます。
ずっと…今も気になり続けている人です。
恋だとは、思いません。
思わないようにしています。
だって、こんな私じゃ…どうしようもないから。


 その人はいつも窓から外を見ていました。
まるで教室のすべてのことに感心がないかのようにみんなに背中を向けていました。
私は教室の真ん中で雑音に囲まれながらいつもその人の背中を見ていました。
本当に見たかったのは背中じゃなくて瞳。
その人がどんな瞳で外を見ているのか…それが知りたかったのだけれど、私にはみんなに気づかれないようこっそり背中を見るのが精一杯でした。

瞳を見てみたい。
正面から向かい合いたい。
言葉を交わしてみたい。

その人の背中にいろんな思いを描きながらも、私にはそれらを実行する気はまったくありませんでした。
私は自分のことをよく知っています。
美人じゃなくて、頭もそれほどよくないし、面白い話の一つもできません。スタイルも悪くて、胸より下腹の方が出ていたりします。お風呂に入るときなど絶対に鏡の前で横を向けません。運動神経も無きに等しいし、女の子らしいことの一つもできないし、性格だってうじ虫です。
こんな私が他人に好きになってもらえるはずがないのです。

瞳を見てみたい。
正面から向かい合いたい。
言葉を交わしてみたい。

それでも、背中だけで十分でした。
その人の背中はただそこにあるだけで、私を好きになってはくれないけれど嫌いになることもなかったから。
この想いは、恋ではないのです。
だからそれで十分でした。
きっと卒業するまで、卒業した後も、私とその人が視線と背中以上の関係になることはないでしょう。
そうわかっていました。

 なのに、ある日急な変化が起こりました。
夏休み明け第一日目。始業式の日のことです。
その日その人はいつもより少し早めに登校して、少し乱暴にいつもの席に座りました。
私はすぐにその人の変化に気がつきました。
その人はもう外を見なくなっていたのです。
今までとは違って教室の内側に向けられているその眼差しに、私は思わずドキリとしました。
顔が赤くなったのがわかりました。

お願いですから私の方を見ませんように。
お願いですから気がつかれませんように。

私は何度も心の中で唱えました。
結局その日、私はその人の背中を見ることができませんでした。
あれからずっと顔をあげられずにいましたから。
それでも私にはわかっていたのです。
もし顔をあげられていても、その人の背中はきっと見れなかったと。
私の心はざわめきました。

何があったんだろう。
どうしたんだろう。

聞きたい。と思いました。
けれど話しかけられるわけがありません。
私は自分の性格を呪わしく思いながら学校を出ました。
すると、校門のところで偶然その人に出会ったのです。
私はとても驚いて思わず声をあげてしまいました。
その人は私のその様子に驚いたようで、とまどいの表情を浮かべながらも「どうしたの?」と聞いてきました。
たったそれだけで、私の頭はさらに混乱してもう一度声をあげてしまいました。
私は慌ててしゃべりました。
その人のことを考えていたところにちょうどバッタリ出会ったのでとても驚いたこと。
いつも窓の外を見ていた様子がクラスの中でなんだか異質に見えて気になっていたこと。
普段なら絶対に言えないようなことを、勢いと混乱に任せてベラベラしゃべっていました。
そして決死の思いで尋ねたのです。
「何があったの?」と。
その人は一瞬困ったような顔をして「まいったな。」とでも言うように頭をかき、照れくさそうに話し始めました。
その人は今までどうしても他人を信じられなかったそうです。クラスの人をいつも少し見下していて、自分はみんなとは違うんだと、違っていたいと、強く思っていたそうです。
けれどその人はその裏でちゃんと自分の弱さを見つめていたのです。
自分がそれほど張りつめていたのは余裕がなかったからだとその人は言いました。
今までの自分はきっと誰よりも弱かったのだろうとその人は言いました。

私はあの言葉を絶対に忘れません。

「たぶん誰でも弱さを抱えて生きてるんだけど、オレはそれを認めたくなかった。認めることさえも怖かった。でもやっとそのことに気づくことができたんだ。今はまだ気がついただけだけど、今まではそんなこと思いもせずにただ目をそらして逃げているだけだったから。これから……オレはこれから……自分の弱さをしっかりと受け止めたうえで歩いていけるやつになるんだ。」

これから。

誰でも弱さを抱えて生きているけど目をそらさずに受け止めて。

これから。

前を向いて歩いていける人間に。

これから。
 

「なりたい。」ではなく「なる。」と言ったその人の顔を、私は絶対に忘れません。

それからその人は「はは、何言ってんだオレ。」とか「悪い。ちょっと自分の意気込みを誰かに聞いてほしかったのかも。」とか言って恥ずかしそうに走っていったけれど、私はその場から一歩も動けませんでした。

なんてすごい人なんだろう。
なんて……なんて……

私は自分のことが情けなくてたまらなくなりました。
元々自分のことは大がつくほど嫌いでしたが、ますます嫌になりました。
そして、そうやって自分のことを嫌いになるしかない自分自身がさらに嫌でした。

どうして私はこうなんだろう。
もっといい人間に生まれてきたかった。
せめてもう少しだけでも自分に自信が持てるような人間に生まれてきたかった。
どうして私はこんなやつになってしまったんだろう。
私は情けなくて、私は惨めで、私は取るに足らない存在で、私はちんけで、私は弱くて…

私は目を見開きました。
頭の中にさっきの言葉がよぎったのです。

これから。


みんな弱さを抱えて生きてる。それは重くて、時につぶされそうになったりして、でも受け止めてなお前を見つめて歩いていける自分に……

これから。


今までずっとズッシリのしかかっていた物が急に軽くなったわけじゃない。やっぱり自分のことを好きになんてなれないしこれからもなれるとは思えない。それでも。

これから。

少しずつ歩いていけばいいとその人は教えてくれたから。

その言葉を胸に、今この手紙を書いています。


私に大切な言葉をくれた
あなたのことが好きです。

恋だとは、思いません。
思わないようにしています。
だって、こんな私じゃ…どうしようもないから。

でも。

これから。

少しずつ少しずつ…
少しずつだけど、

自分の弱さをしっかり受け止めて歩いていけるやつになります。

今はただ

あなたのことが好きです。

でも。

これから。

少しずつ少しずつ…
少しずつだけど、

とりあえずは
この手紙を出したときから…


私はあなたに恋しています。
END.
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