『晴れた日も悪くない』

人類は地球で生まれたんだ。
だからやがて俺達は…絶対に、地球に還るんだ…。


漆黒の宇宙に浮かぶ青い星の写真をいつも持ち歩いている男だった。
その口癖は少しでもつきあいのあった人間なら耳にたこが所狭しとできていた。
死ぬまでに必ず地球の大地を踏む。
そして願わくば、その青空の下で死にたいのだと、未だ見たことのない色を心に描き、極上の夢を見る瞳で笑っていた。

その知らせを受け取ったのは三ヶ月前。
もう、三ヶ月も、前。

青い星で死ぬはずの男は、狭い宇宙船の中で。
青い空を映すはずの瞳は、見開かれたまま、何も映さず。
最後まで、苦しみもがいた様子で。
あれほど思い描いていた夢を置き去りにして逝ってしまった。

置いていかれたと、思っていた。
今日、この日までは。


ロバートの魂は誰も見たことのない宇宙の果てまで飛び去ってしまった。
……ような気がした。
「……失礼、エマーソン博士、博士の頬肉をつねってみてもよろしいでしょうか?」
そう言いながらちらりとも視線を動かすことができず、頭の中で必死に魂の緒をたぐり寄せる。
「つねっても殴っても良いが、自分のにしたまえ。もっとも、痛いに決まっておるがね。」
笑いを噛み殺したような声を遠くで聞きながら、ロバートは自分の頬をなぞった。
わずかに剃り残したひげがちくちくと、嘲るように指先をいたぶる。
夢ではない。
実証されても、信じられない。
「なんだ、つねらんのかね。仕方がない。私がつねってやろう。」
すっとのびてきた手をつかみ取り、無性に残念そうな舌打ちを聞きながら、ようやくその名を口にした。
「………ダイン?」
メットで顔を覆っているが、そんなことで間違えるはずもない。
そこに立っているのは、紛れもなく。
「エドだ。」
ヘルメットの中でこもった声が聞こえた。
いつもいつも弾ませて、地球について語っていた、まったく同じ響き。
「何言ってるんだこのボケが!おまえってやつは、こんな時までふざけやがってっ!私がそういう冗談が嫌いだと知っててやるんだからな!何故、何故連絡をよこさなかった!生きていたなら……っ!いや、私は確かにおまえの死体を………話してもらうからな!どういうことなのか、一切合切!面倒がるなよ!その後で今度こそ、今度こそ約束を果たしてやる…っ」
もう止まらなくなってしまったロバートを、親友というよりは悪友という言葉が似つかわしい目の前の大男が、まったく悪びれない様子で口ばかりの謝罪をしながら笑い飛ばす。
いつだってそうだった。
いつだって、どんなときだって、何をしでかしたって。
なのに。
男は何も語らず、代わりに両眉でひどく急カーブな八の字を描いた博士が頭を下げた。
「…すまない、ロバート君。君の気持ちをもっと考えるべきだった。彼はダインではない、エドなのだよ…。」
眦に滲んでいたしずくの温度が急速に下がった気がした。
魂は再び吹っ飛ばされたが、今度は宇宙の果てではない。一瞬にして息がしにくくなったこの狭苦しい空間のどこかに漂っている。だがもうたぐり寄せる気にはならなかった。
ロバートの冷静な頭は説明を求めていた。
ロバートの正直な耳は続きを拒否した。
「…じいさん、あんたこの空気どうすんだぁ?俺もう帰りてぇんだけど。俺の深刻ムード耐性装置はこのあたりが限界なのよ。限界越えっとポクリと逝くからマジで勘弁。じゃ後ヨロシクなっ!」
それでも鼓膜に届いた声は、深刻だと言いながらちっとも深刻そうでなく、まったく悪びれる様子もなくこの場からの脱出を宣言する、やはり紛れもない、悪友のものだった。
「…博士、こいつと一緒になって私をからかっているのですか。」
背中を向けられた途端その襟首を引っ捕らえ、抑えられない怒りをこめて言う。
「そうだったらよかったんだが、そうではない。彼はエド。開発中のアンドロイドにダインの脳を埋め込んだ…サイボーグとでも言おうか、とにかく…ダインではない。人工脳とダインの脳をそっくり入れ替えたんだが、どういうわけかアンドロイドの時の記憶が消えておらんでな、むしろダインの方の記憶を失っておる。」
不覚なことに、ロバートの怒りは血の気と共にひいてしまった。
残ったのは驚愕ばかりだった。
「……な、ぜ……」
知らず漏れ出ていたうめきに、エマーソン博士はハンカチを取り出して冷や汗をぬぐった。
「…上部からの、命令でな。ダインを今失うわけにはと…。」
ロバートは悪友であり悪友でないその男を捕らえている指を、そっと離した。
自分の胸ぐらをわしづかみ、上半身の重さに負けて、腰をかがめる。
「……それで君には…エドに、ダインと同じように接してもらいたいのだよ。元々がレスキュー用アンドロイドだからか仕事に関する判断能力、身体能力などは引き出せるようなのだが…それ以外のこと…自分のことも、君のことも、まったく覚えておらんのだ。人の命を守る仕事だ。万が一影響してはならんと、…自分のことだけでもいい、思い出させてほしいのだ。…君には…酷だが……研究班全員からのお願いだ。」
「じいさんよぉ〜〜酷とか言うならやめてやれよ。この兄ちゃん可哀想じゃねぇか。この俺様でもハートがざっくざくきてんのにあんた鬼かよぉ。オリジナルのことをこぉ〜んなに愛してくれちゃってるんだぜ?そっとしといてやりてぇよ。他あたろ。他。な!もう俺ポックリ秒読み開始だから!」
嘘だろう。
気まずい時に後頭部に手をやる癖。
ヘルメットさえなければそのぼさぼさ頭をボリボリ音が聞こえてきそうなくらい掻くって、わかっているんだぞ。
TPO知らずのおちゃらけぶり。
深刻な雰囲気を察していながらおまえというやつは一言も二言も余計でさらにその全部がふざけているようにしか聞こえないんだ。
でかい図体に似合わず実は情に脆いところも、こんなに、こんなにも、変わっていないのに。
嘘だ、
嘘に決まっている。
気持ちをマルでくくったところで、ロバートの魂は舞い戻った。
「…オリジナルとか言うな。」
上半身を起こしながら、高いところから見下ろしている顔を見上げた。
「に、兄ちゃん、すっげー三白眼のやったら怖い目になってんぞ。」
エドは思わず怯んでエマーソン博士の白衣をつかんだが、博士こそが何かにすがりつきたかった。
「兄ちゃんではない。私はロバート。おまえの…親友…?いや、腐れ縁だ。」
「ロ、ロバート君、何やら君から異様なオーラを感じるぞ。」
ロバートは博士の言葉を無視し、エドを指差した。
「おまえの名はダイン。手間をかけさせるな。とっとと全部思い出せ。」


実際エドはダインとしての記憶をなくしているだけで、誰がどう見てもダインその人だった。
ダインは元は天才とまで言われた宇宙飛行士で、数年前突然転職してスペースレスキューになったのだが、経験と判断能力が要求されるその仕事をエドはすんなりとこなしていた。
まだ記憶が戻っていないにもかかわらず、天才であるダインとまったく同様に、だ。
スペースレスキューはあまりにも危険な仕事であるため、圧倒的に人が少ない。天才宇宙飛行士が次に選んだ職として注目を浴び、多少はマシになったが、それでも広大な宇宙に比べると少なすぎる。故に最近はレスキュー用のアンドロイドを作ろうという計画が進んでいて、エドはその試作品第一号だったのだ。元々アンドロイドはダインをオリジナルとして作られていた。ただどうしても人工知能が実用には心許なくて、まったく実験的に、ダインの脳を移植したのだ。不幸な事故が起こってしまうまで誰一人として考えなかった処置だったとエマーソン博士は言う。
とにかく宇宙のあちこちで頻発するアクシデントは待ってくれなかったので狩り出されたエドではあったが、記憶がなくとも研究班の予想以上に『ダイン』だったため、特別に用意されたロバートとの学習時間も少しずつ減ってきていた。

ロバートはエドに会うとき必ずその写真を持ってきた。
とは言ってもエドと会える時間帯はその日によってまちまちだったので、ずっと制服のポケットに入れっぱなしにしてあったのだが。
これではまるでダインのようだと微苦笑しながら、折りたたまれたそれを広げる。
中から青く輝く星が現れた。
ロバートはその瞬間、いつもエドを見つめる。
そしてそのひきつけられるような様子に、安堵と、喜びを感じるのだった。
「綺麗だよなぁ〜〜俺こんなに綺麗な星他に知らねぇよ。なんでこんなに青いんだろなぁ〜〜。」
「前に説明してやったろう。地球は水の惑星だからだ。70%が海なんだぞ。」
「おう、何度も聞いたぜ。でも見る度に口から出ちまうんだよ。いい女見るといつも胸もみてぇ〜っ!って思うだろ?それと一緒だって。」
ロバートはあんまりな例えにぶん殴ってやりたくなったが、メットを殴っても手が痛いだけなのでやめておく。
エドに顔はない。メットがエドの顔なのだ。
ロバートは殴ってやろうと思う度にそれを思い出してなんとも言えない気分になる。ダイン自身に「俺はダインじゃない。」と宣言されたようだ。以前はダインがふざけたことをぬかすと必ず、すなわち秒刻みで拳をふるっていたのに。
「でも俺はこいつほどいい女は知らねぇよ。もしもヤローだって言われても惚れちゃうねっ!……いや、待て!絶対女だ女!しかも絶世の美女に決まってらぁ。」
だが、これはダインだ。紛れもなく。
「ああ〜〜〜、なんでこんなに青いんだろうなぁ〜〜。」
呆けたように繰り返すのを聞いて、思わず口元に手をやる。
それをどう誤解したのか、エドは慌てて弁解した。
「いやっ、ほらよぉ〜。デイニアスとか全部砂だろ?俺たま〜に仕事であっこに降りるんだけど海もなんか赤いんだよ!砂が赤いからだろうな。だからさ、し〜みじ〜み思うんだって。」
デイニアスとはこの宇宙ステーションのすぐ側にあり、乾いた大地に赤茶けた砂が吹きすさぶ、宇宙から見ても赤茶色をした惑星のことである。大気中の塵の量が多く、空さえも赤い色をしている。
ロバートは笑いがわき起こるのを抑えて地球の上にとんとんと指を置いた。
「これも忘れているんだろうな。教えてやろう。地球は、空も青い。」
エドは衝動的に大声を上げた。
「どぇぇぇぇぇぇええええ〜〜〜〜〜っ!マジでマジでマジでマジで?」
「ああそうだ。夜になる前のわずかな時間だけ赤くなる。赤いといってもデイニアスのような赤じゃない。朱色のような…オレンジのような……とても美しい光景なんだ。青からその色に、そして夜になるまでの間は…目を離すのが惜しいほど美しい。もちろんただ青いときも素晴らしく美しい。雨が降る時は灰色の雲に覆われてしまうが…雨が上がると虹が架かるときもある。」
ロバートはクックと喉を鳴らしながら、熱心に説明してやった。
語彙力のなさにもどかしさを感じながら、心から楽しそうに顔を近づけてくる姿に嬉しくなりながら。
「雨かぁ〜。さっすが水の惑星!いいなぁ〜〜俺ぁ虹なんて宇宙船洗浄するときくらいっきゃ見たことねぇもんなぁ〜〜デイニアスだってほっとんど降りねぇし、四六時中宇宙とにらめっこよ。」
エドはため息をつくと壁一面の大きな窓に目をやった。
そこには大宇宙が広がっている。
残念ながらデイニアスと、この銀河の太陽が見えるばかりで、遙か彼方の地球は見えない。
「見てみぃ、今日も太陽が変わり映えなく輝いておりまする、っと。ああ〜〜いつだってかんかん照りよぉ。アタシの柔肌ただれちゃうわ〜ん。ったくよぉ、この宇宙にゃ青い空も赤い空も灰色の空も黄金の空だってないんだぜぇ?ましてや虹なんか見えやしねぇ。たまのたまには流星雨でも降らねぇかなぁ〜?」
「……おい。」
「じょ〜うだんよ、冗談!でも………青い空や…虹を…見てぇのはホントだぜ。」
エドはロバートに向き直り、間にある写真を見つめる。
人の命と向き合うときのような、真剣な面持ちだった。
「いや、俺は…地球に行ってみたい……。なんでだろーな。わかんねぇけど、実はよぉ、この写真、おまえから盗んでやろーかと思ったことも一度や二度じゃねぇんだよ。あっはっはっは〜と…。」
自信なさげにごまかす笑い声を聞きながら、ロバートはついにこの日がやってきたことを知った。
待っていた。
ずっと。
一番最初に『学習時間』としてこの部屋に連れてこられ、ところどころ破れかかった古い写真を見せてから、ずっとずっと、今日まで待ち続けた。
エドが頭の後ろに手をやり、ちらりちらりと様子を窺っているのを見て、ロバートは小さく笑った。
「…おまえのだ。これは……この写真は…おまえのものなんだ、ダイン。」
ダインと呼ばれて思わず肩が揺れたが、エドはすぐにいつもの調子で声を大きくした。
「え?もしかしてくれんのコレ?いいのか?土下座して頼んでも返さねぇぜ?」
ロバートは真摯な表情でエドの手を取り、写真の上に置く。
「違う。これはおまえがいつも肌身離さず持ち歩いていたものだ。あのとき、あの瞬間も、おまえはこれを持っていた。」
エドはロバートの指が微かに震えていることに気が付いて軽口を叩こうとしたが、その瞬間力が込められた。
「思い出せ。誰に聞いたって、おまえの口癖はこうだ。」


人類は地球で生まれたんだ。
だからやがて俺達は…絶対に、地球に還るんだ…。
あの空の下で、あの大地の上で。
土と共に生き、土に還る。
それが俺の夢だ。
いつか地球に、必ず行く。


「…地球は何世紀も前に人類が死の惑星にしてしまってから今までずっと…自然の力で癒されてきた…。そして美しい大気と水と土とを取り戻したんだ!だがあの銀河を見捨て、人類がこれだけ宇宙に散らばってしまった今では…地球を顧みる人間はごく少数だ。宇宙飛行士の訓練をしていたとき、未知なる宇宙の果てに少しでも近づきたいという奴らばかりいる中で…地球に行きたいという私を笑わなかったのはおまえだけだった!」
ロバートの指は再び震えだした。
エドはもう軽口を叩く気にはなれなかった。
「宇宙で死ぬ人間など星の数だ…。だがおまえは……っ、…いつも言っていたろう。あの土の上で、作物を収穫し、子供を育てて、やがて大地に眠り土に還るのだと。」

酸素タンクの故障による事故だった。
その日ダインは事故が起こってから現場に向かったのではなく、最初からそこにいたのだ。
宇宙船の中でアクシデントが起これば対処する、起こらなければ楽しい宇宙旅行といった、普段の任務に比べれば随分と楽な仕事のはずだった。
戻ってきたら、二人で、夢を一つ叶えに行く……はずだった。
しかし事故は起こった。
宇宙船が飛び立ってから一日後、ちょうど助けが届きにくい場所で。
酸素のほとんどを失ってしまったのだ。
酸素がなければ、水を作り出すことも、電気を作り出すことも、それを循環させることもできない。
電気がなくなるということは、宇宙船の全機能の停止、生命維持装置の停止を意味していた。
絶体絶命のアクシデントに見舞われダインがしたことは、他の乗員達を非難用のカプセルに乗せることだった。
全員を宇宙船から脱出させた後、残った電力をすべて緊急信号に費やした。
信号がステーションに届くまで数時間、助けが来るまでさらに時が必要になる。
その間酸素は、もたなかった。
救援は宇宙船が軌道を失い宇宙の果てに吸い込まれてしまう前に到着したが、彼らがダインにしてやれたのはその遺骸を持ち帰ることくらいだった。
そしてロバートは見てしまったのだ。
これ以上ないほど見開かれているのに、ただただ苦しみしか映していない瞳。
こんなはずではなかった。

「おまえはあの空を見なければならないっ!私があの後どんな思いで一人、地球に降りたか………っ」
ロバートの指に一滴のしずくが落ちた。
だがエドはそれどころではなかった。
「降りたのかっ?地球に!」
ロバートはゆっくりと、しかし確かに頷いた。
「…そうだ。私は宇宙飛行士であり、地球の研究者だ。地球を顧みる人間は少ないが、その人たちからは汚染から立ち直った惑星として熱心に研究されている。私は地球に降り立つ資格を勝ち取った。……おまえが事故に遭う一ヶ月前に。」
二人一緒に夢を叶えようと誓ったのだ。
数年前ダインが突如として宇宙飛行士をやめたとき、どんなに問いつめても本当の理由は聞けなかった。
ただふざけた口調で、「スペースレスキューでも地球には行ける。おまえが事故ったら俺が助けてやらぁ。」などとぬかすだけだった。
ならば私がおまえを連れて行ってやると、誓ったのだ。
すべては同じ瞳をして同じ夢を語った、あの日のために。
地球へ行くためにだ―――。
「待っていた。…待っていたんだ。おまえがそんなふうに、以前と同じように地球に行きたいと言いだすのを。絶対に…連れて行ってやる…。絶対だ!」
ロバートは涙を飲み込み、決意に燃える瞳で告げた。
エドは半ば呆然と、ロバートの瞳の向こうの青い惑星を見ていた。

「すまんがロバート君、そろそろ終わりにしてもらおう。エドには任務はもちろんつきあってもらわねばならん実験も色々あってな。」
咳払いと共にエマーソン博士が現れた。
ロバートはちょうどよかったとばかりにすぐ振り向き、礼をする。
「エマーソン博士、後でお願いがあります。少々ご迷惑をおかけするかもしれませんが、どうしても聞いていただきたい。」
博士は「うむ。」とだけ頷いて、いかにも忙しそうにエドについてくるよう促す。
ロバートはどこか晴れ晴れとした顔をして、口の端をつり上げた。
「ダイン。その写真はおまえに返す。今まで何も言わずに持っていて悪かった。だが一度裏切られ、次に置き去りにされたんだ。私が怒るのも当然だろう?」
エドは珍しく無言のままで写真を手に取り、折り目にそってたたんで、そっと胸ポケットに入れた。


エドはエドであり、ダインではない。
その証拠に、エドのスケジュールは人間にはとてもこなせないものだった。
なにせ、寝る時間も、食べる時間もない。ひたすら任務。次に実験。その繰り返しである。
ロバートと会う時間は唯一の休憩時間といってもよかった。
もちろん一日のうちで一番好きな時間である。
例えそうでなくても、エドはロバートのことが嫌いではなく、むしろ親友のように感じていた。
だがエドは考える。
自分はエドなのか、ダインなのかと。
ロバートは一度もエドの名前を呼ばない。
一応気を遣っているのか、名前を呼ばれること自体がめったにないが、たまに呼ばれたと思ったらそれは必ずダインの名なのである。
目も鼻も口もないが光沢はあるメットの中には、確かにダインの脳が何本もの電極を刺されて埋まっている。
エドとして作られたはずなのに、自分はただの入れ物なのだろうか?
しかしエドはダインとして生きてきた人生をこれっぽっちも覚えていないのだ。
その代わりに覚えているのは、初めて稼働したときに目にしたエマーソン博士の顔。後ろに広がる広大な宇宙。闇を食い破るかのように燃えたぎる太陽。それからしばらく研究室で過ごした日々。
その頃の自分にはダインの脳の代わりに人工脳が埋め込まれていた。
ダインの脳と入れ替わった今となっては、研究室の隅の方にひっそりと置かれている。
なのにダインと呼ばれることに違和感がある。
脳はダインのものだけれど、この体はエドが持って生まれた、エドのものなのだ。
記憶さえもエドのものなのだ。
自分はエドであり、ダインではない。
ロバートがダインの名を呼ぶ度、いつもそう思っていた。

しかし。

あの、青い星。
初めて写真で見せられた時から頭の中に住み着いた美しい惑星。
その瞬間からなんとしてでも行きたいと渇望した地球。
ついさっきまでどうしてこんなに行きたいと願うのだろうと不思議に思っていた。

自分はダインなのだろうか?
この体も、記憶もすっとばして、脳みそたった一つで、ダインなのだろうか?
青空を見ることを望み、ロバートと地球へ降り立つのは、ダインなのだろうか?

絶対に連れて行くと言われたとき、エドは感情を表に出すことができなかった。
あのとき感じたのは、驚きと、喜びと、憧れと、…恐怖。
地球に降り立てばエドはダインに取って代わられるのではないかという、恐ろしさ。

エドは胸ポケットに手を置いた。
地球は美しい星である。
こんなに美しい星は写真でも他に見たことがない。
そのうえ降り立てば雨が降り、虹ができるのだ。
青くて、赤くて、七色の星。
誰だってひかれるに決まっている。
この体はエドのもの。この記憶はエドのもの。
この憧れも、エドのものだ。
他の誰の物でもない。
ロバートにはすまないと思うが、譲ることはできない。

ダインは死んだ。
ここに生きているのは、エドなのだ。

そんなことを考えながら、エドは窓の外を見つめていた。
今日もデイニアスと太陽が変わらない姿を見せている。
二つはどちらも赤く見えるが、その赤はまったく異なるものである。デイニアスはほこりを被った赤煉瓦のような色だが、太陽は強烈な炎を放っている。二つを見間違える者はどこにもいない。
エドが生まれたとき、その頭には太陽の姿しか入ってこなかった。
くすんだ光は強烈な光に負けてしまったのだ。

何度呼んでも反応のないエドにエマーソン博士が苛立った声をかける。
エドはびくりと背筋を伸ばして後頭部に手をやった。
博士によって作られたからなのか、実験を受ける立場だからなのか、エドは博士のことが少し苦手だった。
他の理由も、おぼろげに思い浮かばないではなかったが。


ロバートの願いを聞いたエマーソン博士は少し考え込むそぶりを見せたが、必死の説得によりついに折れた。
万が一エドが故障したときのために専用の宇宙船も用意してくれるという。
エドは毎日のスケジュールを思い返して首を傾げた。
「俺は嬉しいけどよぉ〜、じいさん俺がいなくなって大丈夫なのかよ?地球って遠いんだろ?日帰りじゃすまねぇんだろ?」
博士は少し唸ったが、すぐに咳払いをして言った。
「しかしロバート君の熱意に負けてしまってな。地球に行くことでさらなる変化があるかもしれんし…研究班としては実験の方向性が広がるかもしれないということで異論を唱える者はおらん。……それより、思い出したのは、本当に地球のことだけなのかね?」
「いやぁ〜、だから思い出したわけじゃねぇんだって。」
エドは指の腹で頭を磨いた。
軽い調子の裏側で地球に対する恐怖が広がっていく。
エマーソン博士の顔を見ながら、生まれた瞬間のことを思い出していた。
そう、生まれた瞬間、自分はこの博士の顔を見たのだ。
はっきりと覚えている。
だが次にこの顔を見るとき、自分は死んでいるかもしれない。
地球に降り立った瞬間エドが死んで、ダインが生まれるのかもしれない。
あれだけ地球に憧れていたことが信じられないくらい気弱になっている自分をどうにかしたくて、エドはぽつりとつぶやいた。
「…じいさん、俺は………事故に遭った人々を助けるために作られたんだよな?」
ダインになるために作られたわけでは、けしてない。
エマーソン博士は少し微笑んだかのように見えた。


宇宙船に乗り込むのはロバートとエドの二人だけだった。
最新式の宇宙船にはあらゆる設備があり自動装置もしっかりついている。さらに二人は熟練した宇宙飛行士と天才的なスペースレスキュー。なによりも、できることなら他人をこの夢に立ち入らせたくないということで、二人で行くことになった。
二人は見送りに来てくれたエマーソン博士に一礼した。
「くれぐれも気をつけたまえよ。」
「こいつは最悪に運の無い男ですが私がいるから大丈夫でしょう。」
ロバートはエドを横目で見て肘でつつく。
「んあぁっ?んだよ、俺ぁビンボー神扱いかよぉ。確率下がってるって!絶対!」
「おまえは前もそう言っていたな。結局二度も同じ事故に遭った奴が何を言う。」
エドはきょとんとして、ワンテンポ遅れて首を傾げた。
「へ?俺、二度目だったの?」
「……安心しろ。酸素タンクは先ほど確認した。三度目はない。」
ロバートは疲れ切った表情で言った。
二人は博士に所在ない思いをさせながらも、すぐに大宇宙へと飛び立った。
一刻も早く地球に降り立ちたいとでもいうように。
エドの中の不安は消えなかったが、胸ポケットの上に手を置き、「これは俺の夢だ。」と心の中で繰り返し唱え続けた。
ロバートはその様子を見て頬を緩ませた。
「二人で、地球に降りよう。私は…あれほど夢見た地球に降りても……あまり、嬉しくなかったんだ。おまえのせいで。青い空を見て呆けたおまえを存分に笑ってやる。私の恨みは根が深いんだぞ。」
「またまたぁ〜、そんなこと言っていざそのときになったら泣いちゃうにこの宇宙船の酸素全部賭けてもいいぜ。」
「な……っボケが!誰が泣くんだ…!」
「おまえが涙もろいことなんかばればれだっての!青い空の下で赤い目したおまえを笑うのは俺様よぉ。」
そんなことを言い合いながら、きっと、青い空の下、二人して感動に言葉を失うのだとお互いに心の中で笑っていた。

しかし、
それは起こったのだ。

宇宙船が飛び立ってから一日後、ちょうど助けが届きにくい場所で。
悪夢のような事故だ。
あの日と同じ。
酸素タンクが、故障したのだ。

レッドランプが船内をうるさく照らした。
非常ベルが心臓を地雷のように吹き飛ばした。
ロバートはすぐさま故障位置を確かめ、蒼白になる。
声もなくエドの方を見れば、エドは床を這いつくばっていた。

エドの頭の中で非常ベルがこだまする。
嫌な音だ。
あまりにも、嫌な音だ。
抱え込んだ頭の中でスイッチが入ったような音がした。
そして、聞こえるはずのない声が聞こえた。

「思い出したかね?ダイン。エドウィンのことを。」

ロバートは荒々しく息を吐き出した。
本当は声を出そうとして吸ったつもりだったのだが、順序を間違えてしまったのだ。
それでもなんとか呼びかけた。
「…エマーソン…博士?」
声は弄ぶようにゆっくりと、嘲笑するように答える。
「ああ、君にはすまんことをしたねロバート君。ダインの親友だったのが…いや、君とダインの夢が同じだったことが不運だと思ってくれたまえ。ダインは地球になど……行かせはせんよ。」
言葉を無くす様子を見透かして、ほんの少し間を取ったのがわかった。
「酸素タンクの事故など、そうそう起こるものではないと思わんかね。」
その瞬間、解けかかっていたすべての矛盾は完全に合致する鍵を見つけ出した。
だが、認めたくない、確かめたくないと心が悲鳴をあげる。
しかし何度も想像せざるをえなかったあの日と同じ状況下にいて、口が勝手に動く。
「まさか……まさかあなたが……ダインを…そして、また……」
「悲鳴をあげておるかね?呼吸を荒くしておるかね?第一タンクも第二タンクも故障しているから、酸素の無駄使いはやめておきたまえ。私が直々に、見つからないよう細工したのだ。ただ一つの術を除いて、万が一にも助かりはせんよ。」
どうやら録音されていたらしいそれは、エドの頭の中でジィーという音をたてながら回り続ける。
騒音に取り囲まれてもみくちゃにされているはずなのに、妙に大きく聞こえた。
目の前が真っ赤になったのはレッドランプのせいではない。
たまらない怒りが、あの日から今日までの時をすべて炭にして燃え上がった。
ロバートは今すぐ宇宙船ごとステーションに突っ込んで博士に殴りかかりたかった。
声が聞こえてくる場所がエドの頭部でさえなければ、とうに壊していた。
声は無情に語り続ける。
「ロバート君、もしかしたら死ぬかもしれない君に、一つ話をしてやろう。覚えておるかね?ダインがスペースレスキューになる直前のことだ。そう、奴が宇宙飛行士だったときの話だ。ダイン以下数名の乗組員は酸素タンクの故障で、絶体絶命の危機に陥った。だが彼らは奇跡の生還を遂げた。ただ一人の青年を除いてな……。」
脳の中のあらゆる物質が倍の速さで動いた。
「エド……エドウィン!…エドウィン・エマーソン……っ」
最初にエドの名を聞いたとき、どうして思い出さなかったのだろう。
言葉を交わしたことは一度もないが、夢を見る瞳はしっかりと覚えている。
天才宇宙飛行士ダインに憧れていた、今は亡きスペースレスキュー。
「エドウィン……エドは私の息子だ…。ダインに憧れ…やがて奴と同じように地球に行くことを夢見た…。ただ一人の、私の息子だ。…私は、許さない。」
だがあれは、あれこそは本物の事故だったのだ。
エドウィンが亡くなってしまったのは変えようのない事実だが、けしてダインのせいではなかった。
「エドを置いて……奴だけが地球へ降りることなど、決して、決して許しはしない…っ!ダイン!貴様の死に場所はそこ以外ありえない。今度こそエドと同じように死ぬがいい。…自分を犠牲に、他の者を救い、狭い宇宙船の中で、たどり着けなかった夢に届かない手を伸ばしながらな!」
唇を噛みちぎり血反吐を吐くような声に、すべての音が飲み込まれた。
「ふ、ふふふ…ロバート君、君にはすまんことをしたと思っているとも。最初は私もダインの脳をただ実験材料としていたぶるつもりだったのだ。だが『ダイン』がエドのことを忘れるのは許されんのだ…絶対にな。それを…こともあろうか……ダイン、貴様は…エドではなく地球のことを思い出した。そしてまたエドを置いていくつもりだったろう?自業自得というものだ。ロバート君、君が助かるかどうかは…ダイン次第だ。」
無造作な音を立ててテープが止まった。
死へと向かう宇宙船に、残酷な沈黙を残して。
ロバートは体を身動ぎさせるために荒い呼吸を三回もしてしまった。
頭を抱え込んで床にうずくまったままのエドに近づこうと片足を浮かせると、エドはすっと立ち上がった。
「ロバート、さっさと避難用カプセルに乗り込め。足震わせちゃうのはステーションに着いてからにしてちょうだい。好きなだけ貧乏揺すりしてオッケーだからよぉ。とにかく急げ。早くしねぇと切り離すための電力もなくなる。」
ロバートは音を立ててエドの顔を両手で挟み、無理やり自分に向けさせた。
触れているのはメットだ。冷たいただのメットだが。
「…思い出したのか………?」
エドはロバートの手をそっと引きはがした。
「残念ごめぇ〜ん。おまえにもじいさんにも悪いけどなーんも。でも助かることは立証済みだから安心しろよ。落胆シーンも感動シーンもやってる間なんざないけどな。早く行け。」
ロバートは何か言いたかったが自分でも何を言いたいのかわからなかったのでとにかく頷き、カプセルに向かおうとした。
しかし、ふと気が付く。
「おまえ……何ぼーっとしてるんだ!おまえも急げ!」
エドは困ったように肩をすくめた。
「…おまえ………まさか……またなのか……?また………」
「助け方はわかってるんだけど、助かり方はわかんないんだな、これが。」
ロバートは何も考えずにエドを殴っていた。
手が痛いだけだと、酸素を消耗するだけだと、わかってはいたが、止まらなかった。
エドの体は機械だが、脳は生身だ。
血液の代わりに人工液が流れており、その活動のために少量ではあるが酸素を必要とする。
今度こそ、死んでしまう。
エドはびくともしなかったが、後頭部に手を持っていき、すぐに下ろした。
「記憶はねぇけどわかることだってあるんだぜ。オリジナルは……いや、お、れ…は…スペースレスキューを、嫌々やったりしねぇってこった。誇りを持ってんだ。きっかけは…今となっては想像しかできねぇけどよ。」
「…嘘だ。…おまえなら、エドウィンの夢も叶えるために…よりいっそう地球への想いを強くするはずだ……」
ロバートはうわごとのようにつぶやいた。
そうだ、いつだって前向きな男だった。そしてでかい図体に似合わず情に脆いのだ。
エドウィンのことを気に病めばこそ、宇宙飛行士として地球を目指す、そうしたはずだ。
今となっては想像しかできない。
だがエマーソン博士が、きっと、何かしたのだ。
「ロバート。エドウィンと俺を、馬鹿にする気か?人の命を助けることがくだらない仕事だって、そう言いやがるのか?」
「違う!違う!違う!…っ…だがっ……どうしてなんだ!どうして、また……、こんなっ!」
約束したではないか。
同じ瞳で、同じ夢を、絶対に叶えると。
一度ならず、二度までも、
置いていく気なのか。
口に出さなかったロバートの絶叫は確かに届いたはずなのに、エドはおどけたそぶりをしてみせた。
「あ〜あ〜、聞き分けのねぇ野郎だぜ。…あのじいさんは…俺にエドウィンと同じ死に方を自分から選ばせたいんだ。たぶんだぜ?記憶ねぇもんで悪いな。でも、きっとそうだ。だから、カプセルは一つだけちゃんと動く。誰かが犠牲になれば他は助かるようにしてあるってわけだ。言われなくたって、俺が選ぶ道は決まってんだけどなぁ。」
後頭部に手をやって、落ち着かない様子で話し続けるその様は、早く何か反応してくれと訴えているようだった。
ロバートは怒りたかったのに、顔が言うことを聞かず泣きそうに歪んだ。
「……じいさんをあんまり責めんなよ。俺が…地球へ行きたいとさえ思わなけりゃ、こんなことしなかったと思うぜ。でも、地球に行くことだけは…許せなかったんだ、きっと………。」
あの星は美しすぎるから。
この夢は素晴らしすぎるから。
「ごめん、…な。約束は守れそうにない。ホントに、悪いと思ってる。けど新しい約束をしてくれよ。今度青い空を見に行くときは…俺のことは忘れてくれ。…忘れられないときは…馬鹿なやつだったとでも、笑ってくれよ。だから、頼む。地球を悲しい星にしないでくれ。」
ロバートはひどく悔しかった。
おまえというやつは。
いつも、どんなときだって、謝罪なんか口ばかりでまったく気にした様子もなく笑っていたくせに。
なんでこんなときばかり、真剣に謝るのか。
ずるくて、ひどい男だ。
いいのは女の趣味だけだ。
何度死んだって、そんなところは変わらないに違いない。
「じゃ、頼んだぜ。」
もう話すことはないとばかりに手を振られた。
まるでロバートがカプセルに乗り込むとみじんの疑いもなく信じているようだった。
ロバートはこの悔しさをどうにかしてやりたかった。
あんなことを言われては、再び地球の大地を踏まざるを得ない。
なんとしてでも、生き延びざるを得ない。
だが、おまえの屍を…踏み台にして。

「ダイン……っ!」

ロバートはカプセルに向かって走り出し、どうしても堪えきれずに、振り返って押し寄せるものをすべて込めた。

「…ああ、そうだ!ダインだ!だからおまえを助けるんだ!絶対に…っ!」

返ってきた言葉に、また悔しくなった。

この悔しさは地球で晴らしてやる。
笑ってなどやるものか。
泣いてやる。
おまえが見たいと望んだ青い空の下で。
おまえが還ることを望んだ優しい土の上で。
思いきり泣いて、
おまえの分まで地球を愛してやる。
ああ、絶対だ。
私はおまえと違って、約束を破ったことはない。


カプセルが宇宙船から無事離れた頃には、船内の電力は残り少なく、信号を送れば費えてしまうほどだった。
エドはすぐさま緊急信号を送った。
そのとき、大きな爆発音と共に宇宙船が激しく揺れた。
「ああ〜〜やっぱりなぁ。たっくもう、殺意が伝わりすぎてどきどきしちゃう!」
生身の体ならいざ知らず、エドはサイボーグであり、元はアンドロイドである。
脳に送り込む人工血液に少量の酸素は必要だが、酸欠では死ににくいのではないか、運が良ければ助かるのではないかと淡い期待を抱いていた。
エマーソン博士は念には念を入れ、緊急信号を送ったと同時に宇宙船が爆発するよう仕掛けておいたわけだ。
しかし宇宙船は軌道をずらしただけで、崩壊したわけではない。
あくまで宇宙船の中で、一定時間かけて殺すことが目的なのである。
エドウィンと同じように。
そして、わかってはいたけれど、エドはそっと窓の外を見た。
太陽が見える。
どんどんと、近づいてくる。
「ああ〜今日も元気にかんかん照り〜。冗談じゃなく、死因は焼死ってわけね。相手が太陽様々じゃ〜もしも雨が降ったって消し炭のカスも残らねぇなぁ。」
疲れたように壁にもたれかかり、そのまま床に座り込む。
胸ポケットに手を入れると、そこには青い星が美しく輝いていた。
結局実物を見ることはできなかった。
美しい、青い惑星。
この姿を見ればエマーソン博士の気持ちもわかる気がした。

エドがエドとして生まれて初めて見たものは、エマーソン博士の顔だった。
博士は鼻がつきそうなほど顔を近づけて、微笑んでいた。まるで…そう、まるで獲物を捕らえる罠を完成させた時のような微笑みだった。おそらくエドは最初からダインの脳を入れるために作られたのだ。きっと、ダインがロバートと地球に行くことが決定した時に生まれたのだろう。
エドという名は、ダインへの戒めだったのかもしれない。

エドはぼんやりと、自分は結局何だったのだろうと思った。
ダインなのか、エドウィンなのか、エドなのか。
新しい約束を望んだのはダインであり、エドウィンであり、エドだった。
ロバートが呼んだ名はやはりダインだったが、エドウィンやエドであっても迷わなかったに違いない。
みんな地球に夢を見た。
みんなロバートに願いを託した。
それでもエドは自分が何者なのか知りたかった。

両手の上で地球が照らし出され、あまりにも小さく輝いている。
光の先には太陽が、エドが生まれた時とまったく同じ力強さで宇宙を照らしている。
だがデイニアスをかき消して燃えていたはずの太陽は、今見ると随分と優しい光を発していた。
手のひらの小さな地球を照らす光。
デイニアスの大地を照らす光。
宇宙を広く照らし出す光。
そしてこの宇宙船を、エドを照らす光。
生まれた時からずっと、この光を浴びてきた。
「ああ、そうか…ここなんだな、俺の故郷は……」
夢見た空に美しさは負けるかもしれないが、この心地よさはきっと劣らない。
優しい光だ。
すべての子供達を包み込み、温める。

「俺は……エドだ……エドだったんだ………」

自分が何者なのかは太陽が知っていた。
もうずっと最初から、当然のように。
そして、もう一つのことも。

エドは折り目の端が切れてしまっている写真をそっと胸に置き、手のひらを押し当てた。
瞑る目もなければ弧を描く口もない、光沢だけしかないメットの中には、ダインの脳がある。
この胸の奥には、ダインとエドウィン、そしてエドの心がある。
それこそが、そのすべてがエドなのだ。
地球が太陽の光を浴びなければ生命を育めないように。
エドは胸に地球を乗せたまま、太陽の光を感じながら、心から満ち足りた気持ちで体の力を抜いた。

「いよぉ、彼女。愛してるぜ。優しく抱きしめてくれよな。」

確かな、還るべき場所へ還るために。
END.
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