『籠の鳥』

 シュバルツは美しいものが好きだった。
金銀財宝などの美しさではなく、生命の美しさが。
シュバルツは花を見れば手折り、動物を見れば狩った。
特に動物に対する執着は凄まじかった。
彼の屋敷には至るところに剥製が飾られ、多くの動物が生け捕られていた。
その数は日をおうごとに増えた。
近隣の住人が彼のことを嫌悪の眼差しで見つめ、中傷するのもかまわずに、彼は動物を狩り続けた。
しかし。
ある日を境に彼は狩りに出るのをやめた。
以前は毎日のように見かけていた銃をかついで歩く彼の姿を、誰も目にしなくなった。
人々は「死んだのではないか。」とまで噂したが屋敷に仕える使用人に変化はなく、葬儀屋が出入りすることもなければ棺が出てくる様子もなかった。
「ようやく改心したのだろう。」
人々は思った。
だがそれは違っていた。
彼は見つけてしまったのだ。
                    リーン
この世で一番美しい生物―――有翼人を。


 上品なワインレッドの絨毯の上に、銀で作られた大きな鳥かごが置かれていた。部屋の中央に据えられたそれは人一人悠々と入れる大きさで、鳥かごと言うよりは檻のようでさえあった。
シュバルツは檻の真ん中でうずくまる美しい獣の姿を眺めては感嘆の息をついた。
有翼人とは、その名の通り翼の生えた人間である。
とは言っても姿が似かよっているだけでその知能は遠く及ばない。
彼らは言葉すら持たなかった。
今も、好奇の目で見つめるシュバルツの前で大きな純白の羽根で体を隠し、小さくなって震えている。
そうすることしかできないのだ。
シュバルツは優しく微笑むと注意深く鳥かごを開け、豪勢な料理を差し出した。
細かな模様が描かれた皿の上に乗ったその料理はたった今一流の料理人によって作られたもので、食材も最高級品を使った贅沢な一品であった。
しかし、有翼人はうずくまったまま見ようともしなかった。
シュバルツは目を細めた。
有翼人はもう一週間以上何も食べていなかった。
「フェーン、何が不満だ。最高の料理人に作らせた最高の料理だぞ。何故食べんのだ。」
フェーンとはシュバルツが有翼人につけた名前である。
その名を受け入れていないのかまたは言葉がわからないのか、返事はいつもない。言葉を発しないのは当然だったが、その代わりとなる反応でさえまったくなかった。
シュバルツは舌打ちし、疲れたようにベッドに腰掛けた。
以前なら殺していた。
シュバルツは思う。
今まで生け捕った獣が思い通りにならなければ簡単に殺していたはずなのに、フェーンに対しては何故かそんな気になれなかった。
噂に聞いていた有翼人の姿はシュバルツの想像を超えて遥かに美しかった。か細く繊細で、あまりにも非力だった。
怯えた瞳を向けられるたびにシュバルツは言いようのない苛立ちを感じ、同時に胸をわしづかみにされるような思いを味わう。
その気持ちが何なのか、シュバルツは未だ理解できずにいた。

そうしてフェーンはどんどんやせ衰えていった。

名だたる料理人が作ったどんな料理にも目を向けず、シュバルツがいないのを確かめては外を見た。
天鵞絨のカーテンの隙間から見える空は細く遠かった。

 フェーンを捕らえてから、フェーンが食事をとらなくなってから二週間後。
シュバルツの苛立ちは限界に近づいていた。
細切れにした肉や野菜を無理矢理口に押し込んで飲み込ませる。
弱りきったフェーンに抵抗の術はない。
シュバルツは容赦しなかった。
こうでもしなければ食べないのだ。
食べなければ、死んでしまう。
だが、フェーンは胃に入れた物を全部吐き出した。
苦しげに顔をゆがめるフェーンを見て、シュバルツは無意識のうちにフェーンを殴っていた。
力を抑えることもせずに、三度くらい殴っただろうか。
フェーンはされるがまま、叫びもせず泣きもしなかった。
シュバルツこそが泣いていた。
「何故だ?おまえのために用意した料理を何故食べない。オレはおまえのためなら何でもしてやろう。おまえが逃げないと誓うならこの鳥かごからも出してやる。外へも連れて行く。欲しいものは何でも与え、この世の幸せのすべてをおまえにやろう。」
シュバルツは必死に顔を背けるフェーンを強引に引き寄せ、目と目を合わせた。
フェーンの瞳はあいかわらず怯えている。
「何故怯える。言葉が通じないという理由だけでオレの気持ちはかけらも伝わらないのか。オレの顔を見ろ!オレがこれほど想っているのにどうしておまえは怯えるのだ!」
フェーンは怯えるだけで、シュバルツに答を返してはくれなかった。
「何をすればいい?オレが何をすればおまえはオレを見るんだ。」
シュバルツは嗚咽をもらしながらフェーンをきつく抱きしめた。

 それから一週間、シュバルツはフェーンと鳥かごの中で過ごした。
屋敷の使用人達はみな奇異なものを見る目で見たが、シュバルツは気にとめなかった。
翼を広げたフェーンの姿が見たかった。
その白い翼をいっぱいに広げたとき、きっと心を開いてくれる、きっと食事をとってくれるだろうと、シュバルツは信じていた。
そっと触れ、囁くように語りかける。わずかな動作にも気を遣い、ゆっくりと動く。
二人で入るには狭い檻の中で、シュバルツは極めて優しく接していた。
そこにいるだけでフェーンを衰弱させているのだとは気づきもせずに。

 ある朝起きたとき、シュバルツは動かなくなったフェーンを見た。
死んではいなかったが、身動きする力をも失っていた。
とうとう限界がきたのだった。
この期に及んでも食事をとろうとしないフェーンを見て、シュバルツは壁を殴った。
眉間に深くしわを刻み重い息を吐いた後、シュバルツは鳥かごを開放した。
「何がいけなかったのか………わからん。わからんが……、出ろ。逃がしてやる。」
自分の力では動けないフェーンを抱え、シュバルツが鳥かごを出たとき、フェーンは微笑んだ。
フェーンの瞳には青い空が映っていた。

それが、最期だった。

シュバルツは冷たくなっていくフェーンを抱きしめたまま、じっと空を見つめていた。
使用人が定刻通りシュバルツの部屋に入ったとき、シュバルツの姿はそこにはなかった。
その日からシュバルツの姿を見た者はいない。
ただ狩人が止めるのも聞かずに遭難者の多い森の奥に入っていた男がいるとかいないとか。その男は背中に羽根の生えた人間を腕に抱いていたという。

 そして人々は思い思いに噂を作り出し、ある者はまったくの興味本位で古い文献を調べるのだ。

  有翼人

    人の姿をしているが背中に羽根が生えており、言葉を持たない。
    短命で5年ほどしか生きず、両性具有である。
    
    この不思議な生き物は肉も草も口にせず、彼らのみ知る不思議な石によってのみエネルギーを得るという―――。
END.
HOME