『人蟲伝(カフカ)』

 ある日私は目が覚めたら自分が虫になっていることに気がついた。
あちこちに紫や緑の体液を吐き散らす、寒気がするほど醜悪な虫の姿に。
一瞬ハッとしたが、冷静になって考えると別に驚くほどのことでもなかった。
なぜなら私の本質はずいぶん前から虫そのものだったからである。
姿形が中身にふさわしいものに変わったからといって私自身には何ら変化がない。
今まで美しい蝶の羽をかぶり内面をごまかしてきたがそろそろそれにも疲れてきたところだ。
私の本質を知った人々が一体どんな顔をするのかも見てみたい。
私は嘆くどころか大喜びでこの現状を受け入れた。

まず最初に私の姿を見た家族たちは恐れおののき私を部屋に幽閉しようとした。
母も姉もまるで怪物でも見るような目で私を見る。
父などは私だと気づかず取り乱して失禁し、震える手でゴキブリ用の殺虫剤をまきながら通報までしてしまった。
まにあいはしなかったが、慌ててそれを止めようとした母と姉。
理由は…家の恥だからだ。
家族の反応はだいたい予想がついていた。
きっと彼らは自分たちで作った「私」という偶像を通してでしか私を見たことがなかったのだろう。
だが、彼らを責めることはできない。
それはすべて私の望みだったからだ。
私は今までずっと、血のつながった家族にさえ私の本質を知られたくなかった。
ときには蝶の羽をかぶり、ときには蛾の羽をかぶってうまいこと本質を隠してきた。
良い方にも悪い方にも、とにかく他人に誤解されることを望んでいた。
その方が楽だったせいもある。だが何よりも、

怖かったのだ。

私は警察が来る前に逃亡した。
まだ捕まりたくない。友達にこの姿を見てもらうのだ。
友達は家族とは違う。友達といると私はいい意味で素直になれた。
虫の私が、虫らしくない部分を自然に出すことができた。
友達といるとき私は幸せになれた。
何度も言おうとして、結局言えなかった私の本質。
今なら言うことができる。

私はやっとの事で学校にたどり着いた。
登校中の生徒たちが高い悲鳴をあげている。
だがもう他の人はどうでもいい。
私は、私が大切だと思う人にこそこの姿を見てもらいたいのだ。
今なら。
友達はちょうど教室に入るところだった。
言える。
友達は悲鳴の聞こえる方を向き、そこに私の姿を見た。
「私は
きゃあああああぁぁぁ
―――――――虫です。」
友達は悲鳴と共に倒れた。

心の奥底ではわかっていた気がする。
何の努力もせずに私の本質に気づいていてもらいたいなどと考える方が間違っているということ。
ましてや私の場合は故意に隠していたのだから、まるっきり矛盾している。
ただ、小説や漫画のくさいシーンにでてくる奇跡みたいなものを、少し信じていたかった。
いつのまにかちゃんと気づいてくれている特別な相手が、一人でいいからほしかった。
どんな姿でも優しく迎え入れてくれる優しい手がほしかった。

殺気立った警官が集まってきた。
武装している。

ああ、私はきっと死ぬのだろう。
なぜこんなことになったのか。
私は昨日までごく普通の高校生だった。
でも私の中には世界中の悪を集めたようなどす黒いものがずいぶん前からすんでいて、それこそが私の本質だった。
私はずっとそれを押さえて生きてきた。
私の理性は純粋ではなかったのでずいぶんと苦しかった。
死を解放だと考えるなら、これは幸せなのかもしれない。
もう未練も何もない。
虫は虫らしく駆除されるのがいいだろう。
私はやっと重荷から解放される。

そして、意識が遠くなった。
遠くで銃声が聞こえた。

輪廻転生
まがいごとでないのなら、今度は本当の虫に生まれたい。
きっと、
その方が楽だから。
END.
HOME