『ゴミ』

なんとなく捨ててみた。


「………」
「………」

「俺よぉ、この前コインロッカーで赤んぼの死体見っけたんだよ。」
「………」
「ムカついたからそのへん蹴ったらロッカーひしゃげちまってよぉ、そしたらいたわけ。死体。」
「………」
「めったにできねぇ経験だろ?ちっぽけな世界の有名人になったみてぇな気になったぜ。」
「………」
「なんとか言えよ、コラ。」
男は拳を振り下ろした。
親指以外の指すべてにごつい指輪がはめられていて、メリケンサックで殴られたも同然だった。
ゴミは反射的にカエルがつぶれたときのような声を出し、それがおかしかったのか男はそのまま拳をぐりぐりと押しつけた。
「……痛いんだけど。」
「そりゃそうだろ。気持ちよかったらてめぇマゾだぜ?マゾ。」
今度は手のひらだったが、ばしばしと容赦なく叩かれてやっぱり痛かった。
下手に反応を返すと面白がられそうだったし、少しでも痛みを抑えられるかもしれないし、さっきからずっと寒かったから、膝を抱えて小さくなる。
「…ふた、閉めてくれない?」
ゴミが言うと、男は片手に持っていたままだったふたを見せつけるようにしてから離れたところに放り投げた。
「なんか食いもん入ってねぇか?二日?三日か?なんも食ってねぇんだよ。」
悪びれもせず言う態度に呆れるべきか怒るべきか考えてみたが、考えている今そのどちらでもなかったので素直に周りを見回してみた。
見回すといっても狭いところだから、あっという間に確認できる。
紙くずと、吸い殻、ひしゃげた空き缶くらいしか入ってない。
「……ここにはないみたいだよ。ふた、拾ってくる気があるなら拾ってきて。」
元々寒かったが、ふたがないとさらに寒い。
ゴミは小さく体を震わせながら男が去るのを待った。
「…野宿の仕方もしらねぇのか?新聞紙やダンボールなんていっくらでも捨ててあんじゃねぇか。」
しかし男はべしべしと、まるで何かのボタンのようにゴミを叩く。
「……痛いんだけど。」
「そりゃよかったな。」
一向に立ち去る様子がないので、ゴミは前髪をかきあげながら面倒げに口を開いた。
「……いらないかなって、捨ててみたんだ。」
「ここの収集車は昼くれぇまでこねぇぞ。第一ゴミバケツじゃあふた開けられりゃバレるじゃねぇか。どうせなら海に浮かんで魚の餌になってやれや。」
男の手はゴミの頭を叩き続けていたが、口調があからさまにつまらなさそうなものになった。
「……自殺じゃないんだけど。」
「じゃあれか?どっかの患者さん?」
「……だから、捨ててみただけだよ。」
膝に顔をうずめると、バケツの底にこびりついた汚泥のようなものの匂いが鼻につく。
ゴミは手でこすりながら鼻をむずむずさせて、口から息を吐き出した。
「なぁ、死にたきゃ死ねば?」
男はやはりつまらなそうに、ゴミの頭に肘をついてその手に顎を乗せた。
「……だから、自殺じゃないってば。別に死にたいなんて思ってないよ。生きたいとも思わないけど。」
「じゃなんで生きてんだよ。」
「……生きてるからじゃない?」
ゴミは制服の袖を引っ張って、なんとか手を引っ込める。
夜が更けるにつれ寒さも増してきているようだ。
「じゃなんで捨てたんだよ。」
寝てしまおうと思っても、頭を台代わりに使っている男がうるさくて眠れない。
「……なんとなく。持ってても捨てても一緒のような気がしたから。じゃあ、捨てとこうかなって。」
男の体重がのしかかってきて、どんどん顔が膝にめりこんでいく。
そろそろちょっと、かなり痛い。
「…三日前?二日か?最後に食った飯がよぉ、どこぞの誰かの食いさしの弁当だったよ。どっかの路地のゴミだめに捨ててあったんだわ。白い飯がうまかったぜ。」
ゴミは首を横に曲げてみたが、痛い部分が広がっただけのような気がした。
それどころかひどく首が寒くなった。
「てめぇは拾われるゴミだ。いい服じゃねぇか学ラン!…てめぇにとっていらなくても、どこぞの誰かにはわかんねぇってことだ。」
男は肘置き台がずれたのが気に入らなかったようで、ゴミの頭をぐいっと引き起こす。
「俺はよぉ、こーんなちっぽけな世界の中で、赤んぼの死体でも見っけねぇと誰も見ようとしねぇ人間なわけだ。……赤んぼはよぉ、久しぶりに食った白い飯を全部おじゃんにしてくれるツラだったぜ。……誰も、拾いにこなかったんだ。」
「……僕は君でも赤ん坊でもない。」
「同じよーにゴミだめあさってきた奴ぁ何人か海に浮いたぜ。食いもんあさんのに疲れて食いもんの方になっちまった。だが俺はこうして日々食いもん探してる。……一緒だ。てめぇみてぇな奴もいる。赤んぼみてぇな奴もいる。俺みてぇな奴もいる。」
男が必要以上に口を大きく動かしているのが肘から伝わる振動でわかる。
ゴミは眉を寄せて、振り落とす勢いで顔を上げた。
「……何が言いたいんだ。」
「言いたいんじゃねぇ、聞かせてぇだけだ。好きにしろよ。だがもしもう一度俺と会うときゃあ俺の腹に優しいツラしてろよ。もったいねぇだろが。」
男は動じた様子もなく、だらしなく体を揺らしながら背を向けて歩き始めた。
少しは風よけになっていたのか、途端に寒気が走る。
ゴミはバケツの縁に手をかけて立ち上がった。
「どうしたぁ?ゴミは焼却場へ行きな。」
男がくるりと振り返り、後ろ向きに歩きながら馬鹿にしたように言った。
ゴミは自分の肩をなでた。
「……帰るよ。明日学校だからね。」
「…ガッコ、行きてぇのか?生きてぇなら騒ぐんじゃねぇよ。」
学ランの襟が食い込むほど首をすくめて足早に歩く。
「……行きたいわけじゃないよ。生きてるからかな。別に死んでもいいけど、生きてもいいし。ただ、寒いのは嫌だ。」
「ああそうかい。」
男は背中を向けて、もう振り返らなかった。
蹴り飛ばした音と共に何かがぶつかってきたので目をやれば、ゴミバケツのふた。
ゴミは足を止めて少し考えたが、拾い上げ、さっきまで自分が入っていたバケツにぽんと投げかけた。
綺麗に被さったので、少し笑った。
「……匂いも少し…嫌だったかな。」
学ランにうつってしまったかもしれないが、洗っても乾かす暇がないし、まぁ仕方ないかと考えながら、とりあえず目に付いた汚れを適当にはたき落とす。
少年はのんびりと家路をたどった。
END.
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